(大白蓮華、5月号、「未来を開く対話」への道より)
共に人類の未来を憂い、解決の方途を探り、探求し、行動していた先生と博士ー 二人の魂は、おのずと引き寄せられるように近づいていった。
69年に博士が送った手紙には、こう記されていた。
「貴殿がいつロンドンにおいでくださっても、心から歓迎させていただく所存ですが、明年であれば、
こちらでは麗(うら)らかな春を迎える五月が、お越しいただくには最もよい時期かと思っています」
当時、学会にとっても激動の時代であり、先生のスケジュールはぎっしり詰まっていた。
ゆえに、”ご招待をお受けしたいと願い、実現のために懸命に努力する”と応じるにとどめた。
その後も、博士からは、対談の強い希望が何回か寄せられた。
先生は、博士の要望に応えるため、書簡のやりとりを重ね、日程を調整しながら、万全の準備を整えていった。
そして、72年(昭和47年)5月に対談を始めることになったのである。
先生は、自ら先頭に立ち、「対話」を武器に、人類を結合しゆく潮流を起こしていく。
その先駆的役割を果たすのが、トインビー博士との対談であった。
72年5月5日。時計の針は午前10時を過ぎていた。
ロンドンの宿舎から車に乗った先生は、博士の自宅に向かった。街路樹の緑が美しく、花々がそよ風に揺れていた。
ハイド・パークの西にある、閑静な住宅街に入った。ホーランド公園の近くに、赤レンガの建物が並んでいる。
そこで、車は止まった。
車を降り、建物に入ると、古いエレベーターに乗った。ゆっくりと上昇し、5階に到着。
蛇腹(じゃばら)式のドアを開けると、白髪の紳士が待っていた。
トインビー博士自らが出迎えてくれたのだ。
博士は手を差し出した。眼鏡の奥の瞳が輝いていた。
先生は、博士の手を、強く握り返した。
そして、信念の光を放つ博士の目を、真っすぐに見つめた。