DNAレベルでの幸福論
人類が始まってから20万年が経過している、と誰かが言っていた。人類が始まった頃は人の人生の長さは随分と短かったみたいだけど、まぁ平均して20歳位で子供を産むとすると、20万年を20年で割って、実に1万回位の出産を今までに人類は繰り返して来たことになります。つまり、人が子供を生んで、その子供が子供を産んで、その子供の子供が子供を産んで...ってことを1万回。ってことは、1万回、精子競争に勝ち抜いて卵子に辿り着いた成れの果てが"あなた"だということです。 1万回の競争の中では、ボヤ~っとして、たまたま一等賞になった精子もいるかもしれないけど、その大半は必死に泳いで一等賞を勝ち取ったはずです。つまり、人に勝ちたいと思う意思(感覚)をもった精子が、1万回繰り返して1等を勝ちとって来た事実を思えば、自分の遺伝子レベルには人に勝ちたいという欲求が濃縮されて潜んでいると考えるのが適切です。自分自身では気が付いていなくても、1万回繰り返して1等を勝ちとったことで物凄く濃く潜んでいる欲求、すなわち、人に勝ちたいという隠れた思いが心の奥に潜んでいるという事を前提にして人生を歩む必要がある。例えば、自分の欲求を押し殺して、人との競争や争いを避けておとなしくしていては、気が付かない内にストレスが溜まって病気になってしまうかもしれないということです。自分には個性という魅力が有るから競争は不要だ、という考え方は危険かもしれないのです。でも、だからといって、その潜在する欲望を露わにして人と争ったり、ましてや戦争する訳には当然いかないよね。では、どうしたら良いでしょう?幸いにして、人類は長い歴史の経験から、人との争いを野放しにしておくと社会が成り立たないということに気が付いていて、社会を維持しつつその欲望を発散するために、”スポーツ”や”趣味”での競技をする、すばらしい手段を確立しています。これを利用しない手は無いです。 オリンピックが時として戦争を回避する手段として使われて来た背景には、このDNAレベルでの幸福論に則っているのだと思う。人が健やかに幸せに生きるためには、『人に勝っていると自分自身が納得の出来る様な、スポーツや趣味を一つでも持つ必要が有る』と認識すべきです。逆に言えば、人に勝るスポーツや趣味を極めず、なんとなく"人に勝った事が無いなぁ.."なんて思っている生活を送っている様ではDNAレベルでは幸せにはなれない、という事もいえるのです。スポーツ、趣味、仕事など、一端始めたものは、人に勝っていると自分が納得出来るくらいになるまで、一生懸命に自分を磨いていくことが、自分の幸せにつながって行くということ。一方、中途半端で止めてしまうことはDNAレベルの欲求を満たすことが出来ないので、不幸につながって行くということ。では、この理屈が分かっても、どうしても人に勝ったスポーツや趣味が持てない場合は、どうしたら良いか?そんな時は、『スポーツ観戦』 という形で、どこかのチームや選手を応援し、そのチームや選手が活躍することで、自分の欲求を満たすという手段もあります。世の中に熱狂的なスポーツファンの人たちが大勢存在しているのは、この法則に則って自分の中の隠れた欲求を満たしているためです。Better to think about-----☆一旦始めたスポーツ・趣味は、人に勝っていると自分が納得できる所までとことんやる。 (例えば、珠算ならせめて1級。武道なら段位といった資格を得るとか。)☆逆に言えば、人に勝っていると感じられる域に達していれば、止めても良い。 折角始めた事だからといって無理に拘って続ける必要はない。 一つのことに捕われて人生の時間を無駄にすることもない。 ポイントは潜在する自分の欲求をちゃんと満たしてあげられるかどうか。頑張れ息子達。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ にほんブログ村↑あと、仕組みは分からないけどクリックしてくれたらこのブログが沢山の人に読んでもらえるらしい。親孝行頼むよ、息子達。本も出版してます。下のサイトから確認してね。↓