人間は地上生活中に身体機能並びに、
霊的機能を十分に発揮するように意図されているのです。
霊的なことをにのみこだわって身体を備えた人間としての義務を怠る事は、
身体上の事ばかりに目を奪われて、
霊的存在としての責務をおろそかにするのと同じく間違っております。

両者が完全なバランスが取れていなければなりません。

その状態で初めてこの世にありながら俗世に染まない生き方ができることになります。

つまり身体は神聖を帯びたリ霊の"宮 "として大事にし、
管理し、手入れをすると、成長の進化の過程にある霊が身体を通して、その成長と進化の機会を与えられると言うことです。


そもそも祈りとは人間とは何かを要求してそれを我々が会議を開いて検討してイエスとかノーとかの返事を出すのとは違います。

祈ると言う事は叶えられるべき要求が自動的に授かるような条件を整えるために、自分自身の波長を高めて、
少しでも高い階層との霊的な交わりを求める行為です。


思念には地上の人間の発したものが地上の他の人間によって受け取られることもありますが、霊界からのものもあります。

思念は常に循環しております。

そのうちのある種のものが同質な性格の人に引き寄せられます。
これはひっきりなしに行われていることです。
しかしインスピレーションは霊界のものがある種の共通の性質、関心、あるいは衝動を覚えて自分が既に成就したものを地上の人間に伝えようとする、はっきりとした目的意識を持った行為です。

地上の音楽、詩、小説、絵画の多くは実質的には霊界で創作されたものです。


メールの彼方の生活によると霊格の高さの点では2段も3段も上の界にふさわしいものを備えているのに、魂の鍛錬の不足からくる霊力の弱さのために足踏みしている霊がいるという。

そこでいっそうの試練を求めて下層階あるいは地上圏へと降りてくるときには肉体を宿って再生してくることにもなるわけである

霊格の高さが必ずしも魂の成長を意味するものではなさそうである






自分の過ちには自分が罰を受け、
善行に対する報酬も自分が受け取ると説くのです。

また神の摂理は機械的に機能し、自動的に作用すると説きます。
すなわち親切、寛容、同調、奉仕の行為が自動的にそれ相応の結果をもたらして霊性を高め、
反対に利己主義、罪悪、不寛容の精神は自動的に霊性を下げます。

この法則は会話にも変えられないのです。




皆さんもいずれは寿命を全うしてその肉体に別れを告げる時が参ります。

皆さんのために尽くして古くなった衣服を脱ぎ捨てる時が来ます。

霊が成熟して次の進化への過程進む時期が来ると、自然にはげ落ちるわけです。
地の束縛から解放されて、死の彼方で待ち受ける人々と再会することができます。

そのめでたい第二の誕生にまとわりついている悲しみと嘆き黒い喪服と重苦しい雰囲気を取り除くことです。

そして1個の魂が光と自由の国へ旅立ったことを祝福してあげることです。

人間の内奥に宿された霊的な資質を発揮すればするほど、

それだけ宇宙の大霊をこの世に顕現させていることになります。


これはぜひ学んでいただきたい教訓です。


霊が進化するというのはそのことを言うのです。

そうやって個性が築かれていくのです。

成長するというのはそういうことなのです。


偉そうに言うつもりは全くないけど、


学びの途中にいる立場からの一個人の意見ですが。


霊性開花を望むなら、


知識を蓄え、

経験し練習を重ねる事。


ひたすらコレを続けられたら、


貴方の中には沢山の霊的な点が出来上がっているはずなので、

コレを繋げてみる。


もう意識せずとも気づくと思うけど、


何のために霊性開花をしたいのかの答えも見えてくるのではないでしょうか。