kinocoです
今回の人生で
最大の岐路だった出来事の振り返り
前回のつづき
前回の記事はこちら
人生の岐路① 震災の記憶
夜明け前の突然の出来事で
別の部屋で寝ていた
両親も祖母もぼう然
父は
電気がつかない暗い中
各部屋の状態を確認しようと
懐中電灯を探すも見当たらず
ガス管が折れて
ガス漏れの臭いがしてるのに
懐中電灯の代わりに
ライターに火をつけようとしていました
一番しっかりしておいてほしい父も
冷静さを失った状態
あれで本当に
ライターに火をつけていたら
火災が起きたり
ヘタすると命を落としていたり
もっと大変なことになってたかもしれません
外に出た方がいいかもしれないけど
玄関のドアは少ししか開かず
玄関からは出られない
マンションの廊下に面した窓は
すべて鉄格子付きだから
開いても出られない
ベランダ側の窓はどこもゆがんで
全然開かない
どうにかして外に出れないかと
父がドアを蹴ってみたり
工具を使って壊そうとしてみたり
みんなでいろいろやっているうちに
夜が明けはじめ
外が少し明るくなってきて
近所の人が
うちのマンションの状態に気づき
外から数人で
ベランダの窓をこじ開けてくれました
床も大きくゆがんだり
段差ができてしまって
もう住める状態じゃなくなった
我が家から脱出
うちのマンションのお向かいさんが
無事だった自社ビル兼自宅を開放して
kinoco達を一時避難させてくれました
そこでテレビを見せてもらって
阪神高速の高架道路が
どこまでも崩壊した様子など
見慣れた場所の
被害状況が映し出され
時間の経過と共に
とんでもない地震だったことを
ようやく把握しました
最大震度 7
というのは衝撃的でした
震源は淡路島北部で
西宮市とは少し離れてるけど
わたしが住んでいた場所は
ちょうど
震度7に該当するエリアでした
後に
自宅マンションは
全壊と認定を受けました
当時はまだ
携帯電話もあまり普及してない頃
インターネットなんて
一般普及する前段階の頃で
メールもなかったので
連絡手段は
固定電話か公衆電話しかなくて
一時避難先のお向かいさんが
電話を使わせてくれましたが
親戚に連絡を取りたくても
震災当日には全く通じませんでした
ほとんど話さず
落ち込んだ様子の父
これから先の生活を
しきりに心配して嘆く母
余震を怖がり
状況をよくわかっていない妹
その様子を感じながら
何をどうしたらいいかは
わからないけど
ただただ妙に冷静に
テレビ報道を見ている自分がいました
つづく