人のために何かをなさりたいと言う願望に対しては、いずれチャンスが用意されます。
ただし、急いてはことを仕損じます。
地上の大勢の方々に苦言を呈すれば、長い迷いの末に霊的実在に目覚めた方は、とかく何でもいいから心霊的能力を発揮したいと言う気持ちに駆らすぎます。
人のために何かをなさりたいと言う願望に対しては、いずれチャンスが用意されます。
ただし、急いてはことを仕損じます。
地上の大勢の方々に苦言を呈すれば、長い迷いの末に霊的実在に目覚めた方は、とかく何でもいいから心霊的能力を発揮したいと言う気持ちに駆らすぎます。
地上は幼稚園であり、霊界は大人の学校です。
今この地上に置いて、あなたは教訓を正しく身につけ、精神を培い、霊性を鍛えて、神からいただいた才能を心霊治療その他の分野で人のために使用できるまで発達させることを心がけるべきです。
知識には責任が伴います。
それなりの対価を支払わねばなりません。
知識を手にしたということは、それを手にしていない人よりも責任が大きいということです。
私たち霊界のものは、私たちの道具として協力してくださる地上の人々見捨てるような事は決していたしません。
本当ならここで、あなた方地上の人たちも、決して私たちを見捨てませんと言うセリフをお聞きしたいところですが、残念ながらそれはありえないことのようです。
あなた方の進むべき道は、霊界からあなた方を愛している大勢の霊が必ず示してくれます。
それは地上で血縁関係にあったものだけではありません。
霊的な近親関係にあるものもいます。
その霊たちがあなた方を使って恵まれない人々のために影響力を行使するのです。
スピ好きな方の中には
「あの神社の神様に呼ばれて!」
などというフレーズ大好きさんをよく見かけますが、
本当に呼ばれているのはほんの僅かだな〜って
ずっと思ってて。
今週、
私は沖縄に行ってきたのですが、
その中で行った場所については、
「これが呼ばれたってやつか
」
って初めて強く思いました。
そこは久高島。
沖縄は、
何年振りかな。
到着の前日までは、
台風🌀の影響がありましたが、
私が行った間は、雨粒一つ落ちてくる事もなく、
ずっと快晴![]()
ここまでは、
私は晴れ女だし、旅の神様がいるので当たり前な感じ。
そして島へは最初は行く気がなく、
別の予定を立てていたのだけど、
まさかの事があり、その予定が無くなり、
じゃあ、
ツアーにでも入って観光しようと、
どうしても行きたいとは思っていなかったけど、
何となくそのツアーを申し込んでみた。
行ってみたら、
本当に良かった。
霊界のサインもいくつも見つけたし、
前日まで行けなかった場所にも行けたし、
それに、
「この島のものは砂も石も持って帰ってはいけない」と決められているはずなのに、
島のツアーガイドさんが、
「この石は持って帰ってもいいよ」
と、私が何も言っていないのに言ってくれた。
実は私はルーンを手作りしたくて、
いつか適当な石を拾える機会があれば、
と何となく思っていた所だったの。
思わず「良いんですか??
」と確認してしまいました。
石といっても、
小笠原辺りから流れてきた軽石だから、良いんだよ、なのだそう。
軽石でルーンが出来るか?は謎だけど、
やってみないとわからないよ。
嬉々として拾っていたのはもちろん私1人でしたけど![]()
そして、
このガイドさん、
スピリチュアルに興味があるらしく、
ちょいちょい私もツッコミを入れてしまう![]()
ランチも美味しかったし!
船もちゃんと出たし、
天気も最高で、
海も空も青く美しく。
この島も、
呼ばれないと行けないと言われる
(あるある)聖地なのね。
実際、
本当に神聖な場所が多い、
神の島でした。
ネコさんもいましたよ
![]()
霊性が開発されるにつれて、さらに開発すべきものあることに気づきます。
知識と同じです。
知れば知るほど、その先にもっと知るべきものが存在することに気づきます。
各界層にはほぼ同等の霊的発達段階にあるものが集まっております。
それより高い階層界に進むにはそれにふさわしい霊格を身に付けなければなりません。
それより低い界層へはいつでも行くことができます。
現に、私たちは、今こうして低い階層の人々啓発する使命を担って地上へ降りてきております。
地上生活の目的は、善悪、様々な体験を通じて、魂が潜在的霊性を発揮して強く、たくましく成長するチャンスを提供することです。
それで悪事があり、罪があり暴力があるわけです。
進化は一直線に進むものではありません。
スパイラルを描きながら進みます。
表面的には美しく見えても、その底はあまり美しくないものがあります。
地上世界の特異性は、対照的、なしいしは両極性にあります。
美点と特性を具えたものとそれらを欠いたものが同時に地上に存在していることです。
これは霊界ではありえないことです。
各界が同じ性質の例で構成されていて、対照的なものが存在しません。