3年前の6月18日。
大阪で震度6弱の地震が発生。
あれから丸3年が経過。
私はこの日を境に、
「絶対に人生を変える」と
強く決断したのでした。
本日は、どん底だった私が
未来開花するまでの想いを
お話ししたいと思います。
〜私が未来開花するまで〜
3年前の大阪地震での無力さ
3年前のGW、
2度目の離婚をして
三姉妹と大阪で新しい人生を
再スタートした私。
6月にはバイクで、
お弁当の配達をしていました。
この日も出勤時の身支度を終えて、
同時年長だった三女が居る2階まで
三女を呼びに行こうと思っていた瞬間…
大阪で震度6弱の地震発生。
「嘘やろ⁉️」と言いながら、
大きく縦揺れしている階段を
一気に3歩くらいで全力で駆け上り
三女をすぐに抱き抱え
向かいの部屋の
長女と次女の部屋を開けて、
「大丈夫かっ⁉️」と安否確認。
(次女は地震にも気づかず爆睡してました💦)
大きな揺れは1分程ですぐにおさまり、
我が家は震源地近くだったにも関わらず
幸いにもペンケースが倒れる程の被害で
済んだのでした!!
(奇跡としか言いようがない)
みんな無事でよかった!
みんなが一緒に居る時で
本当によかった!
心からそう安堵したのでした。
こんなに大きな地震であっても
私は出勤しなければならなかった。
何故なら私の仕事は、
企業や店舗、市役所などに
昼食のお弁当を配達する、
なくてはならないパイプライン🛵
そして、
スープの冷めない距離に
住んでいる実家の母が、
三姉妹を見てくれる事になりました。
長女と次女はこの日幸いにも、
土曜参観の振替休日だったんです。
近くの学校では門柱が倒れ、
小学生が死亡したとの知らせも聞き
職場へ向かう道中、
あちこちで大きな被害が出ている
街並みを目の当たりにしながら、
泣きながら出勤したのでした。
隣の市である茨木市では、
職場のスタッフ達は更に被害が大きく
そんな中でもみんな出勤されていて
亀裂が入る道路や国道に注意しながら
みんなで安全確認をしながら
其々に配達していく。
地震のショックと、
現実でないような恐怖心と
そして走る緊張感を抱えながら
無事に仕事も終えたのでした。
でも帰宅すると、
水道が断水していて
コンビニでさえも食料切れの状態。
プライベートでは、
同級生とのグループLINEで
みんなで励まし合いながら
カセットボンベの提供や
お風呂の提供、食材の提供など
みんなで助け合った。
私もこの日、
東京に出張時の友人から
大量の水やカップ麺などを
手配してもらった。
みんな無事でよかった。
みんなありがとう。
両親も親族も子ども達も、
そして私の大切な地元の友人達も
みんな無事だったけど
それでも何も出来ない自分の無力さに
心から悔しさが込み上がるのでした。
2度目の離婚から
再スタートをきって
わずか1ヶ月弱での震災。
怖くてたまらない。
私、大丈夫なのか。
これから女手一つで
三姉妹を守っていかねばならない。
私はこの時、
未来への強い恐怖心と
強い孤独感を抱えていたのでした。
その後更に災害が続き、
私の心は次第に大きく
変わりだしていくのでした。
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