項羽と劉邦 鴻門の会 かなり変わった映画だったよ | ジイタンだよ みんな元気かい

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 『項羽と劉邦 鴻門の会』という映画観たよ。中国の映画だよ。


         


 ジイタンは歴史が大好きで、大学も歴史学科だったし、読む物の90パーセントくらいは歴史の本だから項羽と劉邦の物語も、本や映画やドラマなどで何度も読んだり観たりしているけれど、この映画はそれらとはまったく趣を異にした作品だったね。



 ドラマはね、劉邦とその臣下である韓信を主人公として、死の床にある皇帝・劉邦と反逆罪に問われ獄に繋がれている韓信のそれぞれの現在の映像と、夢を抱いて戦場を駆け巡っていた昔の映像とを交互に映し出す手法を取っているんだ。

 



 だからいささか、というか、かなりややこしいよ。こういう場合、たとえば現実の映像はカラーで過去の映像は白黒でとか、過去の映像は少しぼかしてなど、観る者がそれと分かる手法を取る場合が多いんだけど、この映画は全くそのようなことはせず、いきなり現実になりいきなり過去になるんだよね。



 おまけにね、歴史上の複雑な流れが何の解説とか説明も無しにどんどん流れてゆくから、それなりにあの頃の歴史に詳しくないと何のことやらさっぱり、なんてことになるかもしれないね。

 
     



 物語の骨子はね、衰退する秦帝国を倒すべく立ち上がった項羽と劉邦が、互いにライバル意識をむき出しにして先陣争いをし、先ずは劉邦軍が先陣を切るんだけど、劉邦軍とは比較にならない大軍を擁する項羽軍がやってきて難癖を付け、劉邦を倒そうとするいわゆる鴻門の会を中心として、何とかその牙を逃れ、体勢を立て直し、韓信という稀代の有能な将軍も得、張良や䔥可といった参謀にも恵まれて様々な策を弄し、ついには項羽を倒して漢帝国を打ち立てた劉邦。

 



 だがその彼も今は老いて死の床にあり、悪夢にうなされている。その悪夢の相手は項羽と韓信。そんな劉邦の気持ちを察してか、あるいは漢帝国の憂いを今のうちに取り除こうとしてか、妻の呂皇后は謀って韓信を殺害する。



 そして劉邦も波乱の生涯を閉じる。と、そんな風に展開するんだ。

 
   



 でね、史実として記録されていることも、真実かどうかなど分からない、記録させた者の意図によってどうにでもなるのだから、といった痛烈な皮肉も込められているよ。最後の頃に出てくる、鴻門の会の記録について記録者たちを叱りつける䔥可の言葉にも良くそれが現れているね。

 
     



 映画の最初にね、この作品は「史記」による、といった説明文字が映されるんだけど、あの文字はそのまま“「史記」だって真実かどうか怪しいもんだ”と、䔥可を通して言わせているんだね。この映画で制作者たちが一番伝えたかったのは、このことだったのかもしれない。

 
      



 全編重々しく、暗い、ジメジメした雰囲気の映画だけど、こういう描き方もあるんだなーって、ジイタン感心しながら観られたよ。


 じゃまたね