kinocoです


今回の人生で
最大の岐路だった出来事の振り返り



前回のつづき




前回までの記事はこちら

人生の岐路① 震災の記憶

人生の岐路② 震災の記憶











そもそも

kinoco一家は


阪神大震災が起こる前

わたしが物心つく前から

ゴタゴタが日常茶飯事な家庭でした




父が
様々な事業に手を出し

銀行から多額を借りては
事業失敗で借金だけが残る

ということを何度も繰り返し



わたしが幼い頃から

2億円以上の負債を
常に抱えている状態でした




母は

日々の生活への不安と
父と姑への不満、文句、批判ばかり

同居している
エゴMAXな姑(父方の祖母)とは
毎日のように言い争い




父は

銀行からの融資を受けて
新たな事業を始めると

借りたお金で手に入れた
ベンツを乗り回し

毎晩のように
大阪一の高級歓楽街、北新地へ


それが

ひとたび事業が失敗すると

塞ぎ込み、家に引きこもり
食事もまともに取らず寝続ける

ということを繰り返すうち


父は
年を追うごとに

躁鬱病がひどくなってゆき




わたしと妹

子供にとっては

とにかく精神衛生的に
居心地の悪過ぎる家庭環境で



妹は

中学に入ると
家庭でのストレスの反動なのか

タバコを吸い出したり
問題行動を起こすようになっていました






1991年春以降の
バブル崩壊で

父はさらに負債を増やし

銀行もお金を貸し渋りはじめ




震災前年の1994年

高校3年で部活も引退して
夏休みを満喫していた
8月のある日



父が失踪



銀行から借金できなくなった父が

ついに
こっそりサラ金にまで複数手を出し

返済がどうにもならない状況に
陥っていたことが発覚



死ぬ気で失踪したのがわかったので

母とわたしで
心当たりの場所を
手当たり次第に探し回ったけど

数日探しても見つからず



警察に届け出るかどうしようか

もしかしたら
もうどこかで死んでるかもしれない

という話をしていた矢先



自殺未遂を犯すも
死に切れずにいた父を

思いがけない場所で母が発見した

という強烈な出来事があり




最悪な家庭環境と経済状況は
まだ何の建て直しもできていない


そんなタイミングで

1月17日

あの震度7の揺れが
襲ってきたのです





住んでいたマンションと土地は
父の所有だったため

地震でマンションが崩壊したことで


元々あった億単位の負債に加え

マンション住人への保証金支払いや
マンション解体費用の捻出なども
さらにのしかかり


kinoco一家は
追い討ちをかけられてしまいました





今となっては

あのタイミングで被災したことは

結果的には
わたしたち家族にとって
ある意味で救いだったのですが



震災当時は
そんな捉え方ができるはずもなく

悲惨としか言いようがない状況でした






つづく