起業家のセミナーなどでこういった宣伝文句が使われることがあるが、無責任極まりないと言わざるを得ない。

 

確かに敷居が低い、間口が広いということは、物事を始める上で重要であるかもしれない。

 

だが、その低いハードルすらも越えられなかった者に与えられるものは何か。

 

それは「無能」という烙印である。

 

そして、その無能の姿を見た“自称”成功者は、決まってこう宣う。

 

「努力が足りない」と。

 

果たして、本当にそうなのか。

 

そもそも、その“自称”成功者とやらは、本当に自分の力だけで成り上がったのか。

 

実は、自分のアプローチとその時の社会ニーズが偶々合致して出来上がった、仮初のモデルではないのか。

 

結局、絶対的に正しいやり方など存在しないのだ。

 

ちなみにこれは一般企業においての上司・部下の関係でも同じことが言える。

 

特に若い頃はヤンチャしていたが、今はこうして真人間になった、などとやたらとアピールしている上司は注意が必要だ。

 

露骨な自分下げは、相手にとってプレッシャーでしかない。

 

ではどうすれば良いか。

 

具体的には以下の通りである。

 

「俺はこの方法で何とか仕事がカタチになった。お前にもきっと自分に合ったやり方が見つかるはず。それまで焦らずにボチボチで頑張れ」

 

部下を教育する立場の人間は、このくらいの謙虚さを忘れて欲しくないものである。

 

 

 

 

って、言ったら「黙れ、ゆとりが」とか言われんだろうなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

 

 

 

自由な発想なんて、周りから認められなければゴミ屑以下の価値しかない。

 

 

 

だから素直に歯車でいるべきだった。

 

 

 

でも俺は拒んだ。

 

 

 

「もしかしたら…」

 

 

 

そんな希望という名の無知が俺の背中を押してしまった。

 

 

 

自分で選び、自分で進んだ先でなお後悔をする。

 

 

 

これほど傲慢な俺の罪は、一度死んだ程度で償いきれるのだろうか。