こんにちは。

今回の記事では、聖書の中でも特にイエス・キリストの教えや生き様と現代の人々の振舞いや思考を比較していきます。世の多数派の品性がイエス・キリスト(神)に程遠く、むしろ神に反逆する悪魔に似た悪いものであること、そして酷く問題だらけの世の中はその人々の悪い性質と行いが大きな要因なんだと知ってください。

もし皆さんが「人間として正しく生きたい」「腐った世の中に同調せず、悪に抵抗したい」等と考えているなら、是非最後までお読みください。ご自身の考えや行動を改めるきっかけや手掛かりになること間違いありません。そして聖書を手に取り、全体の内容を理解し実践していく重要性を認識していただけたら幸甚です。

 

前回記事で、ある程度世の真相に気付いて周知したりしている人は居ても、世界中が異常でとりわけ現代日本人がおかしい理由は何か真剣に考察している人が少ないことを考えました。そこで、「日本人の問題点 一〔真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)〕」をはじめとした、「日本人の問題点」と題して記事ごとに特定の主題を中心に説明している連載ブログを簡潔に紹介しました。存在すらしない「新型コロナウイルス」をでっち上げて偽りの恐怖を煽り、感染症の診断には使えないPCRを使いまくって多くの人間の遺伝子情報を盗み取り、有害無益なマスクの着用や人間の遺伝子を組み換える生物兵器であるコロナワクチンの接種を推進または強要し、違憲及び違法な規制を敷いた支配層とその手下の各国政府、報道機関、その他あらゆる機関、御用医師や学者、及び製薬会社が極悪なのは言うまでもありません。昔から人々の命を軽視し、戦争で莫大に儲け、食品添加物や遺伝子組み換え食品、電磁波、ワクチン含めた大半の薬、ケムトレイル等で人々を不健康にさせて医療業界や保険(金融)業界(ロックフェラー家やロスチャイルド家)が儲かる仕組みが確立されています。学校の教科書では進化論、地動説、嘘の歴史や常識を教えて人々を洗脳し、支配層に不都合な事実は決して教えず、世俗の仕事や雑用及び様々な娯楽や快楽に人々を夢中にさせ、重要なことから目を背けさせて支配層に抵抗しない軟弱な家畜に仕立て上げてきました。以前から世の悪しき実態について自発的に情報を得ている人々は勿論、コロナ偽騒動をきっかけに世の中がおかしいと理解できた人であれば、如何に多くの人々が上記の実態に気付かず、むしろ事実を言うこちら側の周知や勧めに対し「陰謀論だー」「そんなん嘘だ」と根拠も無く拒絶し、悪魔崇拝者の極悪人どもの施策に与しているか実感できるでしょう。その悪しき性質が世相の悪化の大きな要因となっていると理解できると思います。

 

時々、「一般庶民は政府や報道機関に惑わされた被害者だ」みたいなことを主張する人が居ますが、嘘ですね。そんな偽善的な考えで、「自分は悪くない」と自責せず思考を改めないようになってしまっては大きな問題です。聖書の箴言を読めば分かるように、賢く知恵を取り入れている人なら悪人の惑わしをすぐに見破り、騙されないからです(聖書は、如何なる世の欺瞞をも見破り騙されない知恵をもたらす)。しかし、先程貼り付けた連載記事にて論証された現代日本人の多くに当てはまる悪しき性質は、世の中の偽りに気付きコロナ犯罪にも加担せず、法や政治にも関心を持って憲法改悪に断固反対の人であっても、「キリスト者」を自称している人であっても、実は例外ではありません。「多数派は確かに当てはまるな、でも自分には当てはまらない。自分は多数派とは違い、DSなんかにも騙されやしない。」みたいに考えているなら甚だ勘違いと言えます。地動説や球体説こそ太陽神(悪魔)崇拝者らによる反聖書的な欺瞞なのに、平面説を支配層による罠だ、嘘だと勘違いし、結局は学校教育の洗脳から解けていない人がほとんどです。聖書全体を理解せずに、面白半分でヨハネの黙示録に書かれている「獣の刻印」だけを抜粋して「○○が獣の刻印だ~」と言って「獣」や「刻印」の本質を理解しないままの人が多いです。また、正当な根拠も無く「支配層は聖書通りに世の中を操っている」「聖書は支配層の計画書だ」と嘘を平気で言い、世の「キリスト教(という名のパウロ教)」の実態についても無知である人ばかりです。わしも情報周知をしているのですが、世の動向に関する情報には食いついても、聖書の話になると極端に反応が薄くなると感じます。「宗教か、自分には無関係。」と思って無視するのでしょう。しかし、これまで何度か申し上げたと思いますが、世の中の本質、人間の本質や置かれた立場、支配層が崇める悪魔が何故「悪魔」に堕ちたかということや悪魔の目的、世の悪から真に逃れて最期まで悪魔とその手先の人間に屈さず抵抗するにはどうすれば良いか等の答えは、聖書を読んで理解しなければ決して得られません。これは、幾ら世のキリスト教という名のパウロ教やその信者らが狂っていようとも、創造主なる神の重要な教えが詰まった聖書が「宗教の本なんかではない」と断言できる所以でもあります。

 

他にも、人間の身勝手な思考や言動が聖書の神の律法や主イエス・キリストの御言葉の内容に反する悪いものばかりであるからこそ、これ程までに悪魔崇拝者どもがやりたい放題で、悪を弾劾する人も居らずどんどん世の中が悪化に向かっている旨も、前回記事でお伝えしました。そこで、聖書のうち神の律法や掟が書かれた部分から、幾つかの内容を挙げて、世の中で反聖書的な不義が蔓延っている実態を考察しました。狂った考えを持っているわけではないなら、悪魔崇拝者たる支配層及びその手下(各国政府や官僚やあらゆる機関等)の数知れぬ悪事を忌まわしく思うはずです。ただ、何故、世の中に不義が蔓延っているのかを考えたことはありますか。世の中がおかしいと気付いている人であっても、その答えを導けている人はほとんど見られません。知恵や力のある美しい天使として創造された存在が、分を弁えず高慢になって神に反逆し(エゼキエル二十八章、イザヤ書十四章ほか参照)、地に堕ちて悪魔となって永遠の地獄行きの運命が決定し、非力なのに神から愛された人間を憎んで共に地獄行きの道連れにしようと企んでいます。霊的存在である悪魔は、自身を崇める人間(悪魔崇拝者)に莫大な富や力を持たせ、昔から人間を聖書に書かれた神の律法や掟や戒めに違反させ、神の怒りを買わせては喜んできました。悪魔崇拝者である支配層は、おそらく悪魔を崇めることで自分達のこの世での莫大な富や権力が維持されると考え、彼らの野望の実現を狙っていると推測しています。支配層の悪事を知る程、彼らに普通の人間の心は無く、目的の為なら手段を選ばずやりたい放題していると気付けるでしょう。この世の短い生涯における自らの醜悪な欲望の為に悪魔を拝んで悪魔の意志を行い、どんな犯罪を行ってもこの世では処罰されないのを良いことにやりたい放題をした結果、悪魔と共に第二の死(永遠の火と硫黄の地獄、蛆の尽きない)を迎えて虚しく滅びるなんて甚だ愚かだなと感じます。彼らが悪魔から知恵を借りて狡猾に人々を騙しており、計画も念入りで、とても悪知恵が働くのは確かです。ただ、肝心な面でとても愚かな支配層の人間どもに騙され、彼らの悪に与する多数派の一般大衆はもっと愚かであると残念ながら判断できます。人間としての思いやりを持っている人、親切な人も勿論中には存在しますが、ほとんどの人は支配層の人間程に知恵を持ち頭を働かせてはいません。世の真相を周知し説明すると、表立って莫迦にはせんでも真剣に受け入れない者ばかりでしょう。悪魔崇拝者の支配層の手先である各機関の言うことには真剣に耳を傾けるくせに…。普段は感じが良さそうであっても、耳の痛い話を聞かされた時に隠れていた人間の性質が表れたりするものです(真実を嫌う態度)。小学生でも偽りだと分かるコロナの嘘でさえ、騙される人が多いだけでなく、マスクの着用やワクチン接種の強制、その他「規制」に従わない正常な人を叩いたりする者らが少なくなかったし、違憲及び違法な施策に猛抗議せず正義よりも周囲の目を気にすることからも、悪しき多数派の性質は実感できると思います。先の大戦下での「戦争に反対する人は非国民だ~」のような風潮は今でこそ莫迦莫迦しく気色悪いと思えるけど、客観的に見れば本質的に同じことが繰り返されてしまいました。

少し話が逸れましたが、このように、多くの人々は容易に悪魔崇拝者らの思惑通りに考えて行動するので、結局は彼らの仲間なのです。そのことをより明らかにする為にも、当記事にて特にイエス・キリストの御言葉や生き様と一般的な世俗の人々の思考や行動を対比します。

 

ここまで長くなりましたが、本題に入ります。

最初に、主イエスが悪魔からの誘惑に遭った場面(マタイによる福音書四章一節~十一節、ルカによる福音書四章一節~十三節 参照)です。この世で生きる我々が直接悪魔から言葉で語りかけられる機会はほぼ無いですが、悪魔の誘惑の内容は現代を生きる人間にとっても他人事ではないし、主イエスの御言葉や行動から学べることが多いと考えています。

主イエスが四十日間断食をして空腹感を覚えた頃、悪魔が「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」と誘惑しました。イエス・キリストは創造主なる神であり、子を産む年齢をとっくに過ぎたアブラハムとサラにも息子イサクを誕生させた史実等から「主に不可能なことは無い(創世記十八章十四節 参照)」の通り、石ころを食べ物のパンに変えることも可能ではありました。神でありながら、この世で生活された時は遜って受肉して人間と同じ肉の性質も持っておられ、食欲も当然ありました。ところが、悪魔の誘惑には乗らず、「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」(マタイによる福音書四章四節 参照)と仰いました。人間の力だけで四十日も断食すれば最悪餓死しても不思議ではなく、主イエスは聖霊に導かれていたとは言え空腹感は甚だしいものだったに違いありません。それにも拘らず、上記のように申命記八章三節の言葉を引用して誘惑を跳ね返されました。どんな極限の状態でも悪魔に屈しない姿勢が必要であること、及び、人間は食って寝るだけの単なる肉体的な存在ではなく霊的な生き物であり、食べ物はこの世で生きる間でしか役に立たず、神の全ての御言葉に従ってこそ本来生きるのに相応しいことを体現されたと考えられます。

 

普通の人間であれば、仮にその辺にある石ころを自在にパンに変えられる能力を持っていたら、空腹時に満足するまで思うままにパンに変えてしまうのは容易に想像ができます。誰もが知っている話題から考えてみると、ドラえもんのひみつ道具にある「グルメテーブルかけ(平らな場所に敷いて料理を口頭で注文すると、すぐにその料理が出現)」(moshimodogu.comより)が仮に存在したら、自分の好物を食べ放題する人が多いと思います。確かに、この世で生きる以上は食べ物が必要です。しかし、悪魔の誘惑が上記の福音書にあるようなのではなく、例えば今後深刻な食料不足に陥って飢えた時、食と食欲に関する誘惑として食べ物を得るために神の律法に反する物事(窃盗、殺人、欺き等)をするように唆されても(悪魔が直接語り掛けるわけではないので頭をよぎったりする)理性を働かせて思い止まることが出来るでしょうか。実際、八十年前の戦時中(終盤)から終戦直後にかけて食料が著しく不足し、中には他者の農作物はじめ物品を盗む例がありました。確かに、人々の目から見れば、「当時の状況を考えれば、生き延びるにはやむを得なかった。」と思われるかもしれません。しかし、如何なる状況であれ盗みが悪であるのは変わらず、それこそ主イエスが引用なさった「人はパンだけで生きるものではない~」の内容を理解していたら、創造主なる神(イエス・キリスト)への信仰があれば、悪事を思い留まることができるでしょう。次のような御言葉があります。

  • 第一に、神の王国と神の義を求めよ。そうすればこれら全て(必要なもの)があんた方に加えられる。(マタイによる福音書 六章三十三節 拙訳)
  • 自分の命を得ようとする者はそれを失い、我のために命を失う者は、かえってそれを得る。(マタイによる福音書十章三十九節 参照)→すなわち、主イエスへの信仰と神の掟の為なら自分の命さえ犠牲にできる人

仮に人類皆がイエス・キリストを信じ、神の律法、掟、戒めの根幹である慈愛の精神を皆が忘れないなら、どんな非常時にも大混乱や殺伐とした状況にならないのに…と考えたことがあります。

食料危機は決して他人事ではありません。昔から天候不順による飢饉はありましたが、現在では意図的に食糧難になるように仕向けられており、報道でもあったような養鶏場の異常な火災(放火)の件、あるいは気象操作による災害や戦争やらが要因となり得ます。

また、食べ物に限らずこの世での生活のための誘惑があったら、貴方はどう決断なさいますか。実際、コロナ犯罪にて、職場によっては接種を強要され(本来なら日本では義務化の法律すら無かった(あっても違憲無効)にも拘らず)「今の仕事を続けるにはやむを得ないか」と考えて接種した人は少なくありませんでした。遺伝子が組み替えられ、自分の身体に対して取り返しのつかないことをしてまで守るべき仕事なんて無いのに。「ワクチンパスポート」や旅行等の割引(結局税金であり、非接種者への酷い差別、違憲行為でもあった)目当てで接種した酷く浅ましい人も居ましたね。しかし、繰り返し申し上げますが、コロナワクチンを打った多数派とは違って接種を避けたからといって、この先悪魔崇拝者から逃れられるわけではないです。今後、究極はヨハネの黙示録に出てくる「獣」(=ローマ教皇)による秩序や法令に従わない者は、日常生活は勿論、自身の命さえ奪われかねないという状況が実現するでしょう。神に従うか、この世で長く生き延びたいと考えて悪魔とその手先の人間に屈するかのどちらかです。この時、平素から神(イエス・キリスト)を第一に信じて掟を固く守る人間でない限り、主イエスがされたような誘惑への勝利はできません。主イエス・キリスト再臨時での死者の復活、最後まで神の律法を守り通して忍耐した真のキリスト者への救い、後の永遠なる神の御国への希望も、聖書を読まず神の律法にも従わない人には無く、この世こそ本物だと勘違いし、安全を求めて長く生き延びたいという強い望みと本性がはっきり表れるでしょう。「神の刻印」を押されるのは、黙示録十三章や十四章から分かるように、神の掟を固く守って忍耐する真のキリスト者だけであり、それ以外は否応なしに「獣の刻印」が押され、二度と赦されないのが事実だからです。

 

新約聖書 マタイによる福音書 四章八節〜十一節

今度は、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての王国とその繁栄を見せて、彼に言う。「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われる。「引っ込め、サタン。こう書いてあるからや。『あんたの神である主を拝み、主のみに仕えや』」それから、悪魔は離れ去った。すると、見よ、天使たちが来てイエスに仕えた。

(聖句引用元:世の悪に抵抗しなさい | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)

 

先程と同じく悪魔が主イエスを誘惑した場面における、別の誘惑の内容です。因みに、同じ場面についてルカによる福音書の方では、「この国々の一切の権力と繁栄は悪魔に任されていて、これと思う人に与えることができる。」(ルカによる福音書四章六節 参照)と明確に悪魔が宣言した場面があります。これが先程も言及したように、悪魔を崇める支配層が計り知れない富や権力を持ち、裏で汚いことをしても処罰されず、コロナワクチン等の世界的な大罪をも追及されないままである理由です。神がこの世での人間の行いを試す為に、悪魔のやりたい放題もこの世が存続する間だけ放置されています。世相がどんどん悪化し、悪人がすぐに裁かれないからといって、神が存在しないと考えるとか、神に反感を持つとか、それらは全くの見当違いなのでやめてください。

上記の引用した聖句にあるように、主イエスは適切に神の律法(この場合は申命記六章十三節)から引用して冷静に悪魔の誘惑を断固拒絶なさいました。この場面での主イエスから我々が学べるのは、悪い世俗社会において世の財産や社会的地位を必死に求めるのが無駄どころか悪魔を拝むのに等しいこと、主なる神への揺るぎない信仰を持つことによって富に目が眩まず悪魔に隙を突かれないことです。何故、この世で多くの富を持つことを望むのが悪いのか、それは悪魔がこの世が存続する間はこの世を牛耳っているし、「あんた方は神と富とに仕えることはできない(マタイによる福音書六章二十四節参照)」の御言葉のとおり神への信仰と富の欲望は相反しており富の背後には悪魔が存在するからです。揺るぎなく神に従う者は、汚れた富や権力の欲望とは無縁で、もっと言えばあらゆる面で醜悪な欲望や人間の身勝手な思いが無く、全て神の御意志を第一にしています。なので、必然的に悪魔が欲につけ込み、神の律法や掟に反した悪事をするよう唆す余地も無くなります。

また、福音書に書かれた悪魔の誘惑の場面全体での主イエスの姿勢から共通するのが以下です。

主イエスが悪魔の誘惑を退ける根拠にしたのも聖書の言葉であり、聖書だけが唯一の権威である証拠です。なぜなら、聖書は神の御言葉だからです。

引用元:復活とキリストの再臨への希望 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)

 

聖書の御言葉の正しい理解により、悪魔の強力な誘惑を跳ね返せるようになるのです。主イエスが誘惑された際にも、聖書を正しく引用し、神に服従するという人間の本来あるべき姿を体現し、悪魔は誘惑する余地も無くなり去っていったことが分かります。わしの経験からもそうでした。これまで頂いた学びを活かして偽福音を言う者らへ聖書を根拠に間違いを指摘したりした時、相手はまともな返答をせず逃げるのがほとんどでした。聖書を正しく理解しておけば世の中に出回る偽福音のおかしさにすぐ気付けました。惑わしは今後もっと巧みになっていく可能性が十分に考えられます。福音書のうちマタイ二十四章、マルコ十三章、ルカ二十一章に書かれた主イエスの御言葉に、具体的に、偽預言者や偽メシアの登場、しるしや不思議な業や奇跡で惑わす等の預言があります。偽預言者や偽メシアはちょいちょい存在しているし、目に見える業や奇跡が重要ではなくしきりにそれらを求めるのが悪いことも福音書から理解できます。わしも油断は絶対に禁物であるものの、聖書を複数回通読して学びを得てきたからこそ神の御言葉の力を実感できております。

人間には罪に弱い生まれながらの性質があるため、この世での生涯では罪への誘惑は避けられません。しかし、「神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあんた方から逃げて行きます。(ヤコブの手紙四章七節 参照)」とも言われている通り、神への信仰とそれに伴う律法遵守や善行をする者となれれば、主イエスへの誘惑にて最終的に去ったのと同じように逃げていくでしょう。反対に、神への絶対的な服従が無い限り、悪魔への誘惑を退けることは不可能でしょう。主なる神(イエス・キリスト)への不信仰で神の律法を守らない罪の奴隷であり続けるなら、世相が悪くなれば一層この世で生き延びる為に渋々でも悪魔の秩序に従うようになり、完全に心も取り込まれてしまいます。神から完全に見捨てられ「あんたのことは知らない」と拒絶されるでしょう。

悪魔の支配から逃れたいと望むなら、ただ必要な知識を得るだけでなく、聖書からご自身を照合しながら改め、きちんと行いから改善していくことを推奨いたします。

 

二つ目に、自分の命のことで何を飲食しようか、何を着ようかと思い悩むなという戒めです。(マタイによる福音書六章二十五節~三十四節、ルカによる福音書十二章二十二節~三十二節 参照)

ここでの「思い悩む」に相当する原語は、「思い煩う」「心配する」「不安で気掛かりに思う」という意味合いを持ちます。確かに、有害な食品添加物や遺伝子組み換え食品や農薬だらけの現代では、少しでもそれらの悪影響を避ける為にある程度気を付けて買うものを選ぶのが身の為です。また、静電気を発生させやすい化学繊維や混紡の衣服は避けた方が良いです。しかし、やたら時間をかけて「どれを着たら似合うかな~」と悩んだり、自らの行先を過剰に心配したり、健康オタクになって過剰に食に拘泥したりするのは無益だと言えます。衣服について悩むことの無益さは古代イスラエルの王ソロモンや野の花を例に当該聖句にて説明があります。また、食についても、鳥を例に神が養ってくださる旨の説明があります。上記で引用したマタイ六章三十三節の内容の通りに真心から実行すれば必要なものが与えられるとあるのに、神の御言葉を無視し、自分の力を過信して自分だけで何とかしようと思うのは何と虚しいことだろうと思いませんか。

衣服や食べ物のことで思い悩む原因は、神や他者よりも自分自身への関心が強く、神の律法の中で最も重要である神への愛と隣人愛を蔑ろにしているからです。つまり、自己中心的で自己愛が強い状態。悪魔が人々を物質的に豊かにさせて、「何を着たり食べたりしようかな」とばかり考えるような自分中心的な思考を促し、聖書の神の御言葉からますます遠ざけるよう狙ったのではないかと勘繰ったりもします。現代において慈愛に欠け自分や身内のことしか考えない人だらけになってしまったのは、主イエスの御言葉に反して「何を飲食し、何を着たらいいかな」と思い煩う人が多いのも一因としてあると考えました。聖書を理解し日々実践しないなら、将来の行く末を過剰に心配し、自分自身の生活のことで煩い、自己保身に走って、悪魔に完全に取り込まれる残念な結果となります。

 

今回もう一つ…

イエス・キリストが仰せになった内容として、「人間を実(行いによる成果)で見分けるだろう(マタイによる福音書七章二十節 参照)」というのがあります。また、「上辺や見かけではなく正しい判断をせよ(ヨハネによる福音書七章二十四節 参照)」というのもあり、これは文脈的にはユダヤ人らへの非難の内容ですが、現代を生きる我々にも大いに当てはまる内容だと考えました。行いは人間の内面をありのままに映し出すものだと知らない人が多く、行いの重要性を軽んじている人が多いです。世のパウロ教でも、信仰による行いを軽んじています。上辺での判断によって誤った判断になる確率が高いのは想像がつくと思います。多くの人々がこれらの御言葉に従って、表面的な要素に騙されず、他人の内面や言っている内容が正しいか否か等を的確に判断すればいいのですが…実際は、世の支配層の駒である有名人や為政者らに惑わされ、他者の肩書き、社会的地位や経済力、見かけ、表面的な振舞いや偽善、及び学歴や職歴をやたら判断基準にしている人が多いですね。一方で、幾ら正しいことを言っていても、世の中の多数派は「誰が言っているか」に重点を置いている故に無名な一般人の言うことには意にも介さず、結果世の権威に騙されてしまいます。「実で見分ける」というのも、文脈では「偽預言者への警戒」ですが、世の嘘つき全般への警戒に当てはまります。簡単に人に騙されてしまうのは、主イエスが重要な御言葉を遺しておられるのに見向きもせず、浅はかな判断をすることへの報いだと思います。

では、聖書の記述に反して上辺で判断し、悪魔崇拝者とその手先達に簡単に騙される人間が多い有様を強く実感する為に、実際の事例も見てみます。御言葉に逆らう悪魔と同じような品性を持った多数派の人間が、悪魔や悪魔崇拝者と共にどれ程世の中を滅茶苦茶にしているか、考えてみてください。

 

画像引用元:https://twitter.com/kuu331108/status/1655136592884035584?s=20

 

 

画像引用元:https://twitter.com/touyoui/status/1652225273604235269?s=20

 

昨年になってやっと「コロナワクチンが効いていないのではないか」と疑う人こそ出てきたものの、「ワクチンが病気の発症や重症化予防に効果的だ」という思い込み、つまりワクチンへの信仰心が無くなったわけではないのでしょう。コロナワクチンを既に接種してしまった人に関してはどうにもなりませんが、コロナに限らずあらゆる感染症や病気(子宮頸がん等)のワクチンが毒であり避ける必要があると忘れてはなりません。多くの人は、「テレビや新聞、様々な組織において、こんだけ広く推奨されているなら問題無いだろう」等と考えるのでしょう。では何故、至る所でワクチンの宣伝がなされ、人体への害は大々的に言われないのか。それが、上の引用した二つの画像にあるように、製薬会社らが大々的に宣伝をして莫大な利益を得ているからです。ワクチンを製造する製薬会社の考えは、二つ目の画像にある漫画のセリフそのものです。支配層は大衆の命や健康なんかどうでもよく、多くの人には気づかれない程度に(多数派が鈍すぎるのもありますが)健康的な害をもたらし、自分達の利益の為に製薬会社も莫大に儲かる仕組みが出来上がっています。このような世の悪しき仕組みに気付き、世の中の上辺だけの宣伝にも騙されずに賢ければ、支配層による大罪も阻止できました。主イエスの御言葉を当たり前に実践する重要性がここにも表れると言えます。

 

与野党が一緒になって憲法の改悪をしきりに推進しているのは周知の事実です。それで、厄介なのが改憲に関する誤誘導であり、政府の広告塔だけでなくマスクやワクチンの危険性についてまともなことを言っているのに改憲派という両建て工作員の存在も見てきました。憲法についてほとんど無知な人々が、(主イエスの御言葉に反し)人の言っている内容を吟味せずに「誰が言っているか」に重きを置いて、誤誘導の工作員らに簡単に騙されることを懸念しています。聖書を読んでいても、聖書に記録されている預言者や洗礼者ヨハネ等に対する人々の評価から、多くの人間が他者を上辺で間違った判断をするのはいつの時代も変わらないことを感じます。悪魔はそれを見抜き、そのような人間の愚かな性質を利用し、影響力のある人間を使って人々を真実から遠ざけています。改憲問題に限った話ではありませんが。そして、日本を滅ぼしたいと望む悪魔崇拝者の支配層どもの思惑通りに人々が誘導されて日本の滅亡が加速し、その上、神に逆らい悪魔と悪魔崇拝者に従う人間は皆、第二の死(地獄)への運命が決定付けられてしまいます。

上の画像には、元力士の人が「横綱になれない日本人力士と憲法の因果」の旨を語っている記事がありますが、どこにどう因果関係があると言えるのか疑問でしかありません。もし、相撲界にて何かの因果関係があるとしても、そんなことは正直本当にどうでもいい程に、とりわけ自民党改憲草案通りの憲法改悪は人々(特に悪徳政府に抗議するまともな人々)の自由や人権を奪うし戦争もできるようになる等と危険極まりないです。右では、「戦争を避けるための憲法改正だ」という意見が取り上げられてますが、敵国条項が日本にだけ残っていることを知っているなら、憲法改悪して戦前のように軍隊を持つべきなんて断じて思いません。「国防軍」という軍隊を持つことで「日本が再軍備した」と看做され、連合国の常任理事国やその他の加盟国から日本へ攻撃をしても正当化されるので、諸外国から一斉に攻撃を受けて滅ぶ可能性が十分にあるのです。特に、最大の反日国である米国に逆らってまで日本を庇う国が現れるとは到底考えられませんよね。もし攻撃されないとしても、欧米の支配層どもが純日本人(古代イスラエルの末裔)を最も憎悪しているのに変わりはなく、日本を本格的に戦争に巻き込んで滅ぼす流れもあり得るでしょう。そもそも多くの日本国民が政治や憲法に関心すら持たない有様で、国防を幾ら強化したところで日本が危機的状況から脱することはありません。このように、普通に考えれば明らかにおかしい内容であっても、自ら考えることを放棄して見かけや表面的な部分から判断すれば容易に騙されるのでしょう…どんなに間違った内容であってもです。

日本人が政治や法に関心を持たないことに関連し、こちら(ユーチューブ)を偶々見つけて視聴していました。主題は「独逸人は学校でナチスやヒトラーをどう学ぶのか」というものですが、この動画の四分十秒頃から独逸人の男性が言った内容として、「日本人が政治とか自分の歴史とか戦争について全然話さなくてびっくりした」「独逸では、学校でも家でもパーティーでも政治的な話をするのは普通」「(政治を考えることは)自分の国の将来のことだから大事でしょ」が印象的でした。動画内で言われている「卍」が日本の文化だとか幾らか事実でないことが言われているのですが、彼の政治や歴史への理解は大多数の日本国民よりまともです。一体日本人との差は何だろうかと、皆さんは思わないでしょうか。国の最高法規である日本国憲法にて国民主権が明記され、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」と前文や十二条にあるのだから、政治についていつでも他人と議論できる位でなければ本来は話になりません。何一つまともなのが無い既存政党に頼るのもやめ、国民が団結して権利を堂々と行使し続けねばなりません。政治や法や社会に強い関心がある人を見て、「政治に詳しいんですね、すご~い」と他人事のように考えているなら絶望的です。

 

今回は、世間広く当てはまると考えられる事柄について、主イエス・キリストの御言葉との比較をいたしました。今後も、聖書に書かれたあらゆる教えが人間にとって何より有益であることを示していくつもりです。与野党一緒になって憲法改悪を目指しており、自由に聖書を学べる時間も少なくなっています。少しでも聖書に関心を持った方は、すぐにでも必死に聖書を学び、且つ掟の内容を尽く生活に取り入れてください。そして、一人でも多くの人が正しい聖書福音を見聞きできるよう、必死に福音を広めてください。