掃除をしながら話しかけたこと | あーさのへや

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「直感で生きるお手伝い」をしていますArthurです。
名前があーさ から Arthur に変更し、ブログのタイトルが「あーさのへや」となりました。
日々気づいたこと、経験したこと、思うがままに書いていきたい。

いつもありがとうニコニコ


今日の名古屋は台風の影響で一日中雨あめ

近所の解体現場も休みで振動がないから、それは嬉しい。




前回"掃除しながら話しかけた"ことを書いてみたい。

前回はこちら。



どんな宗教も設立者がいる。

それは、どの分野においてもだ。


色々なものがある中で、多くは個人の幸せ、世界の幸せ、平和を願って設立されたのだと思う。

いや、そう思う。



どんなことを話しかけたのか


あなたの想いは皆に伝わっているでしょうか。

その想いは正しく伝わっているでしょうか。


設立された想いは存じませんが想像はできます。

どんなに善きことも、人間が沢山集まれば最初の想いとは違う方向に変化する。


時に人間は無意識下において自分の欲を満たそうと人を集めだし、欲の満たし方が違えば分裂する。


設立者がいなければその素晴らしき内容も世に伝わることもないわけで、そこは感謝しかない。


ところが、そこを勘違いし、人物崇拝となってしまうと人間というのは欲が出る。


設立者を通して神仏への感謝。



母は家族の為に、一族の為に、ご先祖様の為にと心の拠り所とし大変お世話になり感謝しております。


財産を注ぎ込んだり、何かを売りつけたりはしておりません。

そこは勘違いしないでください。


母の想いに改めて感謝してお掃除させていただきました。


今後この部屋は私のアトリエとして使います。


頑張ってお掃除しますね。





こんな感じです。



そこの宗教がどんなところが私にはよくわかりませんが、信頼する母が考えて入信したのだから悪しき場所ではないはず。



ですが、書いてるように人間の愚かさが表立てば分裂という変化をする。


それを良き悪しきとジャッジすることは出来ない。


自分に必要かどうか。




継ぐものが居なければ先の事も考えねばならない。





私は結構木や葉っぱにも話しかけるので…実際言葉が出てる時もあせる気をつけてはいるが、知らない人が瞬間を見ればただの怪しい人かもしれないゲラゲラ




Arthur