私の住んでいる地域では、5月31日まで休校延期となりました。
学校では、休校延期に向けて、子どもたちへの課題をどうしようかと右往左往しています。
この非常事態、期間を決めてもなかなかその通りには行きませんね。延長のたびに、現場はあたふたしているわけです。
学習の遅れ、授業時数の不足など課題があるためか、何となく教師が躍起になって、子どもたちに課題を提供している状況は、教育っていったい誰のためにあるんだろう、何のためにあるんだろうっていう疑問を感じます。
オンライン動画を見て学習できるように…何て学校の存在意義はもはやないんじゃないかと感じてしまいます。
この前提には、課題を与えなければ子どもたちは学習しないという言説があるように思うのです。
本当にそうなのでしょうか?
幼い子が、恐竜に興味を持って、大人が教えなくても、恐竜の名前や特徴、その時代の状況など大人顔負けの知識を得ることってありますよね?
あれはだれかが強制したものではありません。その子が、恐竜に興味を持って学んだということでしょ?
休校が長引いていることで、子どもたちが学習していないのは、いわゆる「学校の勉強」のこと。子どもが「学校の勉強」に興味も関心もないから、学習しないということに気づかなければならないはずなのです。
子どもたちは、学校という学習強制機関に中で、学習する必要性を、本来の学ぶ楽しさを奪われていると言ってもいいのではないですかね。
子どもたちが何もしないことを推奨するわけではありません。
この非常事態の休校期間を、子どもたちが本当に興味や関心があることについて、思い切り学ぶ時間と考えて見てもいいのではないかと思うのです。
教科書にそった学習プリントを見て、教科書の勉強をすることだけが、子どもたちに必要な教育ではないでしょ?そもそも教科書への興味や関心を持たせることができれば、読むなと言っても、子どもたちは読んでしまうはずではないですか?
教科書はいつのまにか教師のためのマニュアル本になっていたのかもしれません。
子どもたちがこの世界のこと、未知へのことへの興味や関心を持てるきっかけをつくることが、今の学校に求められている役割ではないでしょうか?
テストの点数ばかりを機にする風潮があったから、いざという時に子どもたちが自分から学ぼうとしないのです。勉強はテストでいい点数を取るために行うことだと大人が教え込んできたから…。
休校延期、9月入学…。
非常事態であるからか、急にこのような意見が急浮上してきています。
仮に休校措置が解除されたら、時数確保のために、夏休みもなく、授業時間を増やして、遅れを取り戻せとばかりに急ピッチな授業展開も考えなければならないでしょう。
いずれにしても、子どもたちが学ぶ意欲を持てるようなカリキュラムやシステムづくりであってほしいものです。
家に巣篭もりしながらテレビを見ていると、この話題がずっと流れています。
多くの人が、もう一度、学校の存在意義、子どもたちが主体的に学ぶために…ということを考え直す必要がありそうですね。