ヨンハ家族の宿泊した[塔ノ沢一の湯本館]の絵画がテレビ出演したそうです ニコ

この絵をヨンハも見たのでしょうか!?

ちなみに、安藤広重(山川出版社では歌川)が正しいですね~~

2007/8/30から、ヨンハが箱根へ家族旅行しました。

 

 

2007/8/29「永遠」発売記念イベントinパシフィコ横浜国立大ホール

ファン5000人招待

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千鳥

 

 

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塔ノ沢一の湯 本館
〒250-0315 神奈川県足柄下郡箱根町塔之澤90

温泉をかけ流しの浴槽でお楽しみいただける露天(展望)風呂付客室も

ご用意しております。
全室が早川渓谷に面しており窓からは、四季折々に趣のある箱根の

自然をお楽しみいただけます。
2009年には、国指定登録有形文化財(登録番号14-0155)へ指定され、

歴史的景観に寄与している建造物と認定されています。 

 

 

松尾芭蕉の全句

星崎の闇を見よとや啼く千鳥  笈の小文

貞享4年(1687)

 

 

 

 

チドリ目チドリ科の鳥の総称。約60種が南極を除く世界中に分布。

くちばしは短く、足の指はふつう3本。海岸や河原で、少し歩いては

地をつついてえさをとる。イルカチドリ・シロチドリケリコチドリなど。

冬》

たくさんの鳥。いろいろの鳥。ももどり。ももちどり。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/千鳥/

 

 

 

 

■浮世絵の世界にタイムスリップ■
有形登録文化財である塔ノ沢一の湯本館は安藤広重が描いた

『箱根七湯図会』の塔ノ沢に描かれています。
一の湯ではその『箱根七湯図会』の本物を所有しており、先日

「なんでも鑑定団」に出演いたしました。
それを記念して期間限定で本物の浮世絵を鑑賞できるようフロント

ロビーにて展示いたします。
一の湯本館に泊まって江戸の世界にタイムスリップし、当時の旅情

を少しでも感じていただければと思います。

露天風呂付客室 客室露天風呂から早川渓谷を間近に望める

風情あるお部屋です

https://asp.hotel-story.ne.jp/ver3d/ASPP0200.asp?hidSELECTPLAN=A6B78&hidSELECTCOD1=39010&hidSELECTCOD2=001&hchannel=&reffrom=

 

 

 

 

2021年68日放送

歌川広重作 「箱根七湯図会」

1630年創業「塔ノ沢 一の湯本館」の16代目代表取締役社長。

他にも旅館とホテルを9施設運営し、『リーズナブルな価格で旅を

気軽に楽しんでもらいたい』をモットーに日々奮闘している。

お宝は70年程前、祖父が友人から貰った物。その友人は旧三井

物産創始者で骨董収集家でもあった益田孝(号・鈍翁)の孫で、

鈍翁のコレクションの中から一の湯にまつわるこのお宝をタダで

譲ってくれた。

 
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【七湯の浮世絵】

 箱根七湯を浮世絵で始めて紹介したのは、鳥居清長の「箱根七湯名所」

(天明元年(一七八一)・永寿堂)であった。清長は、このシリーズで七湯の

各湯治場に江戸美人を配し、情感溢れる七湯浮世絵を描き出している。

しかし、箱根七湯の風景や風俗が実在感をもって描き出されるのは、

旅の浮世絵師安藤広重の登場を待たねばならない。

 広重が描いた箱根七湯の浮世絵は、箱根塔之沢を画題とした「箱根湯治ノ図」

(本朝名所)(天保三~十二年・松原屋)をはじめとして「箱根八湯」(天保六・

七年・堂川堂)、「箱根七湯図会」(嘉永五年・佐野喜)、三代豊国との合作

「雙筆七湯廻り」(安政五年・伊場仙)、「七湯方角略図」(安政前期・福住九蔵版)、

「箱根湯本福住九蔵宅図」(安政前期・同上)その他一四点を数え、更に丹波

コレクションの「箱根写生画帖」(神奈川県立博物館蔵)などの肉筆浮世絵など

を加えるならば、その点数はかなりの数に達する。

 

 

 

 

 

神霊の山(古代から近世まで)

箱根の主峯は神山と呼ばれている。古来神山は山岳宗教の霊山として崇敬され、

人々はみだりに近づかず、山林には斧鉞が入れられなかった。

 奈良時代、万巻上人は箱根権現を創建した。

 

 

 

 

関東大震災の深い傷あとから箱根山がようやく立ち直りつつあった昭和

(一九三〇)、再び大地震が箱根を襲った。昭和十一二十六日午前

分、伊豆半島及び箱根を中心に起きたいわゆる豆相地震である。

震源地に近い島測候所では、地震計が測定できぬほどすごいものであった

という。この地震により箱根地方、特に震源地に近い箱根町、元箱根、芦之湯

地区は大きな被害を受けた。家屋の倒壊、道路の決壊が至るところで起き、

交通が杜絶した。

昭和四年(一九二九)十月、ニューヨーク株式市場の暴落から起こった恐慌は、

昭和五年(一九三〇)に入ると日本へも波及し、当時横浜口雄幸内閣によって

進められていた金解禁政策により不景気の色の濃かった日本経済は、世界

恐慌の荒波を受け、予想以上の苦境に陥った。

恐慌の衝撃は、造船、鉄鋼、電気など京浜地区の基幹産業を揺り動かし、

暗い不景気のどん底に低迷した。大正後年から交通機関の整備とともに

大衆化の道を歩み始めてきた箱根温泉も、入湯客の減少という事態の

なかで、不景気からの脱出を誘客宣伝と環境整備に求め、箱根振興会を

中心として精力的な活動を開始した。

 

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五&49&三=5&52=57・・・5&7=12(6 6)

 

 

(Wiki)

北伊豆地震(きたいずじしん)は、1930年昭和5年)11月26日早朝に発生した、

直下型の地震。地元では伊豆大震災(いずだいしんさい)とも呼ばれる。

震源地は静岡県伊豆半島北部・函南町丹那盆地付近。地震の規模はMj7.3

 (Mw6.9)。北伊豆地震地震断層系の丹那断層などの活動により生じた。

震源に近い静岡県三島市で震度6の烈震を観測したほか、有感地域は広く、

北は福島県・新潟県、西は大分県まで揺れを感じた。地震発生が早朝だった

ため、火災は少なかったが、死者・行方不明者272名など大きな被害を出した。

発生日 1930年昭和5年)1126
発生時刻 4246.9秒 (JST)
震央 日本の旗 日本 静岡県伊豆地方
北緯352.3
東経13858.6分(地図
震源の深さ 1 km
規模    マグニチュード (M)7.3
最大震度    震度6静岡県 三島市

 

1&9&3&1&1&2&6&4&2&4&6&9=23&25=48

3&5&2&3&1&3&8&5&8&6=13&31=44

1&7&3=11

48&44=92・・・9&2=11

 

 

 

 

箱根は台風被害・コロナの影響で、大変みたいです~

昔も同じような時期があったのですね真顔

震源の深さ1キロってあり得ないですっ叫び

死者・行方不明者272名・・・2&7&2=11  イラッ