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昨日と変って気温もぐっと上がり柔らかい日差しの一日だった。やはり節分は季節の変わり目でもある、明日の立春は文字どおり春立ちぬを実感できそうだ。夕方から小雨も降ったりして、水までぬるむと告げるように感じた。

 

朝から集落で昔から祭っている稲荷社の初午祭の当番で忙しかtが、平成最後の初午祭を終えってホッとした。十数軒の参加者はほとんどが代替わりで、70年近く関わっているのは自分だけになった。あ元気に若い世代と交流できる集落の大事な行事でもあるが、来年は長男にバトンをわたしたいものだ。

 

生きた化石と自称しているが、実感を一層深くした一日だった。

 
 

 

午前中、眼科医の診察に出かて隣の薬局で目薬をもらった。次に文具店で書道用の上半紙を買い、帰り道のスーパーで食材を買って帰宅。車から荷物をおろしほっと一息。

 

車庫へ車を入れて後から来た運転の妻と目薬を仕分けはじめた、そのとき「診察券と保険証は?」と聞かれて…、「アッ…?カバンがない」車の中へ老いて来たかなと思って 、車庫へ戻って車内を探した。どこにもない!いつも助手席に座るのでと思いながら車中を探した。が、見当たらない。忘れたんだと部屋に戻って、記憶をたどるが当てがない。念のため薬局と文具店に電話で尋ねたが無いという。眼科医は4時まで昼休みで電話が通じない。妻が車の中を再点検したがやはり無い。食事も茶づけで流し込んで、眼科医と薬局・文具店の駐車場などを直接探し行くことにした。市役所へも保険証紛失の届けをしようと、印鑑を持って車庫へ。妻が車庫から車を出したところで、もう一度助手席の下をよく見たが無い。念のため後部座席のドアを開けて助手席の後ろを見ると、「あったー」と発見した。なんと助手席の座席とドアの隙間の下に薄いカバンが窮屈そうに挟まっていた。

 

忘れたところを思いだせない自分を。ボケのはじめかと疑って落ち込んだがほっとした。

 

「暗い車庫の中だから見つからなかったんだ!」と自信が戻ってきたが…。

 
 

 

エ、エーイ!裂ぱくの気合い一瞬、真っ赤な刀身が湯船へ突っ込まれ捻るように引き抜かれる。白衣に身を固めた刀匠が鍛えあげた刀身に、焼き刃土を塗り焼入れをする瞬間となる。息をつめて見た民放番組「宝刀」で、松平健が訪ねた「奈良の月山日本刀鍛錬道場」の実況である。

 

 玉鋼から鍛え抜かれ、焼入れをされた刀身にやがて美しい波紋が浮き出る。日本刀の誕生である。柄に銘を刻む刀匠の白衣姿に、気合いが余韻をひく。

 

 人生の最終段階も、この日本刀の焼入れと通じる気がする。玉鋼のような出生と成長に始まり、学業と職業、家庭と社会の生活が続く。この間に人間を鍛え続けて、平均寿命を超えるにつれて、その人生の形が刀身のように決まっていく。

 

 この人生の形に「心の焼き刃土」を丁寧に塗っていきたい。刀身に命を与える焼入れをする準備のように。

 

あわてることはない、ゆっくり丁寧に縫っていこう。今私が縫っているのは、ブログの文章書き込みである。

 
 


 

今日はサクラがあわてて蕾みをふくらませるかと思うような、暖かい陽ざしが終日つづいた

 

気分もおのずとゆるみ穏やかで、春うららと言いたいほどのどかに暮らした。

 

テレビ・新聞に目を転じると国会の代表質問では厚労省の不正調査問題の拙速調査が槍玉になり、米国が小型核弾頭を製造して中ロをけん制すると外電が報じている。

 

日露の平和交渉も険しいがけっぷちに立っている。米中ロと北朝鮮、日韓の不仲等々。

 地球は春どころか大荒れの厳冬期が続く、せめてサクラだけでも早く咲いてほしいものである。重苦しい内外の情勢を和らげてくれるのは、満開の桜にまさるものは無いだろう。平和は桜の花に隠れてているのだろうか
 

 

88歳を3か月後に迎える今の人生は延長戦だと考えている。タイムアウトは10年先に置いている。あと2・3年とは思いたくない、いくら高齢になっても、10年先を延長戦のタイムアウトにしておきたい。あと数年で終わりとはどうしても思いたくない。

 

勝手な思いこみだが自分では真剣である、もういつ死んでもいいなどと大胆なことは言えない。人は最後まで生への執着をもつべきであり、安易に死を容認してはならない。

 

命の不思議な力を自ら手放すことを考えないことが、人生の延長戦を生き抜く力になるのではないか。

 

もう一度自分に言い聞かせたい、延長戦を10年戦い抜くと。

 

 

 

沖縄の米普天間飛行場を辺野古へ移転することを県民投票で賛否を問うことが決まった。反対の5市もイエス・ノーの二択出なくどちらとも言えないを加えた三択で受け入れた。現実は埋め立て工事が進む中で投票結果で反対が多かったらどうするのかも示していない。政治的な反対賛成のアンケートしても、全県民の何割が投票し何パーセントが三択に意思表示するか分らない。県民の意志がどう示されるかわからないが、多数決で反対だと明言できるだろうか。知事が反対の県民の意志をつかもうとするなら、乱暴な話でもァある。賛成・反対をはっきり意思表示するためには、説明不足なことが何より不安である。沖縄県民の良識ある選択を期待したいが、無理な県民投票の気がしてならない。

 
 

 

 

強敵クビトバと息詰まるような戦いを乗り切って、遂に優勝杯を恥じらうように手にした。世界1位になった大阪は昨年の全米に続いてテニスの4大タイトル中2つを制した。

 

21歳の若さで堂々の世界トップとなった大坂の快挙は、日本どころか世界が仰天したことだろう。安倍総理は国民栄誉賞を贈るのではないかとおもいたくなるが、重そうに優勝杯を掲げる姿は世界栄誉賞だと言いたい。

 

錦織選手は準々決勝の5時間を制した疲れで、準決勝途中でプレーが続けらず敗退した。

 

その無念さを大阪が救って余りある優勝だった、錦織の健闘と合わせて「有難う!」と

 

心を込めて感謝したい。日本人の力を世界に認めさせたこの快挙に!

 
 


 

「毎日何をして暮らしているか」と問われるとはたと困る。家庭用の野菜つくりは毎日のことではないし農業でもない。家の内外の片付けや掃除も仕事とは言いにくい。

 

家事といったほうが良いかもしれないが、炊事や洗濯・掃除は本来妻の仕事にしている。

 

部分的に手伝ったりしても、責任をもって家事を仕事とする意欲もない。

 

ではくらしを支える生業は何かと問われるともっと困る。生業というものが何もないからだが、では何で生計を立てているかと聞かれても答えがない。

 

しいて言えば年金暮らしと言わざるを得ないが、これは生業と言える筋合いのものでもない。つまり無職であるから生業が無いことになる、生業がなくても暮らしていく衣食住だけは何とかなっている。生業や仕事をしなくても、生きていかれる有り難さには感謝あるのみだ。

 

が、人間として年齢相応の仕事が無いことはつらい、趣味や地域での交流で活動することは仕事とは言えない。

 

今年5月からは平成から新しい元号に代わる。この機会に高齢期を生き抜くための活動、つまり「生きる仕事」をつかみたい。そのためにこのブログ一年分を文集「生きる力」にまとめることから始めたい。

 

 

 
 


 

視・聴・覚・味・週・臭の五覚を五感と言うが、これによってインスピレーション・霊感・直感・虫の知らせ・予感を感じることを第六感を働かせると言って良いだろうか。

 

ひと口に五感・第六感と言ってもすこぶる多義というか千変万化でかつ個人的である。

 

ただ予感・直感は「…する」ことで、インスピレーション・霊感は「…感じる」の違いがあると思う。言い換えると予感・直感の「…する」は感じる力を、インスピレーション・霊感の「…感じる」には情念の強弱を示すとも言える。

 

超高齢期を元気に生きるためには、まず自分の第六感を鍛え磨いていかねばならないと考える。自分をふりかえると思いつき・早飲み込みで決断が早く迷わないのが取り柄と思ってきた。が、今年から改元でもあるから、じっくり第六感を磨くことを始めたい。

 
 


 

毎月勤労統計という基幹統計の不正問題が行政の信任を揺るがす大問題になっている。

 

対象企業の全数調査を東京都は対象が多すぎることだけで、母集団から勝手に外して抽出調査に変えてしまっていた。事務的な負担軽減だけで法定を破っして安易に処理してしまう。担当部局の中だけで勝手に機関統計を操作されては、行政の根幹が信頼できなくなる。行政庁が行う調査統計はその母集団抽出方法、調査項目・設問およびちょうさの統計学的信頼度などを明示して発表すべきではないか。

 

国民は0.1%の違いを真実だと信頼せざるを得ない、消費者物価の変動も統計結果数値だけでなく正確にに判断できる解説をつけて発表してもらいたい。