1年間を振り返って | ☆ sweet home ☆

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大好きなsweet&簡単で美味しいお家ごはんを載せてます。
そのほかに、音楽情報など盛りだくさんでよろしくで~す♪
脱原発など日々、感じたことも載せています。

 

今年も私のブログに立ち寄り、ありがとうございましたm(__)m

いいね!のベスト3を載せておきます。

日本人にとってお米は重大な関心ごとの一つですが、値上がり

が続いていますよねえー

また、レイラインについては、情報が色々ありますので

合わせてアップしています。

レイラインについては、昔の人がどうして緯度・経度等知らずに

作ったのか不思議なので、また来年深堀りしたいと思いますニコ

 

 

 

 

 

 

 


 

 


『ダイヤモンド富士とレイライン「太陽の道」』

 


 

 

 


 

 

 

 

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弥生時代には、日本の稲作農業は完成されていたといわれて

います。弥生時代の農耕集落である静岡県の登呂遺跡からは、

弥生水田が発見されています。

この弥生水田は杭などで補強され、畦(あぜ)できちんと

区別されていました。用水路も整備されていたことから、

弥生時代には稲作農業が完成し、盛んに行われていたようです。

飛鳥時代には、国から国民に一定の田んぼを与え、現代で

いう税金を「年貢(ねんぐ)」としてお米で納めていました。

奈良時代には「墾田永年私財法」が制定され、自分で開墾

した田んぼは永久に私有地として良いことになり公地公民制

は崩壊します。この頃、貴族や寺院などのお金を持った人々

が農民を雇い開墾させることで私有地を増やし、さらに権力

を増強させたそうです。

税金がお米からお金での納付に変わったのは、明治時代です。

豊作や凶作、米価の変動で政府の収入が左右されるのを改善

するために「地租改正」が制定され、これにより政府は安定

した現金収入を得ることが可能となりました。

その後、昭和の戦時中には食糧不足に見舞われ、お米が国家

管理となったこともありました。

平成になるとお米の流通が自由化され、農家やJAはどこでも

自由にお米を販売できるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平安時代の平均寿命は男性33歳、女性27歳くらいだったと

いわれています。三大死因は、結核、脚気、皮膚病だった

ようです。

平安時代の食事は、貴重な白米が何よりの御馳走でした。

貴族は御馳走である白米を主食して一汁三菜の食事をして

いた一方、武士や庶民は貴族と違い、ご馳走である白米は

食べられず、雑穀を主食として一汁二菜の質素な食事でした。

平安時代は魚が食事の主菜であり、ごく簡単な調理方法で

貴族、武士、庶民ともに簡単な味付けで食事をしていました。

 

 

 

 

和気清麻呂の銅像は、大手町一丁目4、大手濠緑地内に

あります。
 奈良朝期末の廷臣、地方の豪族出身で藤原仲麻呂の乱で

天平神護一年(765)右兵衛尉となり、姉広虫とともに信任

を得た。神護景雲三年(769)道鏡が皇位をうかがった時、

宇佐八幡の信託をきき道鏡の野望を挫いた。清麻呂は別部

穢麻呂と改名され大隅(鹿児島)に配流、天皇の死後、

道鏡失脚により復帰した。光仁・桓武天皇深く信頼され、

平安遷都を推進、造都に活躍している。
この像は、昭和15年、紀元2600年記念事業として建立、

楠公銅像とともに文武の二忠臣を象徴したものである。

 

 

 

 

和気清麻呂が見出した平安京のレイライン – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究

このようなレイラインの考察方法を、空海は和気清麻呂から

学んだのではないでしょうか。