こんにちは。

今回は、様々な漫画やアニメの名言から、聖書の教えの正当性をお示しします。

 

世の中には、多くの名言や金言があります。我々にとって、「確かにそのとおりだ」「自分の生き方を考える上で手本になるな」と思わせるものだと思います。ただ、数々の明言を知る上で、忘れてはならない、知っておくべき事があります。様々な有名人、哲学者、政治家、虚構の作品(漫画やアニメを含む)、宗教家等による言葉が目立つ中で、主イエス・キリストや信仰に厚い義人たちによる言葉の認知度があまりに低すぎる…。「イエス・キリスト 名言」と検索しても、出てくるのは非常に少ないです。しかしながら、聖書に書かれた数多くの言葉を「名言集」の一つに数えるべきなのではなく、聖書は数々の名言の有益な要素を網羅していると言えます。「名言が残せる人って素敵だな、私もそんなふうになりたい」と思う必要はありません。聖書の内容を実践し続けることで、彼らよりももっと人として望ましい人格を形成し、本来の人間らしく正しい生き方ができるからです。贔屓目ではなく、こちらがこれまで真剣に学習してきた結果から断言できます。

「聖書は単なる一宗教の教典ではなく、こんなにも人生で必要な教えが詰まってるんだ」と思っていただき、聖書に書かれた内容を生活で実践するきっかけにしていただければ幸いです。

 

 

当記事を書いた背景と説明 

 

様々な出来事が起こる世の中で、自分の確かな行動の指針、軸、価値観を得たいと考えてる人は多いと思います。自分の生き方を変えてみたいとか、新しい教養や視点を得たいと思って、名言や金言を見聞きしてる人もいらっしゃるのではないでしょうか。

当記事の内容を考える中で、以前自分が漫画やアニメを見て心に響く言葉に感動した体験があったのを思い出しました。今回、日本では漫画やアニメの作品がいくつもあって非常に身近であるため、その「名言」を取り上げることにし、いくつかの項目ごとに分類ました。取っ付きやすい話題ではないかと思います。セリフには前後の話の内容がありますが、わしは漫画やアニメ作品に詳しいわけではなく、抜粋された言葉に対するこちらの捉え方が正しいとは限りませんが、ご了承ください。そして、聖書を学ぶきっかけにして欲しいと考えています。

(参照したサイトは、扱ってる言葉の種類が豊富なこちらです:【アニメの名言集100選】やる気が出る、励まされる名言まとめ | コウのお役立ち通信 (leather-revive.net)

 

 

自分の人生は自分の責任 

 

  • 「つまずき転んだのを石のせいにしたところで、何か変わるか?」(銀魂)
  • 「世の中に不満があるなら自分を変えろ、それが嫌なら耳と目を閉じ口をつぐんで孤独に暮らせ。」(攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX)
  • 「俺の敵はだいたい俺です。」(宇宙兄弟)
  • 「あまったれるんじゃねえ!自分の人生を人のせいにするな!自分の人生は自分で切り拓くもんだ!」(こちら葛飾区亀有公園前派出所)
  • 「泣くほど悔しかったら…もっと強くなってみせろ。」(ONE PIECE)

生涯で、一度も挫折や失敗をしない人は存在しません。その度に他人のせい、環境のせい、物のせいにしていては、何も得られるものが無く無駄に苛立ちが募るばかりです。失敗の原因が分からないまま、下手したらまた同じことを繰り返してしまいます。会社の業務上の過失であれば上司も責任を負ってくれますが、各自の人生については他の誰も責任を取れないですね。そう思って上記のような言葉を見聞きしたら、心に刺さるかもしれません。

聖書では、「(神により)各自の行いに応じて報いられる、裁かれる」という旨の言葉が多くの箇所で繰り返し書かれています。ソロモンの箴言やヨブ記に、預言者イザヤ、エゼキエル、ホセア、オデドの子アザルヤ等が神の託宣を受けて言葉にしたり記録したりしました。それに基づいて、主イエス・キリストが公生涯で改めて明言しました(マタイによる福音書十六章二十七節、黙示録二十二章十二節ほか参照)それ程に重要な内容です。世間的には、亡くなった人に対して「ご冥福をお祈りいたします」「安らかにお眠りください」と根拠も無く言い、「生まれ変わったら~」という話もされている中で、生前の行いに応じた裁きがはっきり断言されてるというのは個人的に衝撃的でした。しかし、神の裁きには明確な基準(神の律法)があって、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれるのなら、そこに不正はありません。世の中では、警察や司法の不正、身勝手な私情や賄賂によって訴えや裁きが捻じ曲げられ、時には法さえも無視され、冤罪も絶えません。バチカンや偽ユダヤ人等の支配層に不都合な日本の政治家が消され、反対に彼らの犬として働く売国政治家は、いくら法に違反して悪事繰り返してもお咎め無しです。政治家の不祥事がもみ消されてきたのもそのためです。裁判における不正も一切禁じている神の律法(出エジプト記二十三章ほか)に反するからこそ、冤罪に限らず不当な裁きが無くなりません。一方、神は人間のような邪悪な思いを持たないので、各人の生前の行いというありのままの事実で公正に裁かれるでしょう。世間の不当な裁きに納得がいかなかったからこそ、その正反対である神の裁きの内容が腑に落ちたのだと思います。

わしは、神の公正な裁きを知って、何かを他人のせいにするのをやめました。今でも、冷静に考えたら自分に落ち度があるのに、自分以外のもののせいにしてしまう時が完全になくなったわけではないのですが…、少なくとも「自責思考」を身に付けられました。主イエス・キリストを模範とし、自分自身の成長も目指す中で、失敗することもあります。以前の自分は、何か上手くいかなかった時に、根本的な問題と向き合わず、愚痴を言ってその場しのぎの安心感に浸ってました。しかし、大なり小なりあらゆる失敗において、「自分には何の原因があったか」を冷静に考えることで、自己の問題にも真剣に向き合えて、改善も早期にできるようになったと思います。

 

併せて読むことを勧めます【我々にとって強烈な敵は自分自身にあると聖書から分かる】(悪人が悪事を平気で繰り返す理由も知れて、もう二度と自分の問題を他人のせいにはできないようになります)

 

 

実際、上記の言葉にあるように、石ころに躓きたくなければ辺りに注意して歩けばいいですし、あらゆる点で人生を他人のせいにしたところで問題は何も解決できないですね。聖書で、ノア、ダニエル、ヨブ(←三名の義人たち)であってもその正しさによって自分自身の命を救いうるだけで、他者を救えるわけではないこと(エゼキエル書十四章より)が言われています。実際、他の人から戒めや助言を受けても、改善に努めるかは自分次第です。どんなに願っても、他人の人生には代われません。これまでダラダラと無為に生きて来たとしても、自分の人生は自己責任だと理解すれば、軽率な言動を改め、自然と一日一日を大切に生きられるようにもなると思います。

 

そして、世の中に不満を持つなら先ず自分を変えろというのは、この現代において必要要素と言えます。永続しない現在の天地において、神は世直しを教えてるわけではありません。

いくら我々が頑張っても所詮少数派、出来ることには限度がありますし、世界医師連盟や独逸の弁護士らが言っても欧州各国の政府は無視するし考え直しもせえへん現状から、世直しはとても無理です。一人でも多く政府や報道機関が垂れ流す嘘や洗脳から目を覚まさせてください。所詮、この世には希望はありません。拙者が常々申しているとおり、聖書と主イエスに立ち返るしか道は残されてへんということを忘れんといてください。
(中略)

このコロナ茶番によって艱難時代に突入しました。この天地が滅びる前の最後の時代であり、聖書預言並びに拙者が宣べ伝えてきたことが実現していくでしょう。確かに、この世は悪化の一途を辿る。それは既定路線であり、誰にも止めることは出来へん。拙者も止めようとしてへん。拙者は以前から賢く備えよとだけ警告してきた。世直しなんて求めてへん。もう元通りどころか、更に悪なるだけであろう。聖書には終末時代は「未だかつて無かった程の苦難がある」(ダニエル書十二章一節、マタイ二十四章二十一節、マルコ十三章十九節参照)と書かれとる。このことだけで、時が経つにつれて悪化することを示し、世の終わりの直前の時代が、人類史上最も悪い時代となる。

(引用元:支配層に取り込まれるな(真の聖書福音と預言)

確かに、世の中に不満を持たないでは居られない現状があります。ガソリン価格がずっと高いのに「トリガー条項」をまるで無いもののようにしたり、円安でますます生活が苦しくなる中で減税どころか増税が相次ぎます(参考までにこちら(ヤフーニュース))。最近の世間で騒がれてる自民党議員の裏金・脱税問題でも、こちら(日本経済新聞)のように検察は不起訴としました。検察も初めから悪を裁く気はありません…。先程も似たことを申し上げたとおり、米国、さらにはその背後のバチカンや偽ユダヤ人(日本人を特に憎む)の意向に従って、彼らに不都合な者を抹消し、従順な犬として働く売国奴を平然と表舞台に居座らせています。しかし、邪悪な世俗社会にぼやいていても何も変わりません。また、世の悪の根本原因も分からぬまま世直しに必死になっても思い通りには動きません。聖書に則った生活が悪魔崇拝者の支配層に対して最も強力な抵抗になり、聖書の教えを実践して賢く備える人が多数になれば悪人も簡単に悪事ができなくなります。聖書では、単に名言的な言葉を並べてるのではなく、いかなる世の中でも賢く備える道を分かり易く教えています。

 

 

 

一時の感情が命取り 

 

  • 「バカだな。一時のテンションに身を任せる奴は身を滅ぼすんだよ。」(銀魂)

聖書では、理性ではなく一時の気持ち(肉の思い、欲望)から罪を犯し、その報いを受けた事例が複数記録されています。このアニメ作品の言葉どおりの事柄が、具体的な事例として分かるのでより教訓にできます。

その最たる例として、唇や舌、すなわち発する言葉で我々人間は過ちを犯しやすいことが分かります。ヤコブの手紙には、人間は言葉で過ちを犯しやすいこと、舌という身体のごく一部の小さい器官でも自制ができないと全身を地獄行きに繋がることが警告されています。嘘をついたり誹謗中傷したり他人を呪ったりするなら、人間同士で信頼関係が壊れるだけにはとどまりません。聖書の箴言には、愚か者こそが言葉でも行動でも一時の感情に身を任せやすいと分かる言葉が複数あります。具体的に「愚か者」とは、主なる神を畏れない人間を指します。「愚か者」とはかなり厳しい言葉ではありますが、そう思わざるを得ない時があります。世の支配構造や真の歴史等を理解せずに「陰謀論だー」等と中傷する者、聖書をまともに読んだことないくせに誰かの戯言を鵜呑みにして「聖書は支配層の計画書だ」「聖書は書き換えられて信用ならん」と吹聴する者、パウロが偽使徒である事実や真っ当な指摘を拒絶するパウロ教信者や律法主義者。共通するのは、皆悪意があり、知恵や矯正を嫌悪し、自らを滅びの運命に陥れてることです。つまらない言葉もすべて神に記録される(マタイ十二章三十六節参照)と覚えてれば、日々の生活で気を引き締められます。当然発言だけでなく行動も同じです。こちらもかつて軽率な発言をした経験を教訓とし、口から出る言葉と自分の内面に日々気を付けているところです。

聖書理解によって、その時の軽はずみな気持ちが災いに繋がり得ると強く実感できます。そして、自身の言動を見直して、そもそも悪い感情に支配されぬよう、外面だけ良い恰好するのではなく内面を磨こうと努めるようになります。

 

 

明日からではなく、今日頑張る 

 

  • 「明日から頑張るんじゃない今日だけ頑張るんだ今日をがんばった者…今日をがんばり始めた者にのみ…明日が来るんだよ」(逆境無頼カイジ破戒録編)
  • 「後先考えてに行動できないのは、俺の病気でね。つーか、今日できることを今日やらないやつは、明日になったってできやしねぇんだよ。」(MAJOR)

明日ではなく、今日からやる…というのは、後回し癖のある人にとっては耳が痛いことかもしれませんが、その日にやらない人が翌日になって急にやるとは考えにくいですね。

聖書には、怠け者の様相が示されています。しばらく眠って、うとうとして、手や腕をこまぬき、何もしない時間を繰り返す(箴言六章十節参照)。引きこもりでなくとも、後回し癖のある人は、この「怠け者」に等しいと言えるでしょう。やるべきことを放置して自分の好きな事にばかり時間を使うことを繰り返せば、結局何もできないからです。貴方ご自身を振り返ってみて、「明日やろう」と考えて後回しにした結果、その翌日に見違えるほどのやる気が出せたことがあるでしょうか。少なくともわしはそのようなことなく、結局翌日も同じ調子で後回しを繰り返し、期限が迫ってようやく重い腰を上げる感じでした。聖書のうち特に箴言では、怠惰な人間の様相やその結果がありのままに書かれており、読んでて身が引き締まる思いでした。怠惰さは決して神の目に善とされることなく、怠け者には相応の報いが待っています(マタイによる福音書二十五章より)。

また、「あんた方は明日のことやあんた方の命がどうなるか知らのんや。あんた方は少しの間現れて、すぐ後で消される蒸気や。」(ヤコブの手紙四章十四節 引用元:多数派に属す者は破滅に至る(真の聖書福音と預言))とあり、そもそも我々には明日がある保証も無いし、いつまでこの世で命があるかも分からないことが明確に教えられています。普段何気なく生きてたら、多くの人には「明日」が訪れ、自分にも明日、一週間後、一年後…と未来が待ってると錯覚しがちです。しかし、本来は決してそうではないと、このヤコブの手紙の言葉からハッと気づかせてくれました。

漫画やアニメの名言からは、「確かにそうだな」「励まされる」と思わせられますが、聖書の様々な言葉によってより本質を理解できてきますし、より適切な行動に踏み出すきっかけを与える重みがあります。

 

 

 

努力によって勝ち取る 

 

  • 「能力とか性格とか境遇とか、んなこと言い出したら何もできない。口実探してんじゃねぇんだよ。」(おおきく振りかぶって)
  • 「学校や肩書きなど関係ない。清流に住もうが、ドブ川に住もうが、前に泳げば、魚は美しく育つのです。」(暗殺教室)
  • 「努力したものが全て報われるとは限らん。しかし、成功したものは、みなすべて努力しておる。」(はじめの一歩)
  • 「地味な反復練習、基礎トレーニングの繰り返し、その積み重ねのみが、どんな状況をも跳ね返す精神力を鍛え上げる。」(アイシールド21)

使徒ペトロをはじめ、主イエスから直に弟子に選ばれ、十二使徒となった人たちは無学でした。一方、ファリサイ派や律法学者といった、今でいう高等教育を受けてきた人らのほとんどは、おそらく聖書知識も豊富だったと思われますが、その品性の下劣さのために主イエスから拒否されました。タラントンのたとえやムナのたとえ(マタイ二十五章、ルカ十九章)でも、人間の力や使命は一律ではないと認識できます。これらのたとえに基づき、決して各々の能力を超えたことをする必要は無いですし、能力や境遇を他人と比べて嫉妬するなら悪い行いとなります(十戒ほか参照)。聖書の真髄や世の真相を正しく理解するには、読解力や一般教養がある程度必要かもしれません。しかし、今はインターネット環境さえあれば、簡単に情報が手に入りますね。あと、本気で理解したいと思うのなら、その熱い思いが補ってくれるに違いありません。例として、以前の自分だったら、国語が不得意で文章を読むのも苦手で、分厚くて文字だけの聖書なんて到底読めなかったと思います。しかし、「真の聖書福音と預言」に出会い、その情報量に最初は圧倒されながらも、どんどん興味が湧いて夢中で読めました。また、このようなブログ執筆も同様で、(現在でも文章力が優れてるとはとても言えませんが)当初と比べて何倍もすらすら文章が書けるようになったのは確かです。指導を受けながら、聖書を調べ、やり方を調べつつ毎月記事を書き、地道に自分の日本語力の問題点の改善に努めた結果だと考えています。これも自信ややりがい、精神力の強さにも繋がると思います。もし特別な高い能力が必要だとしたら、わしはもはや何もできません…。元の能力は乏しくとも、努力して、ある程度は向上できます。聖書に詳細な内容は無いですが、十二使徒であれ最初は主イエスへの信仰が薄かったけれども、「人間ではなく神に従う」(使徒言行録五章二十九節より)と堂々と宣言するまでに成り、立派に伝道してキリストの教えに基づいて有益な書簡を残しており、その背景には数々の並大抵でない努力の積み重ねがあったに違いありません。

参照元:キリスト者の成長に必要なこと | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)

 

 

 

諦めずに正しい道を突き進む 

 

  • 「過去はどうあれ、未来はあるだろ。」(カウボーイビバップ)
  • 「この先は暗い夜道だけかもしれない。それでも信じて進むんだ。」(四月は君の嘘)
  • 「最後まで希望を捨てちゃいかん。あきらめたら、そこで試合終了だよ。」(SLAM DUNK)

どう頑張っても過去は変えられないけど未来の行動なら変えられると励みにして、たとえ失敗してしまっても前向きに進み続ける人も居ると思います。主イエス・キリストも、決して人間の過去を責めて軽蔑したりはしませんでした。過去の行いを本気で悔い改め、主イエス(神)に従うなら見捨てられません。十二使徒の一人であるマタイは、徴税人(当時はユダヤ人の間で罪人と看做されていた)だったものの、イエスから選ばれ、過去の行いと決別して生涯主に従い通しました。悔い改めた一部の遊女等も、決して主イエスから嫌な顔をされず、罪の赦しを受けました。神は人間の性質を何よりもご存知です。そして、このように、自我を捨てて世俗社会の欺瞞や洗脳から完全に脱却し、主イエス・キリストを真心から信じ、全ての罪(神の律法違反)を内面から改め、生涯神の律法、掟、戒めに従い通すならば過去の罪は赦され得ます。とても前向きになれる事実です。

 

また、旧約聖書の詩編でのダビデの苦悩の言葉、エレミヤ書での預言者エレミヤの苦難が感じ取れます。暗い「夜道」を進むみたいに苦難が続こうとも、彼らは神に従うことをやめず、神を信じて突き進みました。自分の使命を果たすことを諦めませんでした。他の義人も同様に。主イエス・キリストも、人性を取られて我々と同じ人間でも「キリスト道」を歩む生き様を示してくださいました。この前例から、聖書の真実性を理解したのなら、自らキリスト道を放棄すべきではないですし、諦めたら終了というのはまさにそのとおりです。諦めて悪魔崇拝者とそれに従う大多数の仲間として生きるのはとても簡単ですが、待つのは「地獄行き」という報いです。

既にミカエル氏(真の聖書福音と預言)の「神のイスラエル教会」を目指してる方々も、諦めないでください。

 

 

 

独りぼっちで頑張る必要は無い 

 

  • 「1人で頑張る必要は無い。お前が倒れたら俺が支える。」(弱虫ペダル)

先の「自分の人生は自分の責任」のところで、自分の言動や生き方については各自が決めることであり、誰のせいにもできないことに言及しました。誰かから助言等を受けたとしても、自分を変えるためには自分自身の行動が必要です。しかし、主なる神は、何も各自独りぼっちでキリスト道(主イエス・キリストを信じて倣う)を歩むことを推奨してるわけではないです。人は皆誰でも一人では生きていけないとは言われますが、こちらが自分自身を振り返っても本当にそう思います。具体的に、主イエスの掟として、信仰の兄弟(キリスト者としての仲間)同士で愛し合う(←恋愛ではない)(ヨハネによる福音書十三章三十四節、十五章十二節、ペトロの手紙一 一生二十二節ほか参照)があります。過去記事で何度も触れてきましたが、兄弟方との交流で得られたことを考えれば、一人だけで物事を成し遂げようなんて到底考えられません。聖書の内容でも世の動向でも、法や政治等の必須知識の習得においても、自分の見落とした部分に気付かされたり、新しい視点を得られたりと本当に毎回勉強になっています。福音伝道や周知活動でのやり方を試行錯誤するのも決して楽ではないものの、兄弟同士で少しずつ知恵を出し合っていけて、やりがいが失われることもありませんでした。また、日常生活や周知・福音伝道活動において上手くいかん時、心が折れそうになった時も、励ましの言葉に加えて親身に的確な助言を頂けるので心の支えとなっています。主イエスが明示した掟の意義を、わし自身でも身をもって実感するに至っています。聖書預言で警告されてるとおりに今後もっと世相が悪くなった際、現在のように自由に信仰の兄弟同士で交流することはできなくなると考えられます(特に大艱難の時)。その頃にも現世で生きていたら、孤独でも悪人に負けずに信仰を保つ必要があるでしょうが、そうなるまでに、今日一日を大切に、後悔無く高め合いや励まし合いが重要です。また、先程触れたように、明日さえどうなるか分からない以上、「今日という日に日々励まし合いなさい」(ヘブライ三章十三節参照)も活きてきます。

 

また、主イエスは人間の力だけで万事何とかせよと仰ったわけではありませんでした。あんたは我が忍耐の言葉を守っとるさかい、地上に住む人々を試すため全世界にやって来る誘惑の時から、我もあんたを守るであろう」(黙示録三章十節 引用元:聖書は今後の世界の動向を教えてくれます 前編(真の聖書福音と預言)とあるように、世の悪に抵抗しながら御自身に従って歩む人間を、そもそも正しい道から逸れないように守ると明言しています。神の御意志ならば、聖霊(神の霊)が真のキリスト者に入って導いてくださいます。カトリックやプロテスタント等を含めたカルト宗教の教祖や幹部どもには信者たち(金づる)がどうなろうがお構いなしであり、仏教やイスラム教等の敬虔な信者を目にかけてくれる存在は居らず、実に虚しいものですが、聖書に従って生きるなら決して「不幸」にはなりません。無神論、世の欺瞞、哲学や人間の創作宗教にはまる、あるいは中途半端なキリスト信仰者で終わって不法者として断罪される程不幸なことはありません…。しかし、全知全能の神から御目にかけていただけるのなら、何よりも心強いと思います。

 

 

まとめ(「名言」を名言たらしめる要素の根源は聖書にあり) 

 

聖書の内容を吟味すれば、数々の「名言」と言える言葉に含まれる有益な要素が聖書の各所に散見されていると分かります。聖書の本文を書き残したのは確かに人間ですが、これ程人間の本質を突いているのは、まさに人間(被造物)を知り尽くしている創造主なる神の業である証拠です。悪魔崇拝者の支配層の視点で書かれた、例えば悪魔教典タルムードや「世界革命行動計画」(二十五か条)なんかとは全然訳が違います。数多くの「名言」と捉えられるセリフと聖書の御言葉とが共通する点を照らし合わせることが可能で、それは普遍的な良心や道徳心の根源が聖書にある故だと言えるでしょう。ただ、聖書には単に善いことが書かれてるだけでなく、創造主なる神の御計画の内容、この世の本質、善悪の真の基準といった他では知れないが非常に欠かせない内容が詰まっています。漫画やアニメの数々の作品では、随所に人々の心に刺さる言葉を突っ込んで、より多くの人を虜にしてるのかもしれませんが、聖書を無視して心から内面や行動を一変させるのは不可能です。

 

当記事では、自己啓発を勧める意図はございません。自身の精神的な向上に傾倒すると、所謂「スピリチュアル」系の虜になり、結局得られるものは皆無であり、悪魔や詐欺師に精神を毒されることになります。成長を目指して有益な言葉を取り入れる動機は、決して自分自身の利益のためではなく、神の律法の根幹である「神への愛」「隣人への(無償の)愛」であることが望ましいです。そうすれば、途中で道を逸れたり自暴自棄になったりもしません。主イエスへの信仰や律法遵守によって、たとえ大多数(悪人の仲間)から憎まれて殺されることさえあっても、死後の復活や救い、主イエスが統治する永遠の後の世という希望があります。

今回の記事を通して、日本では特に身近にある様々な漫画やアニメ関連から、聖書の教えにも関心を持っていただけたら幸いです。