・倉本氏は、国際日本文化センター教授。専門は日本古代政治史、古記録学。平安時代の著名な「日記」の現代語訳を行っている。(「小右記」(藤原実資(さねすけ)の日記。「野府記」とも。))、「御堂関白記」(藤原道長の日記)、「雑記」(藤原行成の日記))。また、中公新書の「藤原氏」、「公家源氏」、「平氏」の著作もある。NHK大河ドラマ、「光る君へ」の時代考証も担当しているとか・・。著書多数。Webページもある。

 

多くのエピソードは、それら「日記」から採られている。「物語」の類いにも面白そうなエピソードは沢山あるが、「どこまで本当の話しか、創作か判然としない」ので避けたそうだ。「日記」はその意味では時々、間違いもあるが、恣意性はないという。

 

日記が貴族の手によって書かれた理由は、pp.53-56に詳しいが、「摂関期の政務と儀式が一体のもので、儀式を次第通りに遂行することが、すなわち当時の政務であった」事に拠るという・・。ただ儀式次第は当時は法令(律令や『延喜式』)と、各家に記録された先例(故実、時には口伝)などを基に整備されている途上だったので、自宅に「先例」の先祖の日記を持っている公卿が圧倒的に有利だったそうだ。

 

・それら日記に書いてある「先例」を笏紙に書いて、笏に貼り付けたり、扇に書いて持ち込み、当日、参考にできた。「カンペ」だね!そして儀式終了後には、その笏紙を(次世代のために)自ら書いている日記に貼り付けて日記の原資料にした・・そうだ・。ちなみに「政務や儀式で違令を犯すと、それを指摘するために、弾指(指をはじく)や咳唾(咳をする、唾を吐く)をされたり、皆に(時には顎が外れるほどに)笑われ、・・中略・・日記に「故実を知らず」と書かれる・・・のだそうだ。(pp.55-56)。

 

読書感想:「平安貴族とはなにか 三つの日記で読む実像」(倉本一宏著・NHK出版文庫) | 雑文・ザンスのブログ (ameblo.jp) 読書感想:「敗者たちの平安王朝 皇位継承の闇」(倉本一宏著・角川ソフィア文庫) | 雑文・ザンスのブログ (ameblo.jp)

 

・(摂関期には)三位以上の官人と参議以上の官職についている官人は「公卿(くぎょう)」、四位〜五位の位階を有し、中央諸官司の長官,次官、受領などの地方官に任じられたもの中級貴族六位は下級官人・・と称した。(p.32)。五位以上と六位以下(ましてや無位!)では大きな壁があり、六位以下は・・「一生」出世は望めなかった・。

一部の者(摂関の子や、賜姓源氏)が元服とともにいきなり、四位あるいは五位からスタートできた(蔭位の制)のはまれな例外だった。

 

・そういう、うだつの上がらない、「下級官人」のお話・・なので、何か物悲しい・・。多少、知識があっても、書に優れていても、事情は同様で、あの小野道風(一応、四位だったみたいだが)も、望みの任官がかなわず、65歳の時の「任官願書・申文(もうしぶみ)」は、名文として『本朝文粋』には残ったが、任官は不可だった・・。およびがかかったのは67歳。その後、73歳で死去したそうだ。

 

・そういう事で、「毛並みの良い」、「立派な先祖が日記など残してくれた」家の出身者が偉くなったんだろうね・・。より詳しくは、「藤原氏」・「公家源氏」・「平氏」の三部作を読んでいこう。