
👆
桜さざ波の社紋
第38代天智天皇をまつる近江神宮は、天智天皇の古都、
近江大津宮(大津京)跡に鎮座する神社です。
滋賀県西部の大津市中心部にほど近い、琵琶湖西岸の
山裾にあります。旧官幣大社・勅祭社で、社殿は近江造り
・昭和造りといわれ、近代神社建築の代表として登録文化財
となっています。
開運へのみちびきの神、産業文化学問の神として崇敬が深く、
また漏刻(水時計)・百人一首かるた・流鏑馬(やぶさめ)
で知られ、境内に時計館宝物館があり、漏刻・日時計なども
設けられています。また、神前結婚式のほか、初宮詣(お宮参り)
・七五三・車のおはらいや各種祈願なども申し受けています。

ご祭神 天智天皇(天命開別大神)
ご神徳 時の祖神
開運・導きの大神
文化・学芸・産業守護
二の鳥居
近江神宮句碑から右手に歩きます~
12ヶの歌碑・句碑があるそうです
楼門
楼門を背後から![]()
向かって左側は神符授与所
外拝殿
内拝殿
内拝殿と本殿
外拝殿中央から両端まで進むと内拝殿の上横に千木
・鰹木のある本殿が望めます
近江神宮は、神武天皇即位紀元2600年を記念して、
昭和15年(1940年)に創祀されました。
この神社で覚えておきたいキーワードは、天智天皇
(てんちてんのう)とかるたの殿堂!
近江神宮があるこの地は、飛鳥時代の667年に遷都
された近江大津宮(おうみおおつのみや)という都が
あった由緒正しい土地。
その遷都を行った人物こそが、何を隠そうこの神社の
主祭神である天智天皇なんです。
このお方、天皇になる前は中大兄皇子(なかのおおえの
おうじ)という名前でした。
そうです、645年に成立した天皇中心の政治手法である
大化の改新(たいかのかいしん)を行った人物です。
「むしごめ(645年)食べて、大化の改新」。
天智天皇の神様としての名前は、運命開拓のご利益を持つ
とされる天命開別大神(あめみことひらかすわけのおおかみ)。
そんな神様でもある天智天皇は、「小倉百人一首の最初の
和歌」を詠んだ歌人としても有名です。
小倉百人一首は、天智天皇が詠んだこんな歌で始まります。
「秋の田の 仮庵(かりほ)の庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ
わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ」
意訳すると、
「ちょ、おま、いま田んぼの実りを見るために建てた仮小屋
におるんやけど、めちゃぼろいから夜露で着物がびっしょびしょ。」
絵馬
栖松遥拝殿
外廻廊 百人一首
板かるた

日時計(矢橋式)
👆
東(8)緯(16)&北(5)緯(16)=24&21=45
1&3&5&5&1&3&5&2=15&10=25
45&25=70
天(4)智(12)=16
近(6)江(6)神(9)宮(10)=31
31&16=47・・・4&7=11
70&11=81・・・18(6 6 6)
矢橋式日時計は岐阜天文台の矢橋徳太郎氏が考案したもの。
上部のひさしの形をした板の影は、午後1時までは右側、
午後1時以降は左側の目盛りに落ちる。半円形の目盛板は
可動式で時刻の狂いを調整できるようになっている。
漏刻レプリカ(水時計)
漏刻は、3層に別れた枡(ます)から漏れ落ちる水の量によって
時間を計る。最下層には、1目盛りが約10分を示すように印を
付けた矢が浮石に取り付けられている。
古代火時計
龍をかたどった火時計は、約4000年前の中国で、主に夜間
の時刻を計るために用いられていたという。龍の背に吊り
下げられた14個の銅球の糸を、線香の火が焼き切ることで
ドラが鳴る。
1920年に東京天文台(現国立天文台)と生活改善同盟会
が、時間の大切さを啓蒙するために制定したのが、その
始まり。多くの記念日にありがちな語呂合わせではなく、
671年6月10日(旧暦4月25日)に、国内で初めて時計
によって時間を計り、鐘を鳴らしたことに由来するという。
👆
1&9&2&6&7&1&6&1=12&21=33(11×3)
6月10日 漏刻祭
わが国の時刻制度は、今をさかのぼること1350年の昔、
天智天皇の御代に大津の都に漏刻(ろうこく)を設置され時間
を知らされた御事績に始まります。漏刻とは水時計のことで
あり、日本書紀には、初めて漏刻を用い鐘鼓を鳴らして時を
知らされた、と記録され、時の記念日の由来ともなりました。
・時計メーカーによる時計献納・舞楽奉納・境内にある
時計館宝物館の無料公開
・古代火時計の実演(9時30分~16時30分)が行われます。
漏刻祭では、王朝装束をまとった時計業界関係者・びわ湖大津
観光大使・采女が、各メーカーの時計新製品を御神前にお供え
して時計の歴史の進展を奉告して感謝の誠を捧げます。

自動車清祓所(旧大津地方裁判所車寄せ)
大津事件とは、1891年(明治24年)5月11日、日本を訪問
していたロシア皇帝の皇太子・ニコライ(ニコライ2世)
が、警備を担当していた警察官「津田三蔵」にサーベルで
突然斬りつけられ、負傷した暗殺未遂事件のことを言います。
まだ発展途上であった日本が武力報復されかねない緊迫した
状況下で、行政の干渉を受けながらも司法の独立を維持し、
三権分立の意識を広めた近代日本法学史上重要な事件と
されています。
小国であった日本が大国ロシアの皇太子を負傷させたとして、
「事件の報復にロシアが日本に攻めてくる!」と日本中に
激震が走り、日本中がロシアに恐怖心を持ってしまう「恐露病」
と言われる集団ヒステリーのような病気が現れ始めます。
日本政府はロシアに誠意を見せようと、是が非でも暗殺未遂
事件を起こした津田三蔵を死刑にして見せしめにするように
強く圧力をかけていったのです。
1&8&9&1&5&1&1=26
「津(9)田(5)三(3)蔵(14)」=31
26&31=57
57&三=60
神宮茶寮 あんみつ![]()



































