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水泳界期待の星、池江選手がまさかの白血病で入院。日本中誰もがびっくりして早く治って、オリンピックで頑張ってほしいと願ったことだろう。

 

ところが国会で桜田大臣がつるし上げられた。「早く治って…と言わずに金メダルが…」と言ったことを糾弾された。辞任を迫る厳しさに、発言を撤回したが、何ともお粗末であった。この際東京オリンピックの金メダルを軽軽しく言うのは控えたいものだ。

 

マスコミもアスリートたちに金メダル優先の取材は控えめにしてほしい。

 

世界で一人だけの金メダルを開催国だから取るべきだと言わんばかりの取材や報道も、この際控えめにしてほしいと思う。

 

白血病で苦悩する池江選手にこれ以上のストレスをかけないようにあたたかくみまもってあげたいものだ。

 

 

 
 


 

痛いように冷たい風を切って、隣町の地域センターへ自転車で急いだ。月二回の詩吟の例会へ出席するためだった。第二火曜日の1時20分、開始10分前に到着したが、今日は駐車場に車が一台もない…?いやな予感がするまま正面玄関へ向かう。

 

いつもすーと開く自動扉が開かない、人影も見えない。ガラスの向こうに立看板があった「月曜日休館」と見える。えっ今日は火曜日のはず?なぜ月曜日の看板が…立ててある?日日は確か12日第2火曜日、まちがいない。駐車場に一台も車がないということは、間違えて来た人もいないということか。まあいいや、運動だと思って自転車を漕ぎトンボ返りで来た道を折り返す。なぜや月曜日の看板で休館かと考え続けながら…。

 

不思議と腹も立たずペダルを快適に踏み続けた。

 

「昨日が休日だから、月曜の休刊日が火曜日になったんだよ…」妻の理解度は抜群であった。これは勘違いか、直観ぐせか、思い込みか、どうもよく分らない間違いだった。

 

 

 
 


 

ボケ防止と言ってはいかなかも知れないが、どうも認知症の防止と這いたくない。

 

むかしは齢をとれば老化により自然にボケていくことが普通だった。ボケを差別用語だと言い出してから、認知症と言い換えられてしまった。老化して体力・気力・運動能力・記憶力などが落ちてくるのは、病気ではなく劣化といったほうが良いかもしれない。

 

ボケがいけないなら機能劣化とでも言い換えてはどうか。80年余も寸時も休まず使ってくれば劣化しない方がおかしい。だから簡単に「認知症」などと診断しないでほしいと思う。そう言われないよう努力も大事だ「毎に考えること、歩くこと、よく食べよく寝ること」を心がけ実践することが欠かせない。

 

気分としては「明るく、くよくよしない、前向きに、落ち込まないこと、忘れること」が良いと思っている。つまり「いい加減が良い」のではないかとも考える。

 

「夜に跳ねる、朝は起きる、疲れたら練る」ことも自分で加減して良いようにする。

 

余り先のことをくよくよしなくて済む、暮らし方のような気がするが…。

 

 

 
 


 

いつも自動車の座駅から見慣れた街並みや景色を見る、と固定した映像の容易に浮かぶようになる。ある日自転車に乗って同じ道を行ってみる、また歩いて見る。

 

きっと車窓から見ていた景色が驚くほど変わって見えることに気付く。ましてゆっくり歩いてみると、全く新鮮な感じに見えてくるだろう。

 

風景や町の様子が変ったわけでなく、自分の視点が変ったからだ。この場合は目線の高さが変ることと、視線の移動速度の違いが視点を変えることになる。

 

単純な自然の風景でさえ変わって見える視点は、視線の他にも心の置き所つまり心のポテンシャルによっても大きく変わる。喜怒哀楽が心の視点を大きく変える、努めてこの振幅を広げないことが平常心となる。心したいものである。

 

 

 
 

 

北海道が記録的な寒さになって零下31度のところがあった。濡れたタオルがブリキのように凍ってしまう様子をテレビで映していた。東海地方では想像もできない寒さであるが、北海道の人たちは元気で活動的である。寒さも暑さにも人の身体はどこまで耐えられるか分らないが、遺伝による耐久力も関わりがあるような気もする。

 

いわゆる北方系と南方系の遺伝子があるのではないかとも思いたくなる。

 

東海沿岸地方は温暖系と言いたいような遺伝子を持った人が多いのではないか。温暖な気候に住むと人間の体力も精神力も柔軟化するかも知れない。

 

強い人間は極寒の地域に多いとも考えたくなるが、日ロの平和条約の交渉を見てもロシアが一歩も退かないところからそう考えても良いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

今日ある女性作家の話を聞いた。「エッセイは感情で、小説は出来事で?」が話の中心だったがどうも腑に落ちなかった。小説の出来事はともかく、「エッセイは感情で」の話が呑みこめなかった。違和感で消化不良になったと言ってもいいが、少し調べて考え直してみたい。先ずは感情とは「喜怒哀楽愛憎」の六情あら入ればいいか、…この続きは明日にしよう。

 

 昨日に続いて「エッセイは感情で、小説は出来事で?」について考えたい。

 

中国では「喜怒哀楽怨」の五情で表す(三字経は「喜怒愛懼愛悪欲」)という。

 

和語で感情を表す形容詞・形容動詞(例かなしい、動詞(例かなしむ)、名詞(例かなしみ)は具体的で多くある。

 

また、感情は幸福感など心理的な分類や、表情やしぐさとなってもあらわれる。

 

昨日の女性作家が講演し「エッセイは感情で書く、小説は出来事を書く」の意味が分らなかったのは、感情の説明が無かったからかも知れないがどうも腑に落ちない。

 

まして「小説は出来事を書くも、説明は全くなかったので意味不明だった。

 

結局、「エッセイは心で書く、小説は頭で書く」と言い換えて呑みこんでしまった。

 
 

 

今日ある女性作家の話を聞いた。「エッセイは感情で、小説は出来事で?」が話の中心だったがどうも腑に落ちなかった。小説の出来事はともかく、「エッセイは感情で」の話が呑みこめなかった。違和感で消化不良になったと言ってもいいが、少し調べて考え直してみたい。先ずは感情とは「喜怒哀楽愛憎」から入ればいいか、…この続きは明日にしよう。

 
 

 

岐阜から愛知豊田市へ移ったように豚コレラが発生したと大騒ぎになってきた。

 

岐阜から山伝いにイノシシが運んできのだろうか。8千頭を超えるブタの殺処分には自衛隊の出動もあるようだ。感染を防止する緊急措置だとしても残酷な事には違いない。

 

強力な消毒なり殺菌の薬剤で大量殺処分をやめるに道はないのだろうか。

 

人間には直接に感染もしないようだから、余計にそう思えてならない。

 

自衛隊にはむしろイノシシの駆除に、その機動力を発揮してもらいたいと願うばかりだ。

 

新聞の記事を見ながらこんなことを考え込んでしまったが、一笑にふされることだろう。

 

せめて8千頭の豚の死が無駄なトン死にならないことを祈りたい。

 
 

 

138億年前に一点のようなところからビッグバンで爆発的に始まって一瞬に膨張し現在も膨張の速度を速め続けるという宇宙。太陽や地球のような物質からなる星が無限かと思われるほどの銀河にかたまっている。といっても星や銀河は光速でも何万・何千万・何億年という距離に離れている。身近な太陽でも光速で8分以上もかかるほど離れているというから驚きである。そんな大宇宙の95%は何があるのかないのかさえも分らないという。つまり空っぽに近いから仕方ないので、ダークマターが25%、ダークエネルギーが70%だと言わざるを得ないのだろう。

 

人工衛星から地球を見下ろす映像を見ると地球の周りにも雲ぐらいで何もない空ばかりである。人間は物質が有ると無いをはっきりわかるが、実は無いところに95%のダークな見えないモノがあるなんて理解できるのだろうか。そんなことを考えることが無駄な話しかもしれない。我が家から見える山川草木と民家などをしっかり見つめて、空の向こうに何があるか、などと考えない方が楽だ。大きな地球の中の小さな小さなこの土地が自分にとっては、大宇宙だから…。

 
 

 

国会で厚労省の不正統計問題を争点にして活発な議論が交わされている。調査統計の本質論でなく政争論の様相を呈してきた。政策と行政では統計の企画・実行と処理・活用に根深い乖離があるようだ。毎月勤労統計が中心になっているが、各省の機関統計はもちろん、総ての調査統計に利用目的によって活用の在り方を明確にすべきではないか。

 

個こ政策には、この調査統計の実施と処理で具体的に活用基準を示すべきだと思う。

 

総務省の包括的な法的基準だけでは、今回のような問題は解消されないだろう。

 

行政職員・政治家はもちろん国民も、ことにあ報道機関も調査統計について最善の企画実施・調査結果の分析活用に共通理解をもてるように、国会議論も進んでほしいものである。