Q)朝、目が覚めてから睡眠中の霊界でのを体験を思い出すことがありますか?

A)睡眠中あなたは肉体から抜け出ていますから、当然脳から離れています。

脳はあなたは物質界に縛り付ける鎖のようなものです。
その鎖から解放されたあなたは霊格の発達程度に応じた、それぞれの振動の世界で体験を終えます。
その時点ではちゃんと意識して行動しているのですが、朝肉体に戻ってくると、もうその体験は思い出せません。
何故かと言うと脳があまりに狭いからです。
小は大を兼ねることができません。
無理をすると歪みを生じます。

それは例えば小さな袋の中に無理やりに物を詰め込むようなものです。

袋にはおのずから容量と言うものがあります。
無理して詰め込むと入るには入っても形が歪んでしまいます。
それと同じことが脳の中で生じるのです。

ただし、霊格がある段階上に対し発達してくると、話は別です。
霊界の体験を思い出すよう脳を訓練することが可能になります。

霊界通信をやっていて、

時々言われるのは、


「故人のこの話はしていないのに、メッセージが本人そのものだった。

コルさんは本当に見えているんだびっくり



いわゆるこれがミディアムシップで言うエビデンスの一つで、


相談者しか知らない事など、

ピンポイントでメッセージを繋げてくる事があります。


私は何の話だろう?と思いつつ、

故人さんの言葉を伝えるだけです。



魂は死なない事にびっくり、


世の中はインチキ霊能者、スピリチュアルだらけと信じて疑わない相談者さんの中の常識がひっくり返される出来事、


そして、

そのメッセージに心熱くする。



疑いながら通信を頼まれることはよくあるけど、

それはそうだろと思うが、


メッセージに心揺り動かされる相談者さんを見てホッとする。





切羽詰まって聞かれた事に

「寿命はあとどれくらいですか?」

それは分からないし、分かっても言わない。

聞きたい答えがあるのは分かってるけど、
聞きたくない答えが返ってきたらどうするの?


むやみになんでも聞かないで欲しい。

私も苦しいのだから。

忘れないでいただきたいのは、私たちは「魔法の杖」は持ち合わせていないと言うことです。
「魔法の呪文」をお教えするのではありません。
宇宙の自然の理法を明かして差し上げようとしているだけです。

その理法を知って魂が目を覚まし、自分を神の分霊であること、自分を通じて神が地上へ働きかけることもあり得ることを理解してもらいたいと願っているのです。


価値のあるものは困難と悲哀なしには達成できません。
地上は地上なりの教訓の取得方法があるのです。

それを避けるわけにはいきません。

今、霊的勢力が地上全土にわたって活動を開始しつつあり、
あらゆる地域の人々に霊的メッセージが届けられ、その心を明るく照らし、その光が広まるにつれて物質万能主義の闇を追い散らしていきます。



人間が現在と過去と区別するのは、
地上と言う3次元の世界の特殊事情に起因するのであって、時間には本来、過去も未来もないのです。
3次元の障壁から脱して本来の時間に接したとき、あなたにとって未来になることが今現在において知ることができます。

最もそうやって未来を予知することが当人にとってどういう意味を持つかはまた別の問題です。

単に物的感覚の延長に過ぎない透視、霊聴の類の心霊的能力(サイキックパワー)によっても予知できますし、
霊視、霊聴の類いの霊感(スピリチュアルパワー)によっても知ることができます。


愛は必ず成就されます。

なぜなら愛こそ宇宙最大のエネルギーだからです。
愛は必ず愛する人を引き寄せ、また愛するものを探し当てます。

愛する者同士を永久に引き裂くことはできません


上の文章は短いですが、
どこかのスピリットが「この部分を」、と指し示されました。


人間は戦争が起きると、
「なぜ神は戦争を中止させないのか」
「なぜ神は戦争が起きないようにしてくれないのか」
と言って私たちを非難します。

しかし神の摂理を自ら無視している限りその責任は人間自身にあります。

自分の行為による結果だけは避けようとする、そういうムシの良い考えは許されません。
神の摂理は私たちも変えることができません。
蒔いた種は自分で刈り取らねばなりません。
高慢、嫉妬、怨恨、貪欲、不信、猜疑心こうしたものが実れば当然のことながら、戦争、衝突、仲違いとなります。


霊界からの情報をしきりに求めながら、それを同胞のために活用することを、まるでしようとしない人に、私は時折、うんざりさせられることがあります。

そういう人は霊のを述べたことなら何でも高等な訓え(おしえ)としてありがたがるのですが、
各自が霊性の成長とともに神の摂理の働きをより多く理解していくのですから、訓えそのものに高級も低級もありません


その霊的成長は思いやりの心、寛容の精神、同情心、愛、無私の行為、そして仕事を立派に仕上げることを通して得られます。

言い換えれば内部の神性が日常生活において発揮されて初めて成長するのです。

邪な心、憎しみ、悪意、復讐心、利己心といったものを抱いているようでは、自分自身がその犠牲となり、歪んだひねくれた性格という形になって、代償を支払わされます。