富士山、異例の少雪/宝永大噴火/人類最後のクリスマス!? | ☆ sweet home ☆

     

     

     

    富士山、異例の少雪 降水なく山肌目立つ

     

    北日本の日本海側や北陸を中心に大雪が続いた一方で、富士山は12

    にしては異例の少雪となっている。

     21日も南東の静岡県御殿場市側で裾野が雪化粧しているのを除いて、

    黒い山肌を見せている。

     甲府地方気象台によると、冬型の気圧配置では日本海側は雪、太平洋

    側が晴れとなる。麓の河口湖(山梨県富士河口湖町)の地域気象観測

    システム(アメダス)は日以降、降水を観測していない。

     御殿場側の積雪は局地的な雲の発生によるとみられる。週間天気予報

    は山梨県、静岡県とも27日まで晴れる日が多く、富士山の本格的な

    雪化粧は少し先になりそうだ。

     

     

    1&2&2&1&6=3&3&6=12(6 6)

    1&8=9

    1&2&1&8=12(6 6)

     

     

    冬晴れの空にくっきり富士山 南東側の雪はうっすらと残る

    ウェザーニュース / 2020年12月18日 9時30分

    1&2&1&8&8&2&7=12&17=29

    今日18日(金)は冬型の気圧配置が少し弱まっているものの、関東から

    山梨、静岡方面にかけては朝から冬晴れの青空が広がっています。

    冷たく乾いた空気に覆われているため視程が非常に良く、6時の東京

    40kmと遠くまで見渡せる状況です。

    西の方角に雲がほとんどないことから、富士山の姿もはっきりと見え

    ています。週はじめに山頂から南東側の斜面だけに積もった雪は、

    まだうっすらと残っていて、神奈川県大磯町で撮影された写真でも

    その様子がわかります。風が強く、積もった雪が吹き飛ばされやすい

    山頂付近に比べ、裾野の方が雪が多く残っています。

     

    南側からは相変わらず雪見えず

    1&2&1&8&7&5&6=12&18=30

    その方で、山頂から南側に位置する静岡県富士市や富士宮市などから

    は全く雪が見えず、山頂では昨日17日(木)にこの冬最低の-27.8℃を

    記録するなど厳しい寒さが続く中、夏のような姿が依然として見られて

    います。

    富士宮市からは真っ青な空をバックに稜線まで確認できるものの、雪

    らしきものはありません。静岡など太平洋側で次に降水の可能性が

    あるのは、来週の24日(木)頃です。それまでは雪を被った富士山は

    お預けとなりそうです。

     

    参考資料など

    写真:ウェザーリポート(ウェザーニュースアプリからの投稿)

     

     

    1&8&6&4=9&10=19

    1&7&2&7&8&2&4=8&17&6=31

    一&19&31=1&50=51・・・5&1=6

    29&30=59

    51&59=110

     

     

     

     

     

    8

    清水港

     

     

    現在の富士山の様子 (富士宮)

     

     

     

     

     

    御殿場合同庁舎

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    富士山(

         
         

     

    200~300                 噴火

    500~600                 噴火

    750頃   噴煙(噴火?)。万葉集に詠まれている。
    781年  

    噴火。続日本紀に「山麓に降灰し、木の葉枯る」とある。

    800頃 桓武天皇 登山。大宮口より登ったという。
    800   噴火。日本紀略に「山頂の大噴火が荒れ狂い川の水を紅色とした」とある。
    802   噴火。山頂より火山弾・火山灰。東斜面の小富士誕生(?)。
    864~865       噴火。北斜面の長尾山からの熔岩により青木ヶ原樹海形成。
    870 噴煙(噴火?)。
    都良香は山頂火口内に沸湯池があることを富士山記に記録。
    932   噴火。山頂より。
    937   噴火。北斜面より。鷹丸尾溶岩流・檜丸尾溶岩流は山中湖をせき止めた。
    952   噴火。北東斜面より。神火、水神を埋とある。
    993   噴火。北東斜面より。
    999   噴火。山頂より本朝世紀に「不字御山、焚く」とある。
    1017   噴煙(噴火?)、更級日記。
    1033  

    噴火。南斜面より。日本紀略に「富士山噴火、峰より起り、山脚に至る」とある。

    大沢崩への溶岩流。

    1083   噴火。扶桑略記に「富士山焼燃」とある。
    1331   地震。山頂崩壊。太平記。
    1511   噴煙(噴火?)。勝山記に「窯岩燃ゆ」とある。
    1560   噴火。側火山(?)。日本災異志。
    1600頃 藤原角行 登山。合計128回登り、富士講を開く。
    1700   噴火。斜面に小形爆裂火口が誕生。日本災異志。
    1707   噴火。宝永火口形成。

     

     

     

    宝永大噴火(ほうえいだいふんか)とは、江戸時代中期の1707年

    宝永4年)に起きた富士山噴火である。2020年現在、最も新しい

    富士山の噴火となっている。

    噴火は約2週間続き、総噴出量は、約7×108 m3と推定されている。

    火山を専門とする分野では単に「宝永噴火」と書く場合が多い。

    噴火による直接の死者は記録されていないが[3][4]、噴煙から降下

    したスコリア火山灰よる火災やそれらの急激な堆積などで、主に

    富士山から東側の地域で甚大な被害が発生した。

    宝永大噴火は、歴史時代の富士山三大噴火の一つであり、他の二つ

    平安時代に発生した「延暦大噴火(800年 - 802年)」と

    貞観の大噴火(864年 - 866年)」である。

    宝永大噴火以後、現在に至るまで富士山は噴火していない。

    宝永大噴火は宝永4年11月23日(1707年12月16日)に始まった噴火

    である。富士山の噴火規模としては非常に大きな部類に属する。また

    噴火の直前に記録的な大地震があったり、大量の火山灰を広範囲に

    降らせたなど特徴的な噴火であった。

    またこの際、長野県の安大温泉で温泉の噴出も確認されている。

    噴火の始まる49日前の10月4日10月28日)に推定マグニチュード

    8.6 - 9クラスと推定される宝永地震が起こった。この地震の震源は

    定期的に巨大地震を起している南海トラフであり、日本最大級のもの

    であった。遠州沖を震源とする東海地震紀伊半島沖を震源とする

    南海地震が同時に発生したとの見方もあった[15]。地震の被害は東海道

    紀伊半島四国におよび、死者2万人以上、倒壊家屋6万戸、津波

    よる流失家屋2万戸に達した。

    宝永地震の翌日卯刻(6時頃)、富士宮付近を震源とする強い地震

    宝永富士宮地震)があり、駿河甲斐で強く感じられ、村山浅間神社

    付近では社領の家が残らず潰れ、11月10日12月3日)頃から山麓で

    地響きが始まった。また、この4年前、元禄16年11月23日1703年

    12月31日)に発生した元禄地震の後にも、12月29日1704年2月4日

    頃から山鳴りが始まったことが『僧教悦元禄大地震覚書』に記されている。

    宝永地震の余震と宝永火口付近直下の浅い地震活動が続く中、11月22日

    12月15日)の夜から富士山の山麓一帯ではマグニチュード 4から5程度

    の比較的強めの地震が数十回起こった。23日(16日)の10時頃、富士山

    の南東斜面から白いのようなものが湧き上がり急速に大きくなっていった。

    噴火の始まりである。富士山の東斜面には高温の軽石が大量に降下し家屋

    を焼き田畑を埋め尽くした。夕暮れには噴煙の中に火柱が見え、火山雷

    よる稲妻が空を飛び交うのが目撃された。

    江戸でも前夜から有感地震があった。昼前から雷鳴が聞こえ、南西の空

    から黒い雲が広がって江戸の空を覆い、空から雪のような白い灰が降って

    きた。また大量の降灰のため江戸の町は昼間でも暗くなり、燭台の明かり

    をともさねばならなかった。別の資料では、最初の降灰はねずみ色をして

    いたが夕刻から降灰の色が黒く変わったと記されている

    (伊藤祐賢『伊藤志摩守日記』)。

    宝永大噴火は宝永41123日(17071216日)に始まり128

    1231)に終焉した。この期間噴火は様ではなく最初の4日は

    激しく噴火したが、その後小康状態をはさみながらの噴火が続いた。

    宝永大噴火では溶岩の流出などによる被害はなかったが、大量の火山灰が

    広範な地域を覆った。

     

    4&1&1&2&3&1&2&8=4&7&11=22(11×2)

    1&7&7&1&2&1&6&1&2&3&1=15&10&7=32

    一&4&22=27

    27&32=59

    7&1&8=16(8 8)

    59&16&2=75&2=77(11×7)

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    【メリークリスマス2020】ひょっとしたら人類最後のクリスマス

    になりそう!?良い年末年始をお祈りいたします。

    井口博士のサイトより
    https://quasimoto3.exblog.jp/240762063/

     

     

     

    (wiki)

    4.共産主義大国が、中華人民共和国に取って代わった。

    ソビエト連邦の崩壊は、これら五つの意味を持つ。1989年から1992年

    までは、東欧の脱共産化、東西ドイツの統一、そしてこのs簿画と連邦

    の崩壊というように、冷戦が終わると同時に「世界地図が塗り替わった

    時代」であり、冷戦の一方の超大国であるソ連の崩壊はそれを象徴する

    大事件でもある。

    12月25日19時の会見で、ミハイル・ゴルバチョフソビエト連邦大統領

    の辞任を表明し、辞任と同時にクレムリンに掲げられていたソビエト連邦

    の「鎌と鎚の赤旗」の国旗も降ろされ、これに代わってロシア連邦

    白・青・赤の三色旗」の国旗が揚げられた。翌日12月26日にはソ連

    最高会議共和国会議ロシア語版でソ連の消滅が確認された。

     

     

     

     

     

    1991年12月25日   ソ連崩壊 (チェルノブイリ原発事故1986年4月26日1時23分 )

    2001年 9月11日    アメリカ同時多発テロ  ( 8時46分)

    2011年 3月11日    東日本大震災            (14時46分)

    2020年 3月11日    コロナパンデミック       (WHOパンデミック宣言)

                                                              (2019年12月8日 中国武漢から)

    2021年                 !?