マンチェスターUのファーガソン監督が、かねてから「マンUの一員になりたい」と話しているロンドン五輪陸上100メートル、200メートル金メダリストのウサイン・ボルトを、チームに迎え入れる考えを明らかにした。
といってもこれは親善試合の話。
同監督はクラブの広報誌のインタビューに答え、チャリティー戦でプレーしたいと言っていた。
来年、RマドリードOBとの親善試合がある。
ボルトをプレーさせ、どのくらいできるか見てみるよい機会になる可能性はあるだろうと話した。
足の速さ
マンチェスターUのファーガソン監督が、かねてから「マンUの一員になりたい」と話しているロンドン五輪陸上100メートル、200メートル金メダリストのウサイン・ボルトを、チームに迎え入れる考えを明らかにした。
といってもこれは親善試合の話。
同監督はクラブの広報誌のインタビューに答え、チャリティー戦でプレーしたいと言っていた。
来年、RマドリードOBとの親善試合がある。
ボルトをプレーさせ、どのくらいできるか見てみるよい機会になる可能性はあるだろうと話した。
足の速さ
陸上競技の世界大会はスタンドの風景も時代によって変化する。
1990年代は星条旗を掲げるアメリカ人が我がもの顔で振舞っていた。
しかし今は、レゲエの音楽を流し、チームのレプリカユニフォームを着たジャマイカ人が幅を利かせている。
なぜなら、かつてアメリカのお家芸だった陸上の華であるスプリント種目で、今はジャマイカがその覇権を奪っている。
ロンドン五輪でもウサイン・ボルトが史上初めて100m、200mの2種目を連覇し、4×100mリレーではジャマイカが世界新記録樹立で優勝。
ジャマイカの台頭は21世紀になって目につくようになったが、実はこれまでも多くのスターを送り出している。
薬物違反でその実績を汚すことになったベン・ジョンソン(カナダ=1988年ソウル五輪100m金メダルはく奪)を筆頭に、リンフォード・クリスティ(イギリス=1992年バルセロナ五輪100m優勝)、元世界記録保持者ドノバン・ベイリー(カナダ=1996年アトランタ五輪100m優勝)らは若くしてジャマイカを離れ、移住した先の代表として活躍。
また、110mハードルの元世界記録保持者コリン・ジャクソン(イギリス)も両親はジャマイカ出身。
この国がスプリントの資質ある者を多く輩出していることは、陸上界では周知の事実。
彼らのルーツはアフリカにある。
16世紀にスペイン領となったジャマイカは足りない労働力を西アフリカから移民させることでまかなった。現在の国民の大多数がこの末裔とされている。
ケニアやエチオピアなど長距離種目に好選手を多く輩出する東アフリカは、標高が高く冷涼な気候だが、対照的に西アフリカは低所でしかも過酷な暑さが特徴だ。
そのため、この地域の住民は長い時間の経過の中で、発汗を促すために体の表面積を広げ、屈強な筋肉質の体へと変化していった。
そのことがスプリントへの適性を高めることになった。
彼らが爆発的な出力を発揮する筋肉を持っていることは、近年、遺伝子レベルの研究でも明らかにされている。
そして、そのジャマイカ人の才能を伸ばしたのが、アメリカの大学やクラブだった。
例えば、ニューヨークからジャマイカの首都キングストンまでは飛行機で4時間弱。
特にアメリカからはパスポートがなくても運転免許証さえあれば入国できるという気軽さから、多くのスカウトがジャマイカを訪れ、才能ある選手をスカウトしていった。
そして現在は、アメリカで学んだ選手が自国に戻りクラブを設立。
国内での育成が可能になったのである。
また国としても才能の流出を防ぐべく、義務教育時点から英才教育を施し、助成金を出すなど育成環境の整備にも力を注いでいる。
ボルトが初めて世界の舞台に衝撃を与えたのは2002年の世界ジュニア選手権。200mを制した時、彼の年齢はまだ15歳であり当時の史上最年少の記録にもなった。
これも才能をいち早く発掘し、育成を行なった成果であることは疑う余地がない。
国内の陸上を見る目も変化してきた。
17世紀から20世紀中ごろまでイギリス領だったこともあり、人気のスポーツはクリケットやサッカーなど英国をルーツとする球技が中心だったが、最近はボルトらの活躍もあって、陸上スプリントも加わった。
さらにスプリント人気に拍車をかけたのが、ライバル関係の確立だった。世界記録を持ちながらオリンピックなどの大舞台で勝てなかったアサファ・パウエルに挑む新鋭のボルトという対決に端を発し、ボルトが失格した2011年の世界選手権で優勝したヨハン・ブレークが今季はジャマイカ選手権で優勝。
このロンドン前にも国内ではボルト支持派とブレーク支持派に分かれ、応援が盛り上がったという。「観るスポーツ」としてもジャマイカ国内で人気を確立している。
いずれにせよ、人気スポーツとなっただけでなく才能が自国内で育成される仕組みは、マラソンが稼げるスポーツとなり、国内で育成が可能となったケニア長距離界の姿と似ていると言っていいだろう。
男子だけでなく女子も北京、ロンドンと100mを2大会連続で制したシェリーアン・フレイザープライス、ロンドンで同種目3位のヴェロニカ・キャンベルブラウンなどこちらも”帝国”を築きつつある。
人口280万余りのジャマイカだが、その才能の発掘、育成のシステムは緒に就いたばかり。
この権勢は当分続きそう
ロンドン五輪陸上男子やり投げで10位のディーン元気が30日に開催されるダイヤモンドリーグ・チューリヒ大会(スイス)に出場することが分かった。
ダイヤモンドリーグは国際陸連が主催する世界最高峰の大会。
現時点でチューリヒ大会のやり投げのエントリーは発表されていないが、五輪メダリストら強豪の参戦が濃厚。
ディーンは「五輪が終わったらダイヤモンドリーグに出たい」と参戦を希望していた。
五輪では予選を通過したものの決勝では10位に終わり「中途半端な成績なんで、ダイヤモンドリーグに出られるかどうか分からない」と話していた。だが、エージェントを通じて交渉した結果、チューリヒ大会出場が決まった。
14日に帰国したばかりのディーンはこの日、再渡欧。
チューリヒで16年リオデジャネイロ五輪への第一歩をしるすことになる
ロンドン五輪で金メダル3個を獲得したジャマイカのウサイン・ボルトは今回の五輪が自らの陸上人生のピークかもしれないと語る。
11日の陸上男子4×100メートルリレーでジャマイカは世界新記録の36秒84をたたき出し、アンカーを務めたボルトは前回の北京五輪と並ぶ3個目の金メダルを獲得。
リレーでは、100メートルと200メートルで2位につけたヨハン・ブレイクからバトンを受け取った。
だが現在25歳のボルトは、2016年にリオデジャネイロで開催される五輪では、北京とロンドン(London)での偉業を繰り返すことはできないかもしれないという。
ボルトは、リオ五輪まで現役を続ける可能性はあるとしつつも、100メートル・200メートル・4×100メートルリレーの3種目全てで3大会連続の金メダルを獲得できるかは分からないと語った。
2008年の北京五輪以降、8つの世界大会で個人競技に出場したボルトは、うち7つで優勝している。唯一優勝を逃した2011年世界陸上大邱大会の100メートル決勝では、フライングにより失格となった。
ボルトは、ロンドン五輪でボルトとそのリレーチームが勝利できたのはファンのおかげだとも述べている。各競技の会場を満杯にし、力いっぱいの声援を送り続けたサポーターらは、ボルトにとって今回の五輪のハイライトだったという。
大会14日目 陸上・男子200メートルの決勝で、ウサイン・ボルト選手は19秒32で金メダルを獲得し、100メートルに続いて2大会連続の2冠を達成。
100m決勝
世界記録保持者のボルトは、第7レーン。選手紹介時に会場から大歓声。
フライングはなく、一発でスタート。
ボルトが9秒63の五輪レコードで優勝。
五輪連覇を果たした。
2位は、9秒75のヨハン・ブレーク 。
ジャマイカ勢のワンツーフィニッシュとなっ た。
第3レーンのアサファ・パウエルは、レース後半に足を負傷し、大きく遅れた。3位は、ガトリン(米国)でタイムは、9秒79。ボルトの強さが目立ったレースだった。
200m決勝
7レーンからスタートしたボルト、中盤には一気に抜け出し、トップに立つ。
そのまま一気にゴールを駆け抜けた。
タイムは19秒32で史上初の五輪100メートル、200メートルの2種目連覇を達成した。
2着にブレーク、3着にWarren Weirが入り、ジャマイカ勢がメダルを独占。
マカウは22日のロンドン・マラソンで完走できなかった。
同レースを制し、世界歴代2位のタイムを持つウィルソン・キプサング、陸上の世界選手権を2回制覇したアベ ル・キルイ、昨年のシカゴ・マラソンを制したモーゼス・モソップが選出された。
また、昨年のボストン・マラソンとニューヨーク・マラソンの覇者、ジョフリー・ムタイも落選した。
女子ではロンドン・マラソンで優勝したメアリー・ケイタニー、世界陸上で金メダルのエドナ・キプラガトらが選ばれた。
逃げる高平を最後の直線で高瀬が交わし、ゴール寸前でさらに飯塚が第一人者を差しきった。
今大会のトリを飾る男子200メートル決勝は、23歳と20歳の新鋭がワンツーフィニッシュ。
日本陸連の尾県貢専務理事が「若手の台頭が目立った」と総括した大会を象徴する幕切れとなった。
元々は400メートルが専門の高瀬は、昨春から200メートルに転向。
今大会の男女100メートルを制した同学年の江里口、福島に触発され昨年の5位から一気に頂点に上りつめた。
中大3年の飯塚は、一昨年の世界ジュニア選手権金メダリスト。
20秒55のA標準をまだ破っていなかったが思惑通りに自己新を出し、五輪代表入りをぐっと引き寄せた。