”思い出はこころの隅に” |亡き父を想う | その日暮らしのこっことうさぎ

その日暮らしのこっことうさぎ

無常の世に生かされている

 

 

2022年7月15日(金)くもり

 

1982年7月15日、優しかった父がこの世を去りました。

授業参観のあった日でした。

まだ歩かない娘を自転車に乗せて当時住んでいた町営住宅に帰ってきて

時計を見たたら16時30分頃でした。

夕食中に誤嚥で亡くなりました。

公立病院近くの特老に入居していました。

 

この地は私にとっては無縁の地

それでも父が余生を過ごした地

 

私がいわき市に家を構えなかったのは当時のいわき市での

心無い言葉に疲弊していたこともあったけれど

 

複雑な家庭環境の元で育ち兄弟たちの言動などにも苦しんできて

この兄弟たちから少しでも遠くに来たかったからかもしれない。

亡き父が夢枕に立ち

「うさぎはいい子だから母と姉(父違い)のこと、面倒見てやってな。

それができるのはうさぎしかいないから」

 

それまではなかなか受け入れられない母と姉(兄)

いろーんなことがあったけれど

父がそう言ったんだから決して悪い結果にはならないだろうと

自身に言い聞かせながら母のことも送り出せました。

2009年(平成21年)4月のこと。

そして母の三回忌を目前にして原発事故が起こりました。

母の遺骨はお寺に預けたままになっています。

私か相方のどこらかが死ぬまで預かっててもらおうと思っています。

大熊町にあった墓地はお金が返金されました。

建ててあったお墓には立ち入り許可をもらってはいるようです。

この先々お墓は要らないと思っています。

共同墓地に埋葬してもらおうと思っています。

 

父のお墓は富岡町夜ノ森にありました。

苦しみを誰にも言えない時は父の墓前に行きました。

母親違いの私と姉は兄弟からは父の一周忌法要に呼ばれることもなく縁を切られました。

父の位牌のある仏前で手を合わせたのは

何年も経って私が義姉の所にボランティアで作った弁当を配達に行くようになってからでした。

その義姉も原発事故でいわき市に避難

子どもたちの世話になって暮らしているのかと思います。

固定電話の番号しか知らなかったし敢えて連絡をする必要もなく

夜ノ森にあったお墓も移転し

父の墓前にお参りすることも無くなりました。

義姉が1人暮らしが無理になればいずれお墓は移転したのだと思います。

 

母の子ゆえに苦しいことも多かった気がします

父の子だからだったかもしれませんね。

 

縁を切られたことには驚きもありましたが

大きなダメージはありませんでした。

もう大人でしたからね。

 

父がよく言ってた言葉を

私と姉は耳に胼胝ができるほど聞いてきました。

 

「たった二人きりの姉妹なのだから喧嘩するのはやめなさい」