2月の金沢観光で、このブログでは名前を伏せて記事にした七尾城。



あれから2ヶ月経って、特に状況は変わっていないが、七尾市のボランティアに来たついでに、改めて城攻めを敢行。


難攻不落の名城なので、前日は念入りに準備。


まず、七尾と言えば和倉温泉。

震災で休業していた共同湯の総湯が、3月末に営業再開しているので、ボランティア疲れを落としに行った。



周囲の歩道などはヒビ割れしたままだが、中は共同湯とは思えない高級旅館のような雰囲気。



露天風呂はまだ使えなかったが、内湯だけでも十分広いし、490円という銭湯値段だから。


そして夕飯はGoogleマップで探した『一歩』。



一歩おまかせ定食¥1780を頼んで出てきたのは



刺身、焼き魚(ブリカマ)、トンカツ、そして茶碗蒸しと、まさにてんこ盛りの定食。

というか、3種類の定食を一度に頼んだようなボリュウム感!

定年退職オジサンに食べ切れるのでしょうか?!



安心してください、食べましたよ!



これで、明日の城攻めは成功間違いなし!


その夜は雨と雷が凄かったが、




夜明け前には雨も上がって、前の記事に書いた輪島市訪問をこなしてから、七尾城攻めに着手。


前回は麓の資料館が冬期閉館中で、ほとんど事前情報なしで攻めてしまったので、アプローチから間違った。


今回はその反省を踏まえて、正面突破となる大手道からの攻略。



途中の案内板はしっかりある。


突き当たりは、竹林になってしまっているが高屋敷跡とされている。


尾根道に入っていくと、


時鐘跡や、


番所跡などの案内板があるが、それを示すような史跡は残っていない。恐らく古地図などに記載があるのだろう。




安寧寺跡とされる場所にも寺院跡は何も残っていないが、隅に墓碑などが建っていた。


この先の階段を上がると、


三の丸到着。結構広い!
前回攻めた本丸や二の丸より明らかに広い。


案内板がある。


あっ、あれは?!


もしや、ここの主なのか?!


今までに山で出逢った中では最大級。
シシ神さまか?


コチラを気にしつつも食事されていたので、邪魔しないように三の丸を攻める。



人工的に並べられた石列。礎石としては小さいから、何らかの境界か庭石のようなもの?



↑土塁のような石積のような痕跡。

この先は、前回こっそり踏み込んだ二の丸。
ここまで目にすることがなかった石垣が出てくるエリアに入るので、今回はここまで。
(地震によって石垣が崩れているところもあるので、立ち入り自粛。)

サヨウナラ、シシ神さま。


来た道を戻って、麓の資料館へ。


入館料は200円と安いが、展示はそれ相応と言ったら失礼か。

リーフレットから得られる情報も少なく、もうちょっと頑張ってほしい。



能登半島では2007、2020、2023と立て続けにマグニチュード6以上の地震があって、七尾城の石垣に被害も出ているから、今回の被害も含めての復旧整備と併せて、史跡としてより解りやすく詳細な発掘調査結果の展示が必要だと思う。

資料館にあった調査図によれば、この資料館より先に城下町があり、惣構えの防御ラインも存在したようなので、もっと整備すればより魅力的な城跡になるはず。


復興と併せて整備を進めて、温泉や海鮮だけでない能登半島の観光拠点として、復興加速の中心になって欲しい。


ちなみに、上杉謙信によって七尾城主の畠山氏は滅びたが、その半年後に謙信が病死。七尾城は織田信長から前田利家に与えられた。

流石に後世に名を残した前田利家、先見の明によりこれからは山城の時代ではないと七尾城を手放し、七尾湾に近い平地に小丸山城を築いた。


残念ながらほとんど何も残っていない城址公園で、今は市民の花見スポットとなっている。




前田利家がここに居たのはたったの2年程で、その後、金沢に移って金沢城が整備された。
(金沢城は、元々は尾山御坊という防御設備のある寺院で、前田氏が入城して尾山城と称するようになったらしい。)


小丸山城跡に建つ『利家とまつ』の像。


ボランティアきっかけで、加賀百万石の礎を辿ることができたのは大きな副産物だったな。