仙台の朝は早くありません。
通勤・通学の時間帯を過ぎて、街が賑わい出すのは11時過ぎ。
朝型人間で午前中に用事を済ませたい私は、そう実感しています。

ところが、仙台駅から始まるアーケード街のドラッグストアは、どこも「早起き」です。

午前9時過ぎの写真です。


クリスロードに入ってすぐ右手にツルハ→1軒目


50㍍先の左手にダイコク→2軒目


近くにマツキヨ→3軒目


その横にサンドラッグ→4軒目

もうしっかり開店しています。

マツキヨとサンドラッグはこんな風に並んでいます。


東二番町通りを渡ってマーブルロードに入ると、
右手にマツキヨ→5軒目


左手にダイコク→6軒目

藤崎デパートの十字路(ぶらんどーむ)を三越デパートへ向かうと、


サンドラッグ→7軒目

ツルハ→8軒目
写真
藤崎デパートからぶらんどーむを南へ向かうと、


トモズ→9軒目
全国チェーンの9軒が、至近距離でひしめき合う激戦区ですね。


早くから店を開き、仕事前の客や私のような朝型人間をターゲットにする。
それが「早起き」の理由かもしれません(笑)

写真は国際センター駅付近の遊歩道。
私のウオーキングコースです。
夏を思わせる日差しは青葉に遮られ、心地よい風が通り抜けていました。


今まで気にとめませんでしたが、その日は大きな岩(石?)が連続して置かれていることに気づきました。
天然の岩が100㍍も続き、最後の方は並べられた庭石のようで、和風テイストを醸し出しています。

一体この岩はどこからきたのだろう。


ここの東側の空き地は、音楽ホールなどの複合施設の建設予定地だそうです。
最近までイベントなどに使われていましたね。
それ以前は仙台商業高等学校の校地でした。


確かに学校の中庭みたいな面影もありますが、

その前は旧陸軍の施設があったそうだし、

藩政時代は伊達家の上級家臣のお屋敷だというし…


広瀬川の氾濫や浸食によって上流から運ばれ堆積し、

土地利用の都合で掘り起こされただけの岩かもしれません。

下の写真は、広瀬川の浅瀬に顔を出す大きな岩です。

@評定河原橋2025年5月撮影

 

あちこちに電話で問い合わせましたが、情報は得られませんでした。

岩の歴史に想像が膨らむ遊歩道です。

風かおる5月。
街のあちこちで、紅色や薄紅色の花がカメラを手にした私に声をかけます(笑)
「こっちを見て、写真を撮って」と。


仙台法務局前のツツジ@晩翠通り

和菓子屋さんのツツジとサツキ(手前)@大手町

JR東日本東北本部ビル前では、フェンスから「手」を伸ばしているように見えます@北目町通り


仔犬のように私になでてほしいのかい?

 

杜の都は、心を癒やします。

妻の古くからの友人から、うれしい宅配便が届きました。


ワラビです。
太くてとても新鮮。
友人の93歳になるお母さんが採ってきたのだそうです。


さっそくあく抜きを始めて、翌日おひたしでいただきました。
なつかしい故郷の味がしました。

そういえば、
2人の母たち(私の母と妻の母)は、ともに山菜が大好きでした。

山菜採り名人(!)の義母、
山には行かないけど食べるのが大好きな(!)な母。
母の日を前に、山菜を食べ尽くして(笑)思い出しました。

ケン・ローチ監督の「オールド・オーク(THE OLD OAK)」を観てきました。
90歳の監督が自ら最後と語っている映画です。


かつては炭鉱で栄えた、イギリス・イングランド地方の置き去りにされたような町が舞台。
人々が集い安らぐ場所として最後に残ったパブ「オールド・オーク」が、シリアからの難民を町が受け入れ始めたことにより、諍いの場に変貌してしまう。

 

代表作「わたしは、ダニエル・ブレイク」で、人間の尊厳を問いかけた社会派の巨匠の新作だが物足りなさを感じるという評価もあるようです。
しかし私は、この映画に絶望への抵抗と希望を持つことの大切さを思い知らされ、涙が止まりませんでした。

ところで、監督はどうして題名をオールド・オークにしたのでしょうか。

イギリスでは、オーク(樫の木)は単なる木材以上の極めて「特別な意味」を持つ存在で、文化や歴史、精神性において深く崇拝されているそうです。
日本の神社でも巨大な杉の木がご神木として崇められ、しめ縄が施されていたりしますよね。
同じように、イギリスの森で神秘的な力を持つ巨木として人々に崇められてきたのが、ブナ科のオーク。


(写真はイメージ。利用の許諾を得ています)
とりわけ深い森の中で巨大に育ったオークは、イギリスがキリスト教化する以前から、「森の王」として人々に畏れられ敬われていたようです。

ケン・ローチ監督は、オールド・オークという名のパブ(パブリック・ハウス)を、人種や宗教を超えた神秘的な力(=連帯や希望)が生まれるパブリックな場所の象徴としたかったのではないでしょうか。
私はそう思いました。
穿ち過ぎかなぁ…