1945年(昭和20年)7月10日、仙台は2時間にわたる爆撃を受けました。
「仙台空襲」です。
1399人の市民が犠牲になったそうです。
今年はそれから80年。
青葉区大町の戦災復興記念館を訪れました。

空襲と復興の記録を保存し、2度と戦争の悲劇を繰り返さないよう後世に伝える戦災復興記念館では、2019年に発見し2024年に撮影した、横穴式の大規模な防空壕を写真や動画で展示しています。
全長200メートル以上で小部屋が10室、民間用につくられた国内最大級の防空壕で、100人超の市民を救ったそうです。
また、多くの人たちの体験談が展示されています。
「三つになるかならないかの子どもが、もらったおにぎりをつかんで死んでいた」(千葉光男さん)

3月10日の東京大空襲に向かっていた3機のB29が、何故か蔵王連峰の不忘山(ふぼうさん)に墜落し34人の米兵が命を落としました。
そして、1961年(昭和36年)に地元の有志が慰霊碑を建立するにあたり、亡くなった米兵の母親から感謝の手紙が届いたそうです。
「戦争の真っ只中にあっても、敵に奮い立つこともあれば、敵と悲しみを共有することもある」とライターの菅井理恵さんは綴ります(記録集 蒼空の月VOL.10)

ちなみに、当時のGHQの報告書には不忘山のことを「WASUREJI-NO-YAMA(忘れじの山)」と記していたそうです。
新開昌利さんは「その言葉が戦争を忘れまいとする意志をあぶり出しているように感じた」と振り返ります(同)

仙台空襲から8月15日までの1ヵ月ほどで、東北では釜石が艦砲射撃(7/14、8/9)に、青森が空襲(7/28)に、秋田が空襲(土崎8/14)にそれぞれみまわれ、3500人を超える一般市民が命を奪われました。
今が新しい戦前と言う人がいます。
忘れてはなりません!
そして、過ちを繰り返してはなりません、絶対に!















