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☆ sweet home ☆

大好きなsweet&簡単で美味しいお家ごはんを載せてます。
そのほかに、音楽情報など盛りだくさんでよろしくで~す♪
脱原発など日々、感じたことも載せています。

 

天智天皇は、その6年(667)、斉明天皇の御時から都を

置かれていた飛鳥岡本宮より、近江大津宮に都を移されました。

それまでの多くの都が置かれた飛鳥近辺から離れたこの地

ですが、ひとつには、大化の改新の理想に基づいた政治改革

を行うために人心の一新を図ることを目的とされました。

それとともに、同盟国であった百済への援軍を出して唐

・新羅連合軍と戦った、4年前の白村江での敗戦後、本土

侵攻への危機が深刻になったことから、国土防衛の根幹と

して、天然の要害であり交通の要衝でもある大津に遷都

したものと考えられています。
 5年後に起った壬申の乱の敗戦によりわずか5年半の都

に終ったわけですが、この短い期間に大津宮において画期的

な新政治を推進されることになり、ひいては近江国・滋賀県

の発展の基ともなりました。

 

 

系図・地図年表で学習する日本史重要事件 (gifu-net.ed.jp)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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苫屋(とまや)は苫葺き(とまぶき)の粗末な小屋や小家屋

のこと。苫(とま)はスゲチガヤなどで編んで作った

(むしろ)のことで、小屋の屋根や舟の覆いに用いる[1]

 

 

百人一首【Poem card game】

歌がるたの代表であり、藤原定家撰(ふじわらのさだいえせん)

という「小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)」という

天智天皇から順徳天皇の時代までの歌人百人の歌一首ずつを

記載した内容です。

 

👆

天(4)智(12)=16

順(12)徳(14)=26

16&26=42・・・4&2=6

小(3)倉(10)百(6)人(2)一(1)首(9)=31

百&一=101

31&101=132・・・1&3&2=6

 

 

「田辺聖子の小倉百人一首」によれば、百人一首は

言葉あそびのジグソーパズル。

織田政吉氏の『絢爛たる暗号』によれば、

天智天皇は大化の改新のクーデターをおこして新しい

時代をきりひかれた。これを承久の変を引き起こして

失敗された後鳥羽院と対峙して、後鳥羽院の無念の

思いと果たすべかりし夢を暗示しているというもの。

しかも歌の「かりほの庵の苫をあらみ」は後鳥羽院

流浪の地、隠岐の、粗末な行在所の暗喩でもあるという。

選者の定家は、歌の魔法陣に囲まれて・・・

 

百人一首の魔方陣: 藤原定家が仕組んだ古今伝授の謎をとく

鎌倉時代の歌人、藤原定家が小倉山の私邸に籠もり古今

の和歌から優れた作品を百首選定したのが始まりとされる

『小倉百人一首』、それがとある目的をもって作られた

魔方陣だった、との謎解きが一人の数学者によってなされる。
 その経緯を追っていくと、何やら“ダ・ヴィンチ・コード”に

込められた謎解きにも似て、引き込まれて読み終えた。

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近江勧学館にて

 

 

 

 

 

👆

3&1&7=11

14人

ちはやふる=13

11&14&13=38・・・3&8=11

「ちはやふる -結び-」予告

 

 

 

 

 

 
 

 

画像

千早、新、太一

 

 

ちはやふる=(13)

府(8)中(4)=12

13&12=25・・・2&5=7

天(4)智(12)=16・・・1&6=7

2&5&1&6=14(7 7)(11×7)

 

6&7&1&6&1=21

&1=101

1&5=6

21&101&6=128・・・1&2&8=11

👇

 

「ちはやふる」・・・「勢いの激しい」という意味

 

 

 

 

日本史【飛鳥時代】大化の改新、乙巳の変、壬申の乱、

律令国家へ「早わかり歴史授業10」

👇

 

 

 

645年天智天皇0歳で乙巳の変を起こし、35歳で国政のトップ

67246歳で 近江大津宮で崩御崩御

👆

6&4&5&6&7&2=30(15  15)

2&4&6=12

30&12=42・・・4&2=6

 


 

 

高句麗と百済による反唐同盟の結成を受けて、日本でも

「親大陸(唐)派で政治を牛耳る蘇我氏を倒せるのでは」

という動きがあったとされており、このあとの「大化の改新

(乙巳の変)」に繋がるきっかけだったと考えられています。

当時は大陸から日本に多くの人々が流れ込んでおり、朝鮮

半島の三国が内部で争っている様子を見て、日本の支配者層

も意見が分かれました。「唐に従うか」「自立して戦うか」

という選択を日本も迫られていたのです。

親唐派か、反唐派か。

日本の支配者層も二つに割れました。その結果が「乙巳の変

(大化の改新)」であり、蘇我氏の打倒に繋がったと考えら

れています。

大陸(中国)で生じた政治的動向が、当時の日本に直接影響

を与え、大化の改新という政治改革を引き起こしたのです。

日本史の授業では教えられないことも多いですが、朝鮮の

淵蓋蘇文のクーデターは、大陸(朝鮮半島)の動向が日本

にも影響を与えた一例です。

 

 

 

 

シ96-SC-83_R.jpg

 

 

 

 

大化の改新以降天智天皇の片腕であり盟友であり、またお目付け

役でもあった中臣鎌足が亡くなると、状況が変わってくるのです。

天智天皇は長年の功績に報いるため、鎌足に「藤原姓」を与えました。

これが後に隆盛を極める藤原氏の起源になります。

中臣鎌足が亡くなってから、天智天皇は失意し病気がちになり、

また宮中は不穏な空気が流れるようになりました。

そして天智天皇もまた、病で倒れ崩御しました。

この死因に関して、唐が関与した暗殺説や、靴だけを残して姿

を消したというような神仙化したような説もあります。

また、九州の倭国系の刺客の攻撃によるもの、という説もあり

ますが、どれもはっきりとした証明はなされていません。

しかし日本書紀に「天皇が病に倒れる」「天皇が崩御」という

記述があることから、病死と考えるのが一般的だと思われます。

 

https://www.emperor-history.com/tenji/post-293