『一緒旅』謎解き③ | ☆ sweet home ☆

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脱原発など日々、感じたことも載せています。

『一緒旅』1st写真集




2004年11月1日 第一刷発行『冬のソナタ』のサンヒョク役でブレイク、

日本でも人気急上昇中の韓国スター、パク・ヨンハのファースト写真

集『一緒旅』がついに発売決定。まずは10月22日、日本で先行発売

されます。
 写真はすべてこの『一緒旅』のための独占撮りおろし。韓国の

ソウルと日本の札幌・小樽で、極秘のうちにロケーションが行われ、

250本以上のフィルムを撮影。現在その中から厳選に厳選を重ね

たカットを選んで、編集作業が進められています!

http://www.amazon.co.jp/ パク・ヨンハ-一緒旅-市橋-織江/dp/4391130246


2004/10/22

2+4+1+2+2=11



小樽の銀鱗荘でのヨンハラブラブ


明治から大正時代にかけて、「一起こし千両、万両」といわれた、

ニシン漁の全盛時代が訪れました。北上するニシンを追って、

人が動き、物が動き、金が動いたのです。

この時代の網元は莫大な利益を得て、『鰊(にしん)御殿』と呼ば

れた立派な番屋を建築しました。日数や費用に糸目をつけずに、

本州から高価な資材を運び、優れた技量を持つ大工を使って建

築したのです。

ニシン漁場の親方の豪華な生活ぶりを偲ばせる、壮麗な建物です。

建築されたのは1873(明治6)年で、1897(明治30)年に大改築され

ました。これを建てた初代・猪俣安之丞は越後出身で、いっかいの

漁場手伝いから始め、余市で鰊漁場経営のほかに海産物商、廻

船問屋、金貸業などを営む富豪になった人物です。建物の設計施

工には、越後の宮大工が当たり、高価な建築資材を惜しげもなく

用いるとともに、随所に工夫が凝らされています。1939(昭和14)年

に余市町から小樽市に移築され、現在は高級旅館として使用され

ています。

http://www1.hokkaido-jin.jp/zukan/story/03/11.html


銀鱗荘について



石狩湾に囲まれた海抜60mの地、ここ平磯岬の高台に立つと、果て

しなく広がる青い海と空、そして眼下には小樽港と小樽中心街の全

景が一望のもとに見渡せます。
鰊御殿・銀鱗荘は、積丹半島のつけ根に栄えたニシンの千石
漁場・

余市に、明治時代の初めに大網元の屋敷として建造された漁場建

築の代表といえるもので、小樽屈指の景勝地平磯岬への移築を機

に、昭和14年に料亭旅館として創業、時の北海道長官石黒英彦氏

により銀鱗荘と命名されました。その豪壮にして優美なたたずまい

は、世紀を越える風雨を堪え忍んでいよいよ重厚さを増し、北海道

文化財百選のひとつにも数えられています。

http://www.ginrinsou.com/about/



ヨンハは{北海道開拓の村}でも撮影しましたね(‐^▽^‐)


旧広瀬写真館ラブラブ

http://www.uraken.net/rail/travel-urabe104a.html




http://www.ekinavi-net.jp/railway/jr-hakodate03/shinrinkoen/kaitakunomura.html


この建物は、大正末期から昭和33年(1958)まで岩見沢市街で

営業した写真館を再現しています。
外観は洋風ですが、内部の多くは和風で、和洋折衷の建物です。
撮影には自然光を用いたため、写場は2階に設け、北側の屋根

をシングルスラントと呼ばれた斜めのガラス張りとしています。

http://4travel.jp/travelogue/10968882




旧来正旅館

ここも撮影ラブラブ 



東永山兵村に屯田兵として入植した来正策馬は、明治31年(1898)

退役後、開通直後の宗谷本線の永山駅前に移り、待合所を開業

しました。
大正7年(1918)に大水の被害を受けたため、翌年に旅館兼待合所

を新築し営業を再開。当時は、旅人の宿泊や汽車の待合などに

利用されてにぎわったそうです。

http://4travel.jp/travelogue/10968882





旧青山家漁家住宅(NHKマッサンでの撮影場所)


青山家は、安政6年(1859)山形県から渡道し、小樽沿岸を中心

に鰊建網などを経営した漁家です。
建網経営には番屋をはじめ網倉、船倉のほか海産干場、船入

澗など多くの施設、設備を必要としました。
鰊漁場の建物が、このように集約的に保存されているところは

少なく、貴重な遺構の一つです。


旧浦河公会会堂


明治13年(1880)、神戸において北海道開拓会社「赤心社」が設立

され、翌14年から西舎村や荻伏村に結社移民として入植しました。
「赤心社」の指導者の多くはキリスト教徒で、明治19年「浦河公会」

が組織されましたが、この会堂は、2代目の礼拝・集会所として

明治27年(1894)に建てられたものです。
http://4travel.jp/travelogue/10968882


沢茂吉はかねてから希望で、かって、茂吉は三田で洗礼を受けた

ギゥリック宣教師と、神戸教会の牧師、原田助の立会いもとに浦河

公会堂を設立した。明治19年6月22日

http://blogs.yahoo.co.jp/vrantey/25312117.html


入植した指導者の多くはキリスト教徒で、明治十九年(1886年)

「浦河公会」が組織されました。

http://www.geocities.jp/natukashinosono21016/rekisisanpo47.html


1+8+8+6+6+2+2=33(11×3)




ヨンハはキリスト教徒ではないけど、

ロケ先で教会に行くことが多いようです、、



2009/05/21(Thu) 18:01

21日午後京畿道水原市勧善区勧善洞の聖母昇天聖堂で、KBS

月火ドラマ『ザ・スリングショット~男の物語 ~』の撮影現場公開

行事が開かれた。

http://contents.innolife.net/news/list.php?ac_id=8&ai_id=99060


2+9+5+2+1+1+8+1=29 2+9=11



青山通り(あおやまどおり)は、東京三宅坂 から、赤坂青山

経て、渋谷 に至る大通り である。すべての区間が国道246号

一部となっている。


ヨンハminiHP ですね恋の矢


青山外苑前今むかし

青山通りをはさんで北に本家の青山邸、南に分家の青山邸が

向き合う形となり、明治維新まで続く。この間何度か幕府に

上地(ご用地とし返上すること)したので、一部には他の大名や

幕臣の屋敷も建てられたが、大半は両青山邸が占め続けた。

http://www.aoyama-gaienmae.or.jp/history/h_02.html



(Wikipediaより)

東京都、青山地区 の名称は、青山氏の江戸屋敷があったことを

由来としている。青山通りの北面に宗家 、南面に分家 の下屋敷

があったという。


青山学院

東京都 渋谷区 渋谷 4-4-25に本部を置く日本私立大学 である。

1949年 に設置された。学校法人青山学院 は、明治時代 初期に

米国メソジスト監督教会 から派遣された宣教師 たちが設立した

3つの学校を母体とするミッションスクール である。

明治維新 後は華族青山氏 の邸宅があったことから周辺が

「青山」と呼ばれる土地で、住所も東京府 赤坂区 青山南町七丁

目だったからである。

4+4+2+5=15 1+5=6



青山学院出身の有名人は、サザンの桑田佳祐さんですが、

奥さんの原坊はフェリス女学院出身ですよね~

そして、フェリス女学院の前には、ヨンハLOVEのジャケ写場所

{山手46番館}ですね('-^*)/


横浜山手46番館(旧アイリン・ヴェロス邸)

http://4travel.jp/travelogue/10733935






👆

道路を挟んで前方がフェリス女学院です。


そして、振り出しさいころに戻るのですが(( ´∀` )


にしん御殿「旧青山別邸」はにしん漁大網元の威信と十七歳の

少女の夢で建造された、「北の美術豪邸」と云われる北海道

屈指の豪邸です。




三代目政恵は17歳の時、山形県酒田市の本間家邸宅に幾度

となく招かれ、その豪勢な建物に魅せられていました。 当時、

本間家は「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」

と言われる程の日本一の大地主でした。 父政吉が別荘の建築

にとりかかった時に、政恵は「あの本間邸以上のものをこの祝

津に建ててやろう」と決心したのでした。

にしん御殿(旧青山別邸)建築費三十一万円、当時、新宿の有

名デパートの建築費が五十万円ほどと言いますから、この別荘

の豪邸ぶりがおわかりいただけると思います。


小樽貴賓館〒047-0047
北海道小樽市祝津3丁目63
TEL 0134-24-0024
FAX 0134-24-3790

http://www.otaru-kihinkan.jp/index.html


4+7=11 (2 2)(11×2)

3+6+3=12(6 6)

1+3+4+2+4+3+7+9=20(1 1)




LOVEジャケ写=神奈川県立歴史博物館


撮影場所は県立歴史博物館(旧横浜正金銀行)&

旧生糸検査所ですねラブラブ



(Wikipediaより)

横浜正金銀行は、貿易の増進や金融の円滑化を目的として

建設された金融機関である。当時の輸出品として代表的だっ

たのは生糸や茶であり、一方、輸入品は綿織物や毛織物が

主体だった。取引は外国・日本の商人の間で行われていたが、

これが中々円滑に進まず、福沢諭吉や大隈重信らの援助を

得て国立銀行条例に従い、代表者を中村道太が務め、1880年

(明治13年)2月28日にこの横浜の地で開業となった。

1+8+8+2+2+8=29 2+9=11


日本郵船株式会社(にっぽんゆうせん、Nippon Yusen Kabushiki Kaisha

1875年 (明治8年) - 国有会社である日本国郵便蒸気船会社の

経営が岩崎弥太郎 に任される(三菱商会が郵便汽船三菱会社

へ改称)

1885年 (明治18年)9月29日 に創立された船会社であり、三菱商

事とともに三菱財閥 (現在の三菱グループ )の源流企業である。


1+8+8+5+9+2+9=42 4+2=6




ヨンハの行く所は謎だらけですね(^_^;)