・4/17-18と、1泊2日の団体旅行で奈良、大阪の7つの寺をバスでめぐる旅に参加した。常照皇寺、来迎院、雨林院、観心寺、葛井寺、野中寺、道明寺がそれ・・。一つ一つ書いていくが、『国宝』は、観心寺の「如意輪観音像」、葛井寺の「千手観音座像」、道明寺の「十一面観音像」。(観心寺の金堂の建物も国宝)の4点

 

・このほか、延泊して、単独で見に行った、親鸞展の展示物では、「観無量寿教註」(西本願寺蔵・親鸞筆)、「西方指南抄」(三重 専修寺(高田派)・親鸞筆)、「教行信証」(坂東本)(東本願寺・大谷派)、「三条和讃」(国宝本)(三重 専修寺(高田派)・親鸞筆)、三十六人歌集(西本願寺・本願寺派)、「類聚古集」(竜谷大学)の6点を見た。5月に行けば、親鸞の肖像画などが別に3点みられるはず。西方指南抄」は、番号67と番号133と2か所に別な巻が登場するが、「資料」としては1点として数えるのだと思う。

国宝を巡る旅(専修寺) | 雑文・ザンスのブログ (ameblo.jp)、ご参照ください。昔行った高田派の専修寺からも展示物が出ている。

 

読書感想:①「浄土真宗とは何か」親鸞の教えとその系譜 | 雑文・ザンスのブログ (ameblo.jp) で書いたが、もう一度この新書を読み返してみようと思った。

 

・このほか、「印象」としては、①親鸞は名家の流れなのだ、②先達の師匠格の僧たちも錚々たるメンバーだ。③仏教を日本に導入した聖徳太子への崇拝が感じられた、④当時は紙が貴重だったが、お経を書き写し、その注釈を細かく書き込み、時には赤字の書き込みも・・。⑤僧としては珍しく結婚し(観音菩薩の指示との事だが)、子・孫と子孫ができてくる。そうすると必ずしも自分の教えを広めてくれない子孫が出てくるというジレンマにも直面。人間らしい悩みというか・・・。⑥文化的な資産は資金が潤沢になってからだろう。(白書院とか能舞台は宗教とはそぐわない気がして、「なんのために使ったんですか・?」と西本願寺で(しんらんず・でいの時に)聞いてしまった。天皇や将軍が訪問時のおもてなし・・のためのようだ。)⑦それにしても沢山の手紙などが残っている。(まあ「読み」はくだらないが、関心あれば説明書が出ているだろう・・。)(追記5/9)「浄土真宗とは何か」(小山聡子著・中公新書)をもう一度読んでいたら、そのP.58に親鸞の父有範は「・・日野氏の中でも庶民の末に位置していた。したがって、その息子の親鸞、貴族として生きたとしても栄達はかなわなかった・・。」事が指摘してある。「六位」相当で、「四位~五位が下級貴族」であろとの事で、覚如が後年コメントしている内容はかなり「盛っている」のだそうだ。とすると①は事実ではない・・わけだ。

 

・別途、奈良博物館の「仏像館」で2点、春日大社国宝館で3点、西大寺で1点、秋篠寺で1点、大和文華館で2点、あとは、興福寺の東金堂で(カウントのため念のため再訪)5点(建物、文殊菩薩像、維摩居士像、十二神将像、四天王立像)、それから醍醐寺の霊宝殿の「さくら舞う醍醐寺 太閤秀吉の花見」展も見たので、そこの国宝3点(薬師三尊像(2脇侍含む)、五重塔旧四天柱、醍醐寺文書聖教(秀吉不比例北斗法次第および護摩壇図、神号「豊国大明神」豊臣秀頼筆)も加えると、今回新規に27点の国宝を見た勘定。(「塔を巡る旅」の時に、三重塔・五重塔・多宝塔中心に見て廻った。本堂だのご本尊もついでにみたが、「国宝」を追いかけるようになるとは思って居なかったので、今、再度、網羅的に再訪中。)

 

・まあ上記を順番が多少入れ替わるかもしれないが書いて行こう、