2月の金沢観光で、このブログでは名前を伏せて記事にした七尾城。
あれから2ヶ月経って、特に状況は変わっていないが、七尾市のボランティアに来たついでに、改めて城攻めを敢行。
難攻不落の名城なので、前日は念入りに準備。
まず、七尾と言えば和倉温泉。
震災で休業していた共同湯の総湯が、3月末に営業再開しているので、ボランティア疲れを落としに行った。
そして夕飯はGoogleマップで探した『一歩』。
というか、3種類の定食を一度に頼んだようなボリュウム感!
定年退職オジサンに食べ切れるのでしょうか?!
安心してください、食べましたよ!
これで、明日の城攻めは成功間違いなし!
その夜は雨と雷が凄かったが、
前回は麓の資料館が冬期閉館中で、ほとんど事前情報なしで攻めてしまったので、アプローチから間違った。
今回はその反省を踏まえて、正面突破となる大手道からの攻略。
途中の案内板はしっかりある。
尾根道に入っていくと、
番所跡などの案内板があるが、それを示すような史跡は残っていない。恐らく古地図などに記載があるのだろう。
前回攻めた本丸や二の丸より明らかに広い。
シシ神さまか?
この先は、前回こっそり踏み込んだ二の丸。
ここまで目にすることがなかった石垣が出てくるエリアに入るので、今回はここまで。
(地震によって石垣が崩れているところもあるので、立ち入り自粛。)
資料館にあった調査図によれば、この資料館より先に城下町があり、惣構えの防御ラインも存在したようなので、もっと整備すればより魅力的な城跡になるはず。
ちなみに、上杉謙信によって七尾城主の畠山氏は滅びたが、その半年後に謙信が病死。七尾城は織田信長から前田利家に与えられた。
流石に後世に名を残した前田利家、先見の明によりこれからは山城の時代ではないと七尾城を手放し、七尾湾に近い平地に小丸山城を築いた。
(金沢城は、元々は尾山御坊という防御設備のある寺院で、前田氏が入城して尾山城と称するようになったらしい。)
ボランティアきっかけで、加賀百万石の礎を辿ることができたのは大きな副産物だったな。