もしも、

人類の全員がこの様な考え方をしたら争いごとも戦争も無くなるという、

すんごい法則です。 

 

ちょっと長くてややこしいかもしれないけど、

繰り返し読んでみてね。

 

 

まず、仮説として以下のような考え方があるとします。

 

【自分の周りに起こる困難は、実は全部自分自身が、

自分の為に意図的に起こしている】

 

ということ。 

 

この考えを分かりやすく理解する為に登場するのが、

以下の【算数の法則】です。

 

 

あなたは小学校に入りました。

 

算数を勉強しました。

 

試験に1+1はいくら?

 

という足し算の問題(課題)がでました。

 

でも....

 

3という間違った答を答案用紙に書いてしまったとします。 

 

すると、

 

  -当然、先生から叱られます(という困難がやってきます)。

 

  -周囲には「バカ!」と言われました(という困難がやってきます)。

 

  -勉強をやり直さなくてはなりません(という困難がやってきます)。

 

  -次の試験も受けなくてはなりません(という困難がやってきます)。

 

  -試験の為に放課後居残りしなくてはなりません(という困難がやってきます)。

 

  -試験のため友達と遊べません(という困難がやってきます)。 

 

 

そして、

次の試験では4と答えてしまいました。 

 

 

  -また叱られます(という困難がやってきます)。 

 

  -また試験を受けなくてはなりません(という困難がやってきます)。

 

  -親からも叱られて小遣いを減らされました(という困難がやってきます)…。

 

 

答えの2が出せない限り、

様々な困難が発生してきます。 

 

 

   ず~っと。 ず~っとです。

 

 

これは、「勉強しない」 と自分が選択した為に、

正しい答えを知らないことで引き寄せてしまった困難です。

 

 

さて、

そんな事になるのは嫌なので、

ちゃんと足し算の勉強をすると決心することとします。

 

 

そして、1+1は2だと答えられたらどうでしょう?

 

 

もうその問題(課題)がいくら出されてもちゃんと2と答えられるし、

何の困難も生じなくなります。

 

先生は褒めてくれて、親も喜んで御褒美をくれるかもしれません。

 

 

気持ちも晴れ晴れします。 

 

正しい選択をしたことで、問題クリアです!

 

やった~。 

 

 

でも……。

 

 

実は、正しい答えを出したことで一旦は困難が起こらなくなるのですが、

しばらくすると今度は違う困難が起こり始めます。

 

それは、

足し算の次に、

かけ算という勉強(上のステージの困難)が待っているのです。

 

今度は、

1×1という掛け算の答えに正しい答えを出せないで、

ボヤボヤしていると、

『足し算からやり直せ!』

 

 

という元のレベルの困難に戻ることになります

 

 

足算の答えを間違った時に襲い掛かって来た困難と、

同じ様な困難がまた襲い掛かってくるのです。

 

それでは嫌なので、

渋々、かけ算の勉強もすることにして、

正しい答えをだせたらどうでしょう。

 

 

これで、困難を回避することが出来ます。

 

 

 

ところが、

しばらくすると、今度は分数とか因数分解という

またまた新たなステージの困難が待っています

 

いくら正しい答えを出しても困難は次から次へと続いて行きます。 

 

これまた、

ず~っとです。

 

 

頑張って勉強を続けて

正しい答えを出し続けても、

結局は次の困難が襲ってきます。

 

 

そんなのはあほらしいので、

 

勉強を諦めて学校を辞めてしまうと決めたらどうでしょう?

 

そうすると、やっぱり困難が持っています。

 

 

つまり、

 

   -学校を退学した奴だと後ろ指を指されるかもしれない(という困難がやってきます)

 

   -良い就職口に就けないかもしれない(という困難がやってきます) 

 

   -食べ物にありつけないかもしれない(という困難がやってきます) 

 

   -金がなくて彼女におごれないかもしれない(という困難がやってきます)…。

 

間違った答えを出せば、どんどん下の次元の困難に対峙して行くことになります。

 

 

 

これらの例で分かる事があります。

 

 

それは、

 

正し答えを出す出さないに関わらず、

やっぱり困難が次々にやって来るということです

 

 

でも、更に分かる事があります。

 

それは、正しい回答を出す方には、そ

の都度にご褒美が付いてくるという事です。

 

御褒美が貰える方が

嬉しいに決まっています。

 

 

御褒美を心のバネにしながら、

どんどん次のレベルの困難に対峙して行く方が得だ

ということが分かります。

 

 

この算数の法則から分かることをまとめると、

 

我々自身が経験している困難(会社や家庭のことなど)は全てが、

  いつの間にか自分の選択の積み上げの果てに生じている困難なんだということ、

  そしてその困難は順繰り順繰り次に高い次元の丁度良いレベルのものが

与えられているのだということ。

 

  (越えられない様な高いレベルの課題は与えられないということ。

   越えられない場合も、一端は下のレベルに下りた課題を越えてから、

   再度困難がやってきます。)

 

それらの課題に対しては、どんな答えを出しても(正解でも不正解でも)

結局は次の困難に立ち向かって行かなくてはならないとうこと。

 

   (=正しい行いをしても新たな困難は必ずやってくる。

    死ぬまで困難から逃れることは出来ない。それが人生。)

 

  但し、正しい答えを出すことは、喜びや御褒美が与えられた上で

  次のレベルの困難に進むことが出来、更に高いレベルの大きな喜びや

  御褒美を得られる機会を得ることになるということ。 

 

  一方で、正しい答えを出せずに得る困難は、喜びや御褒美がともなわず

  苦しいことが続くだけである。 

  同じ苦しみを得るならば御褒美を伴った苦しみを得る方が得である。

ということ。

 

この「算数の法則」は、

正しい答えを出して次のレベルを目指すべきだと人々に

気付かせるために神様が仕込んでくれた人生の啓示、ガイドラインです。  

        

この発想が出来れば、

被害者、加害者という概念は無くなります。

 

なぜならば、

自分の起こる全ての事象は自分で選択した上で得たものであると理解できるからです。

(偶然や、ましてや人のせいで起こっているものは存在しません。)

 

仮に被害者的な事を経験したとしても、

実は全て自分が自分の成長のために選択して経験している

言うことが言えます。

 

実は、相手を責めるどころか、

御褒美を得る機会をくれている加害者に対して、

 

『ありがとうございます。』

 

と言わなくてはならない位のことさえあります。

 

 この考えが出来れば争いも裁判も戦争も無くなって行くはずなのです。

 

以上が、「算数の法則」。

 

 

 

 

実際には、ここまでの考え方を素直に実践出来るようになるには

一生掛かるのかもしれない。

 

理不尽でどうしても納得の行かない酷い被害に遭う事だって有るしね。

 

でも、

 

少しでも意識しているだけでも

より豊かな人生が歩めるのではないかと思う。

 

何かの困難に対峙した時、単に困難から逃れることを考える前に、

先ずは何が正しい答えなのかを考える事を習慣にしてみて下さい。 

 

繰り返しますが、

困難は快感を得られるチャンスなのだから逃さないように

大切に扱うべきだということです。

 

そして最後に、この法則は以下の副次的なメリットもあります。

 

困難を与える人、会社や社会は、

実は快感を得る機会を与える感謝すべき存在なのだということが分かり、

前向きな捉え方をする方が得だということが自然に身につく

 

という事です。 

 

感情の起伏に伴って前向きな捉え方が出来たり、出来なくなったり、

良い人になったり悪い人になったり、

という精神的な不安定さからも解放されて行きます

 

 

 

頑張れ息子達。

 

 

 

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