69年前のこの時刻、この丘から見上げる空は真っ黒な原子雲で 覆われていました。米軍機から投下された一発の原子爆弾により、 家々は吹き飛び、炎に包まれ、黒焦げの死体が散乱する中を多く の市民が逃げまどいました。 凄まじい熱線と爆風と放射線は、7万4千人もの尊い命を奪い、7万 5千人の負傷者を出し、かろうじて生き残った人々の心と体に、69年 たった今も癒えることのない深い傷を刻みこみました。 核兵器の恐ろしさを身をもって知る被爆者は、核兵器は二度と使わ れてはならない、と必死で警鐘を鳴らし続けてきました。広島、長崎 の原爆以降、戦争で核兵器が使われなかったのは、被爆者の存在 とその声があったからです。 議」では、146か国の代表が、人体や経済、環境、気候変動など、さま ざまな視点から、核兵器がいかに非人道的な兵器であるかを明らか にしました。その中で、もし核戦争になれば、傷ついた人々を助けるこ ともできず、「核の冬」の到来で食糧がなくなり、世界の20億人以上が 飢餓状態に陥るという恐るべき予測が発表されました。 核兵器の恐怖は決して過去の広島、長崎だけのものではありません。 まさに世界がかかえる“今と未来の問題”なのです。 などの検討に向けた動きが始まっています。 よって国の安全を守ろうとする考えを依然として手放そうとせず、核兵 器の禁止を先送りしようとしています。 不拡散条約(NPT)再検討会議は、なんの前進もないまま終わるかも しれません。 ない世界」の実現のために、いつまでに、何をするのかについて、核兵 器の法的禁止を求めている国々と協議ができる場をまずつくり、対立を 越える第一歩を踏み出してください。日本政府は、核兵器の非人道性を 一番理解している国として、その先頭に立ってください。 現在、地球の陸地の半分以上が既に非核兵器地帯に属しています。日 本政府には、韓国、北朝鮮、日本が属する北東アジア地域を核兵器から 守る方法の一つとして、非核三原則の法制化とともに、「北東アジア非核 兵器地帯構想」の検討を始めるよう提言します。この構想には、わが国 の500人以上の自治体の首長が賛同しており、これからも賛同の輪を広 げていきます。 全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされています。 きました。日本国憲法に込められた「戦争をしない」という誓いは、被爆国 日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもあります。 点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中 で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合 い、耳を傾けることを強く求めます。 い活動を始めています。大学生たちは海外にネットワークを広げ始めま した。高校生たちが国連に届けた核兵器廃絶を求める署名の数は、すで に100万人を超えました。 その高校生たちの合言葉「ビリョクだけどムリョクじゃない」は、一人ひとり の人々の集まりである市民社会こそがもっとも大きな力の源泉だ、という ことを私たちに思い起こさせてくれます。長崎はこれからも市民社会の一 員として、仲間を増やし、NGOと連携し、目標を同じくする国々や国連と 力を合わせて、核兵器のない世界の実現に向けて行動し続けます。世界 の皆さん、次の世代に「核兵器のない世界」を引き継ぎましょう。 くの方々が不安な暮らしを強いられています。長崎は今後とも福島の一日 も早い復興を願い、さまざまな支援を続けていきます。 に応じた援護の充実を望みます。 に目指してきた「核兵器のない世界」の実現に向けて大きく前進する一年 になることを願い、原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を 捧げ、広島市とともに核兵器廃絶と恒久平和の実現に努力することをここ に宣言します。
2014年(平成26年)8月9日 長崎市長 田上 富久
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