読書感想:「大名左遷」(岡崎守恭著、文春新書) | 雑文・ザンスのブログ

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・前回の「日本史」の中に出てきた、米沢藩の「転封」の件で少し気になっていたが、本屋の店頭でその答えのような新書(8/20日刊なので発刊されたばかり・・)を見つけたので読んでみた。その記述内容を敷衍して整理してみよう・・。

 

・大名を統制する最強の手段は改易(取り潰し)、と転封(国替え)である。「転封には石高を削る減知(げんち)(あるいは減封)の一方で、逆に石高が膨らむ加増もあったから必ずしも左遷だけではない。ただ先祖伝来の営々と培ってきた土地から切り離し、いやおうなく未知の土地に行かせるので「統制」ではある・・。」、「織田信長が企画、秀吉が実行、完成させたのは家康。」(p.3をまとめた)

 

・東北地方の平定に秀吉は伊達政宗から会津をとりあげ、伊勢の蒲生氏郷を大幅に加増して移した。氏郷が死去すると今度は、蒲生家を会津から出し、その後に、上杉景勝を越後から転封させた。これは江戸の北方で徳川の抑えになるとの読みだった。上杉は反徳川の姿勢を見せ、徳川の軍をひきつけ、これに呼応して、関西で石田三成が挙兵、「関ヶ原」の戦いが始まる。「関ヶ原」終戦後、上杉は徳川幕府から転封(減知)の憂き目に遭う。120万石から30万石へ!(そのあと世代交代の時の準備不足でさらに15万石へ減らされる。幕末に一時的に18万7千石に加増されるも戊辰戦争後に14万7千石に減封となり、その石高で廃藩置県を迎えた。)藩の「サイズ」が小さくなったのだから家臣の数も減らすしかないと思うが、名門上杉家にどこまでもついていった人も多く、米沢藩は困窮を極めた。士の内職とかが大いに奨励された。上杉鷹山の代で、殖産のめどもつき、一息ついた?のかな・・。

 

・この本では、「帯」にあるような、様々なパターンの転封が紹介されている。

 

(追記)

そういえば藤沢周平さんが書いた「義民が駆ける」は読書感想:「義民が駆ける」(藤沢周平著・講談社文庫) | 雑文・ザンスのブログ (ameblo.jp)にあるが、「三方領地替え」についての実話に基づく小説だった・・。

 

・「転封」もなく、無事、長年同じ領土を守った藩はないのか?と調べたら、奥州相馬氏、彦根藩(井伊氏)などがある。

 

・そういう意味では徳川家は800万石からのちの静岡藩に10分の1以下への石高減少となる、史上最大の左遷となった。70万石程度では養えるのは精々5,000人程度だが、1万2000人程度が移住し、大混乱になったという。