さやちゃん新曲「MAKOTO」
作成物語
@sayaringo.38
(①〜③からの続きです)
④
*
種田先生のお通夜の日私は、
"絶望的すぎる現実"を
どうしてもやっぱり受けいれれないでいた
まだ式が始まる前のときには、
種田先生の奥様ルート夫人に手を引かれ私は棺の中の種田先生が眠るところへ連れてかれて、
ルート夫人はこう言った。
「主人から、私は忍耐というものを教えてもらいました。
あなたのことは、本当の娘のようだといつも言っていてとても大切に思っていました。」
私は泣きすぎて
もぬけの殻状態で
ルート夫人の言葉を聞いていた
ルート夫人は私にとって第二の母の存在のような方なんだ
ルート夫人は言った。
「主人が入院中に、意識のある時の最後にCDで聴いた曲は、エレーヌ・グリモーが弾いてるリストの大ソナタ。
このCDを聴きながら勉強してください。
主人は、その演奏を、何もいうことがないほど素晴らしい、と意識をなくす前に言った。
それはあなたが最後に遺言で主人から出された課題の曲だった。
このことは偶然ではないと思います」
エレーヌ・グリモーのCDに入ったリストの大ソナタを、種田先生が死ぬ間際に聴いたという先生話。
私はリストの大ソナタの曲も課題の曲として偶然にも出されていた。(他にも数曲あった)
「この先。エリさんは。(私の本名)
もしかしたらピアノを弾きたくなくなることもあるかもしれません。
エリさんの、やりたいことを、
自由に、人生を歩んでいってほしい。
ピアノだけに縛られる必要もない。
あなたの人生はあなたが主人公だから」
私は種田先生がいなくなってしまうまでの、
実の父が亡くなってからの10年間、
種田先生に、私の人生をまるまる指揮していただいていたような感じだった
大半は、ピアノのことに。
そして、
種田先生が言われることに、
時間を使っていたから。
私は、
種田先生から、"学びきる。"って決めて、
過ごしてきたからだ。
*
だけど、
"種田先生が主人公の私の人生"になっていることを、ルート夫人は気づいてくれていた
"あなたの人生の主人公はあなただから。"
種田先生に指揮をとってもらいながらピアノを学んできたということは、
種田先生に指揮をとってもらって生きてきたことに比例する。
*
そして、
種田先生が亡くなる2ヶ月前に、
私は言われた言葉がある。
「あなたにはもう全て教えました」
「あとは、一流の演奏家の演奏をたくさん聴きなさい。
そして自分で判断して弾く、
こういうことを繰り返していくんだからね。」
種田先生から学びきると決めて弟子になった私は、
この言葉がとっても感慨深かった。
それから先生は、まるで自分が死ぬことを知ってたかのような言葉、
先生は、自分が私のそばからいなくなっても、私が大丈夫であるようにいれる言葉を、
亡くなる4ヶ月前くらいから発言していたんだ。
振り返ってみると、不思議だけど、
嘘みたいな本当の本当の話。
そして私は、
「やっと精神世界の演奏が出来るようになった」って、
最期のレッスンの3日前に言ってもらったのです。
最期のレッスンの日は、
なんと、最初で最後の、拍手喝采と感動をしてくれて
「素晴らしいね〜!」
と、拍手しながらスタンディングオーベーション。
これまでに拍手して立ち上がるなんて、レッスン中にしてもらうことなんてなかった。
とても嬉しかった。
そしてその頃、先生のレッスン生は何十人といたけど、
私は種田先生にとって生涯で最期のレッスン指導をした生徒だったんだ。
本当に、最期のレッスンも元気だった。
いつものように、たくさん喋るし冗談も言っていた。
なんの前触れもなかった。
でもそのレッスンの日の夜に、
種田先生は倒れ、
搬送されたんだ
*
種田先生がICUにいるときに、
先生の奥様ルート夫人から私には毎日連絡がきていて、
病状も状況も毎日聞いていた
でもそれでもそれって生きてるっていう連絡だったから
絶対に回復するって信じてた
でも人は、
いずれ死にます
種田先生は
世界中の演奏家を育て
あふれんばかりの思いやりぶかさ、
そして、
ウワベの人は見抜き
"真の眼"をもっていた、
生き字引のような人でした
そして
あたりまえですが
世界一のピアニストで指導者でした
続
さやちゃん新曲「MAKOTO」
誕生物語。
@sayaringo.38
③
(④まで書いてます☆)
*
2月3日は、種田先生の命日だ。
2011年に亡くなった。
私にとって
すごくすごく尊敬していて
音楽というもの、ピアノという楽器についての教えを求めぬいた師匠なんだ。
謙虚の天才だったし、
やさしくて、厳しくて、
指導はこまっっかくて丁寧で、
心が大きな人だった
私は、10代の頃、心底から本物の、本当の演奏を奏でれるようになりたいって強く思った時があって
そんなとき、ほんとたまたま種田先生のレッスンを受ける機会があったんだ
長年、自分のなかで解決できない悩みがあったけど、
それを種田先生はなんと初回のレッスンのときに解消してくれた
ほんとうにほんとうに
感動だった
長年の悩みを一瞬で解決してくれたのだから。
"この人はタダモノじゃない。"
そんな思いから
「種田先生から演奏を、音楽を、学びぬきたい」
この強い決意が私に生まれた
*
そして種田先生の門下生になれたのは
私の父が亡くなったあとからわりとすぐのことだった。
急な父の死。
父は44歳でした。
そのころ私たち家族は、
みんな疲れていて、母はその翌月、癌になり治療が始まった。
*
そして私は、種田先生のもと、
理路整然としたピアノの学びの日々が始まったんだ。
*
最初のころは、
私の演奏や人間性の欠点、そのことから繋がる演奏の音の響かせ方、そして私の能力や感覚、感性、私という人格を見抜いていただいたうえで、
抜本的な底上げをすることからさせてもらった。
楽しいだけじゃ出来ない厳しさと
音の捉え方の果てしなさに
ドン底の心境になってしまったことも多々あったんだ。
それだけ演奏の世界は、深い。
耳を最大限に発揮し、
自分の感覚を、細かに細かにとぎすます。
ステージやコンクールのために、
演奏を勉強し、
また壁にぶつかり、
また演奏と勉強を繰り返す。
この修行僧のような日々。
うれしく喜びあふれる結果を出せたコンクールもあるし、
悔しくて絶望あふれたコンクールもあったりもした。
*
「あなたならできる。」
「素晴らしい」
「小さな体から迫力と繊細さを兼ね備えている」
「小さな体、細い体でピアノの音色をコントロールするのは一般的より難易度が高いけれどそれをこなせている」
「一般知識は乏しいけど、本当は頭が良い」
「あなたはピアノを弾いてるだけが良い」
これらの肯定的な言葉の数々は、
種田先生からたくさん浴びさせてもらってた。
どういうことかと言うと、
種田先生は、
"人は、まずは肯定的でなければ何事も成すことは出来ない"
ということを
教えてくれていたんだ。
悲観的な状態で理想の音楽をもとめても、
実現はしない。
まずは、
肯定的に自身を調律し、
それから理想の音楽や演奏を求め実現させていくべきこと。
これを種田先生は、
いつもしてくれていたんだよ。
*
「あなたの生まれ持つ骨格筋は大変珍しい」
世界中に何千人と弟子のいる先生は言っていた。
「この指で猿腕でピアノを弾くということは大変珍しいし、リスクも大きい。
ステージで自己を発揮するためには、そうとうな集中と精神力がなければならない。
あなたの宿命だね。やたらな小さなステージは引き受けずに、自己内観と練習をする方がいざという大切なステージであなたの場合は発揮する」
こう、私は先生から言われていた。
続


