年賀状の表書きをした、年々しぼって35枚ほどになった。思い切って高齢ですから以後は年始のご挨拶を閉じさせて…と書こうと迷ったがやめた。長い友達は半世紀も合わないし電話もしないが、年賀状だけは続いている。一年に一度、年賀状を見てお互いに無事を確認する。一枚のはがきが絆となって、交友したころをはっきり思いだす。年賀状には不思議な魅力がある、あと3年の卒寿の新年には決断しよう。皆さん今年もよろしくお願いします。
年賀状の表書きをした、年々しぼって35枚ほどになった。思い切って高齢ですから以後は年始のご挨拶を閉じさせて…と書こうと迷ったがやめた。長い友達は半世紀も合わないし電話もしないが、年賀状だけは続いている。一年に一度、年賀状を見てお互いに無事を確認する。一枚のはがきが絆となって、交友したころをはっきり思いだす。年賀状には不思議な魅力がある、あと3年の卒寿の新年には決断しよう。皆さん今年もよろしくお願いします。
何時のころからかエスカレータの右側を早足でかけ駆け上がり、降りる習慣になった。
大坂では左側とか言われたように思うが、よく考えれば不思議な光景だ。
そう言いながら自分も右列を歩くこともあった。もっとも下りは危ないの歩くことはないが、
禅語が歩いていると歩かざるを得ないこともある。
いっそのこと一列にして二台並べてはどうか、急ぐ人は右側の高速エスカレータをどうぞと。
高齢でも足に自信があれば、高速でさらに歩くことをすればよい。ただし怪我は自分持ちにして、設置者は管理責任を問われないことにしないといけないが…。
大河ドラマ「西郷どん」が西南戦争最後の総攻撃で壮絶に戦死して終わった。
諸藩の武士が新政府へ対決することを止め、新しい国づくりに向かうために城山に散ると。
妻に残した揮毫は「敬天愛人」で西郷の武士道の真髄であったろう。
強い感動の連続で終わった西郷どん、「敬天愛人」の天の声となっていつまでも日本人の心に残るだろう。これからの人生に座右の銘としたい。
古い衣類も古本もなかなか捨てがたい。もったいないというよりも自分の分身のような気がするからか。いやそれほどでもないが、どうも捨てきれない。ものの足りない時代に育ったためかも知れないが、なぜか思い切って捨てる気も起きない。
まだ十年ぐらいは元気でいられると高をくくっているからだろうか。
山下英子氏の提唱する断捨離は、
断:入ってくるいらない物を断つ。捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。離:物への執着から離れる
ということだが、いらないものとか執着をそんなに簡単に捨てられるものだろうか。
人生に執着があるうちは、物を捨てることはそう簡単でないと開き直りたい・
年末が日一日と近づいてくる、テレビのチャンネルを回していると「忠臣蔵」関係の番組に出くわす。今日は赤穂浪士が吉良屋敷へ討ち入りし、主君のかたき討ちをしたとされている。武士道の鏡とされたのは新憲法制定以前のことだが、何故か日本人の心の底には今でも武士道の精神が流れているような気がする。民主主義・平和国家となって七十数年たっても、忠臣蔵が消えない理由ではないか。主従関係どころか家族関係も大きく変わってきたが、日本人の心に問いかける忠臣蔵は不思議な物語である。憲法論や教育論でなく物語として日本人の心にいつまで残っていくか。不思議な力がある忠臣蔵である。
高齢期の生き方を考えると、体力的精神的に負荷がかかり過ぎることでは実行性が
ない。そこで今は三本の旗印を掲げて、元気に長生きすることだけを考えている。
一本目は2020年の東京オリンピックを実際に観戦すること、二本目は2025年開催に決まった二度目の大阪万博へ行くことである。三本目がリニア新幹線開通の初乗りである。
全部目的どおりに旗印を掲げおわると、90歳半ばを超えるかもしれない。
苦節十年というほどではないが、かなりハードな目的でもある。しかし生き方の目的をこの3本の旗印にしぼってしまえば、なんとかクリアできないものかと欲目に考えている。
何よりも生き方をどうしようかと迷うことなく、具体的にしぼった効果を期待して毎日を生きていきたい。
清水寺の管長が黒々と大書した「災」が今年の漢字として選ばれた。特に風水害や土砂崩れによる被害が多かった。去年は「北」だったが、日本漢字能力検定協会の選ぶ漢字は暗い。
他の団体では「幸」もあるが、テレビで大書し、墨が垂れるのを見るとなるほどと納得できる。来年は「災いをもって福となす」で明るく希望のある漢字にしてもらいたいものである。
「災と福」は正反対の感じがするが、よく考えると、上と下、右と左、前と後のように遠く離れて見ると同一の事象で程度の問題にもなる。しかし実感では「災と福」は地獄と極楽ほどちがう。「災にくじけず、福におごらず」の気持が大事だと思う。
被災された方々に改めて心からお見舞いを申し上げたい。
いつものことながら国会審議の時間が十分でなく、説明不足・審議打ち切り・国民の理解が得られない…などの声が飛び交う。「国民の理解が得られない…」「ていねいに説明…」も繰り返し聞く。国会終了後の世論調査では「38パーセントが反対」賛成は20パーセント」
「どちらと言えないが40パーセント」などとはっきり数字で賛否がでる。
○○式で選択した3000人に人に電話で直接聞いて、回答があった1500名の結果をまとめた。全国民の意見を集約するに、千数百名の回答結果の分析でいいのだろうか。
統計理論的には数千名を抽出してその半分程度の回答率でも、正確だということだろうが疑念が残る。電話調査や調査用紙による○×ちょうさでも、答えを左右する大きな要素は問いの話し方や設問の書き方ではないか。ひどい例としては「これはよくないことのようだが、あなたはどう思いますか」式の聞き方である。つまりアンケートや世論調査は設問のしかたと選択肢(3択5択)によっても大きく変わる。
日本国民お声を政治や行政に適格に反映させることは大切だが、その声をどう聞くかによって大きく変わる。野党も与党も政府も、まして一部の国民大きな声を上げることが「国民のの声」とならないことを祈る。
外国人人材拡大法案を会期ギリギリの暁国会で可決した、憲法審査会の方は具体的審議に入れなかった。野党も抵抗はしたが及び腰で、絶対多数の与党に屈した。共闘できない少数バラバラ野党には、かつての社会党のようなエネルギーもなくお手上げである。
経済・外交・通商の世界戦略で、安倍内閣をむなしく見すえて反対を唱えるだけの野党各派の無力さが目立った国会審議である。
野党が駄目ならせめて与党の中で、激しい議論があってしかるべきではないか。それも選挙や人事を恐れて異議を言わない。日米、日中、日朝、日韓、日ロの重要課題への対応が安倍総理に同調一任の行方に、国民世論はどう反応していくのか。挙国一致の底力を示す日本でありたい。
あと半年で平成も終わり新しい元号になるが、平成と同じぐらい続くとしたらどんな世になるのだろう。自分は関係ないが気になることでもある。がん免疫ブレーキ分子のPD1によってがんが完治するようになるようだ。自動車や電車、航空機や船舶も全自動化するかも知れない。人間の寿命も100歳どころか120歳までのびるかも知れない。人口減少とか超高齢化どころか想像もできない時代になるかも知れない…。「…かも知れない」と気楽に考えていると大変なことにもなりそうだ。更に50年、100年後の人類生存は?とバカな考えをしているうちに先ずは今日が終わりに近づいていく…。