昨日のブログでは、

授業で「対話」を生む手立てについて

述べました。

 

★2018年5月9日エントリー記事

『授業で「対話」を生む手立てを集めてみました』

https://ameblo.jp/88rx88/entry-12374681495.html

 

では、そもそもなぜ「対話」が必要なのでしょうか?

 

算数を例に考えてみましょう。

 

学校の授業では、子供に教科書の内容をただ習得させればよいのではありません。私たちが本当に子供たちにつけたい力は、新しい問題に直面したときに、もてる知識や技能を使って解決しようとする態度であり、解決できる能力です。

 

この力は、知識と知識のつながり(たとえていうなら知識と知識の「リンク構造」)を増やしていくことで高まっていきます。この力がないと、ある単元や授業で習得した知識(技能)が、同様・類似の場面でしか使えないという残念なことになります。

 

こういった力を育む授業の条件とは何でしょうか?

 

それは子どもが主体的に学ぶ授業です。

 

知識を一方的に教師が伝達する教師主導型の授業ではなく、子供をとことん授業の主役に据えた授業です。そこには子供同士の活発な対話があり、教師との対話があり、自己内対話があります

 

算数の時間、これらの対話は言葉だけでなく、式、数、図、記号などによってなされます。したがって、、子供たち自身がそれらを使って自分の考えを表現したり、友達の表現(式、図、言葉など)から考えを読み取ったり聴き取ったりする力を高めていく必要があります。

 

その中で「自分の考えがみんなに伝わった!」「友達の考えを聴いて解き方が分かった!」「新しい考えに気付いた!」という経験が,みんなで算数を学ぶ楽しさにつながります。

 

小学校の算数では、計算など基礎的な技能が確実に身に付くようにすることはもちろん大切ですが、だからといって教師主導でやり方を一方的に伝達するような授業をするわけではありません。知識や技能の獲得と同時に、筋道を立てて考える力や表現する力も育て、生活や学習に活用できる子を育てたいと考えています。そのような力を育むには、対話(教師との対話、友達との対話、自分自身との対話)が必要だというわけです。

 

算数を例に述べましたが、他の授業でも基本的には同じです。国語で読みの授業をするときも、その教材の内容が読めたらそれでよいのではなく、その「読み」の方法を使って他の文章をより深く読めるようにする、さらには自分が書くときにも生かせる、さらには話すとき、聴くときにも意識することができる・・・というように転移・応用する力になることを教師は意識します。そのために対話を活性化させる必要があるのです。