法華経の肝要の寿量品のなかの、さらなる肝要・自我偈(じがげ) | ゆきまさのブログ

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         (生命変革の実践)

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    〈方便品・寿量品は、法華経の真髄〉 下

 

 寿量品では、「永遠の生命」が明かされ、それが一切衆生の生命の真実であることが説かれている。

 

 そして、この大法を弘めて、一切衆生を救っていくのが「地涌の菩薩(私たち)」の使命であると示されていくのである。

 

 なかでも寿量品の「自我偈(じがげ:寿量品の肝要の部分)」は、「自身」の尊極にして永遠の大生命力をうたいあげた、壮大な「詩」である。

 

 日蓮大聖人は、自我偈の最初の「自我得仏来(じがとくぶっらい:釈尊が仏になることを得て以来)」の「自」と、

 

 終わりの「速成就仏身(そくじょうじゅぶっしん:速やかに仏身を成就させること)」の「身」を合わせて、「始終自身なり」とご指示されている。

 

 自我偈とは、終始一貫して、仏の「自身」、仏の「生命」を讃嘆したものであり、それはそのまま、われわれ自身の三世永遠にわたる自在の境涯をうたいあげた詩といってよい。

 

 「この人生を生きる意味とは何か」「わが生命の本来の姿とは何か」「われわれは、いずこより来たりて、いずこへ行くのか」「生死とは何か」という、

 

 一切の思想・哲学・宗教の根底をなす、生命の究極の命題にまっこうからこたえたのが、自我偈である

 

 ここに、全人類、全生命を永劫に照らしゆく希望と歓喜の法理がある。

 

 自我偈には、「我此土安穏・・・」とある。

 

 この現実の社会には、大火に焼かれるような苦しみが、いまだに絶えることがない。

 

 その中にあって、永遠の生命の哲理を掲げて、人類が永遠に理想として願望してきた、安穏にして平和の幸福世界を断固としてつくり上げていこうというのが、広宣流布の大運動である

 

 ここに、多くの哲学者、宗教者、平和学者等が願望してきた、全人類が幸福に生きる権利を二十一世紀に打ち立てゆく道がある。