自死遺族となって -4ページ目

自死遺族となって

父が自殺しました

つらい感情もそうですが、

父を自殺でなくしてから虚しさを一番感じるようになりました。


父の生い立ちの話になるのですが、

あまり良い環境ではなかったようで、

とても貧しく、母子家庭で肩身のせまい思いをかなりしていたみたいでした。

それでも勉強して知識を身につけ、それを生業にし、家族を養い、ある程度の地位を築くことができたのです。

私は本当に何不自由なく育ててもらいました。


それなのにそんなふうに頑張ってきた父が最後に自ら死を選んでしまったことが。

本当に虚しいのです。




父が自殺したことにより

自殺という方法が強く認識され、自殺という選択肢が私の中にうまれました。

もしかしたら将来的に私も自ら死を選んでしまうのではないかという恐怖を感じているのです。
父を発見するまで日にちがあいてしまったこともあり、

腐敗がすすんでいたので葬儀は父の赴任先で行うことになりました。

発見してから葬儀が終わるまで本当に苦しくつらい時間で、

葬儀屋に3泊ほどし、体力的にも厳しいものがありました。

公には自殺ではなく心臓発作で亡くなったということにし、

ごく一部の方以外には本当のことを伝えることはできませんでした。

多くの友人の方がかけつけてくださいましたが、

やはりきれいとはとてもいえる状態ではない父の顔をお見せすることもできませんでした。

腐敗がすすんでいたということはこういうことです。

父を発見した日は自殺した日から4日も経っていましたからね…。


葬儀自体は葬儀屋の方がきちんと進行してくださったので、

無事に終えることはできましたが、

葬儀の最中はこれが本当に現実なのだろうかと信じられない気持ちでうわの空だった自分がいました。


また父の病気のことも知っており、ずっと相談にのってもらっていた担任の先生も告別式にかけつけてきてくださり、

私は来てくれるとは思ってもみなかったので、思わず先生の胸で声をあげて泣いてしまいました。

先生は何も言わずただただ私を強く抱きしめてくれました。

その時の口をぎゅっとむすび涙をこらえていた先生の顔は今でも忘れられません。

私のことを本当に心配していたようでした。
(もちろんすぐ大学受験が控えていたせいもありますが…)

遠くからかけつけてくれた先生にはとても救われ、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

葬儀の前にも何度も電話でやり取りをし、声をかけてもらいました。

無事に第一志望の大学に合格した時は先生も泣きそうになりながら喜んでくださいました。

すいません!

担任の先生の話になってしまいましたね。



人はこんなにも悲しいことを経験するのだということを18歳の私は目の当たりにし、

そのあまりの悲しみに心は振りきれてしまっていました。


母のあのような悲しみ嘆く姿は初めてみましたし、

恩師の方にすがりつき泣き叫ぶ姿は脳裏に焼き付いて離れません。

私はその姿を見るに、声を聞くに堪えなくなり、家の外に出てしまいましたが、

それでもなお家の外まで母の泣き叫ぶ声は聞こえてきました。

つらかったです。


そして葬儀がすべて終わったとき

あぁ父はやっとこれで楽になれたんだなと感じると同時にそれほどまでに苦しんでいたのだと痛感させられました。


その日のうちに私は葬儀を行った赴任先から家に帰宅しましたが、

葬儀が終わってしまったあとの私は何もする気がおきず、ずっと横になって寝ていました。

大学受験が迫っていたにもかかわらず勉強をする気に全くなれなかったのです。

というよりも、何をやっても頭に入ってきませんでした。

しかし父との約束であったこと、母からのの願いであったことに私も頑張ろうと思い、

必死に試験を受けました。

合格することはできましたが、この時壊れ切った心で頑張りすぎたのか

この時期のことは後々まで私を苦しめることになりました。
父は遺書も何の言葉も残していきませんでした。

遺書を残すことが必ずしも救いになるとは限りませんが、

とても寂しかったです。

そんな余裕もなかったのでしょう。


本当にあまりにも突然いってしまったので、

父と最後に交わした言葉も最後に一緒にいたときの表情も

何も思い出せないでいます。

たぶんいつもと変わらない日常の中の一部だったからだと思います。


父はうつ病を患ってから私に迷惑をかけてしまっていることを申し訳なく思っていたみたいで、

ごめんねと何度も謝ってきました。

それがまた私をつらくさせたのでした。