阪神・淡路大震災22年 災害への備え見つめ直す
<神戸新聞>
阪神・淡路大震災22年 災害への備え見つめ直す
6434人が亡くなり、3人が行方不明になった阪神・淡路大震災は17日、発生から
丸22年を迎えた。今なお被災地には、借り上げ復興住宅からの退去や災害援護
資金の返済など、被災者が直面する課題も残る。
神戸市中央区の東遊園地では同日早朝、「阪神淡路大震災1・17のつどい」が
開かれ、地震が起きた午前5時46分に合わせ、遺族らが黙とうした。
東遊園地には、午前5時前から遺族や被災者らが集まった。
「1995 光 1・17」の文字が揺れる竹灯籠を囲み、亡き人を悼んだ。
阪神・淡路大震災から22年。神戸・三宮の東遊園地には、竹灯籠
にともされた火で「1995 光 1・17」の文字が描かれた=17日
午前5時46分、神戸市中央区加納町6(撮影・三浦拓也)
2+2+1+9+9+5+1+1+7+1+7+5+4+6+6=66(11×6)
現地で開かれた神戸市が主催する式典では、遺族を代表して、同市東灘区で被災
した大鳥居慎司さん(58)=大阪府和泉市=が思いを述べた。妻裕美子さん=
当時(32)=を震災で亡くし、残された幼子の兄と妹2人を育てた日々を振り返った。
大鳥居さんは震災後、「ママは天国からいつ帰ってくるの」と聞かれ、答えられず
泣き出した。でも「子育てという目標があったからこそ悲しみを乗り越えられた気が
する」と22年を振り返った。
今はスーパーで総菜を買ってくるような生活で、「妻は天国から私たちを見守り、
ときには怒ってくれる家族の一員です」と話した。
◇
街並みは復興したとされる阪神・淡路の被災地だが、今も残る課題がある。
自治体が被災者に提供した「借り上げ復興住宅」は、相次いで20年の借り上げ
期限に達し、継続入居を求める被災者の退去を求めて神戸市や西宮市が提訴した。
また、国と自治体が被災者に貸し付けた「災害援護資金」は、昨年9月末時点で
77億円以上が返済されていない。
全国で自然災害が続く中、阪神・淡路で得た教訓を広く生かす取り組みも欠かせない。
神戸新聞社は「震災20年」を前に、復興課題の一つに、災害による治療中断や
劣悪な避難環境で亡くなる「関連死」を挙げ、事例やデータを蓄積して防止策に
生かすよう提言した。昨年4月に起きた熊本地震では、関連死が1月16日時点で
計123人に上り、防止策の必要性が一層浮き彫りになっている。
神戸新聞社から6つの提言
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201701/0009836343.shtml
名を呼び悼む、大震災の死者5586人 神戸
震災死者の名前の読み上げを企画した高原耕平さん(前列左から2人目)ら
=神戸市長田区二葉町7(撮影・中西大二)
阪神・淡路大震災から22年となるのを前に、神戸市東灘区出身の大阪大大学院生、
高原耕平さん(33)が、震災で亡くなった人の名簿作りを進めている。震災では
6434人が亡くなったが、その名簿はない。高原さんらは一人一人の死を見つめ
直そうと、16日夜から17日にかけて、「名を呼ぶ日」として、名簿に掲載した5586人
の死者名を読み上げて追悼する。
高原さんは神戸市東灘区の森南地区に住んでいたが、震災前年に転居。
震災で森南地区は壊滅的な被害があり、同級生も亡くなった。ただ、震災時は小学
5年生で、「自分の知らない間に復興が進んでいた」。
高原さんが再び震災に目を向けたのは、東日本大震災がきっかけだ。それまで大学
で哲学を研究していたが、「神戸での宿題がそのままになっていたのではないか」と
思った。阪神・淡路に軸足を置き「心のケア」などを問い直す研究を始めた。追悼行事
にも足を運び、「6434人と簡単に言うが、名前を呼ぶことで事実に向き合うことができる
のではないか」と感じた。
ただ、名簿はない。直後に各新聞社が紙面に掲載した死者の名前はあったが、読み
方は分からず、その後に市町から震災関連死に認定された死者なども入っていない。
震災死をめぐり、「根本的な事実があいまいになっている」と分かった。
文献などから名前をノートに写すと10冊にもなった。分かる範囲で読み方を確認し、
今後、遺族に直接理解を得ようと考えている。作業は何年にも及ぶ見通しだ。
16日夜から17日にかけては、大学生ら9人のメンバーだけで、5586人の名前を
読み上げる。震災で兄井上達雄さん=当時(42)=を亡くした神戸市長田区の北条
あおいさん(60)もその一人。北条さんは「忘れることが、亡くなった人に対して罪なこと
だと思うので参加した。名前を呼んでみると、当時がよみがえってくる」と話す。
名前を読み上げた後の17日午前10時~正午には、神戸市長田区二葉町7のふたば
学舎で、一般公開のサロン「1・17その日の迎えかた、受けとめかた」を開催。
死者の名前を声に出すことの意味や追悼のあり方などについて、一般から参加者を
募って意見交換する。ふたば学舎TEL078・646・8128
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/22/201701/0009830932.shtml
5+5+8+6=24 2+4=6
2+2+3+3+6+4+3+4+1+6+1+7+24=66(11×6)
5+6+4+3+4=22(11×2)
1
1+6+1+7+9+24+4+2+6=60
1+7+1+7+1+1+7=25
7+8+6+4+6+8+1+2+8=50
25+50=75 7+5=12(6 6)
66+22+1+60+75=224
2+2+4=(4 4)(11×4)
(Wikipediaより)
阪神淡路大震災
1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒(日本時間=UTC+9)、淡路島北部
(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、
深さ16km)を震源として、Mj7.3の兵庫県南部地震が発生した。
死者の80%相当、約5000人は木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになって即死
した。特に1階で就寝中に圧死した人が多かった。
超高層建築物は概ね無事であった。さらに、1978年宮城県沖地震の被害を
踏まえて1981年(昭和56年)に改正された建築基準法に従って建築されたビル
は被害も少なかった。
1+9+9+5+1+1+7=33(11×3)
5+4+6+5+2=22(11×2)
33+22=55(11×5)
3+4+3+5+9+1+3+5+2+1=36(6 6 6)×2
1+6+7+3=17
55+36+17=108 1+8=9(3×3)(11×3)
5+1=6
1+9+7+8+1+9+8+1=44(11×4)
5+6=11
平成7年・・昭和70年
宮城県沖地震
1978年(昭和53年)6月12日の17時14分25秒(JST)に発生したマグニチュード
7.4(Mw7.5)の地震。最大震度は仙台市などで観測した震度5(強震)であり、
東京でも震度4(中震)を記録した。
平均37.1年の間隔で複数回起きた宮城県沖地震の一つである。
日本 宮城県仙台市の東方沖約100km (気象庁発表)
北緯38度9分 東経142度10分
震源の深さ 40km
1+9+7+8+6+1+2=34
1+7+1+4+2+5=20
34+20=54 5+4=9(3×3)(11×3)
7+4+5=16+4=20(1 1)
3+7+1=11
3+8+9+1+4+2+1=28
1+28+4=33(11×3)
54+28+7+4+4=97+1=98 9+8=17
1995-1978=17
宮城県沖地震
発生日
2005年(平成17年)8月16日
発生時刻11時46分25秒
震央 日本 宮城県沖
北緯38度8.9分 東経142度16.6分
震源の深さ42km
規模マグニチュード(M)7.2
2+5 +8+1+6=22(11×2)
1+1+4+6+2+5=19
22+19=41 4+1=5
3+8+8+9+1+4+2+1+6+6=48
4+2+7+2=15
48+15=63 6+3=9
5+9=14(7 7)(11×7)
2005年・・・昭和80年
S80/8/16 (8 8 16)(16 16)(7 7)(11×7)
2+5+1+7=15 8+1+6=15
(15 15)(6 6)(11×6)
2005-1995=10年
5:46:52~11:46:25=6時間33秒 6×60×60+33=21633
2+1+6+3+3=15 1+5=6
2017年(平成29年)・・昭和92年
2+1+7=10 2+9=11 (1 1 1)
9+2=11
(29 92)ミラーナンバー![]()

