kinocoです
先日のKIN84(1月17日)は
阪神淡路大震災が起こった日
1995年1月17日
午前5時46分
被災者それぞれの人生が
思いもしない方向へ
突然大きく変わった日
あれから
24年が経ちました
わたしも
阪神淡路大震災の被災者のひとり
24年も経った今でも
あの時のことは
とても鮮明に覚えています
今回のわたしの人生の中で
とても重要な岐路でした
いまの意識状態
いまの感覚のわたしが存在しているのは
あの出来事があったからです
KIN84の日は
朝、なぜか突然
1年前からご縁ができている
大阪のサムハラ神社が浮かんできて
感謝と宣言をしに行って
午後は
あの震災を振り返りながら
ひとり静かに過ごしました
震災から20年という
節目だった4年前(2015年)に
一度、別ブログに書いたことがありますが
わたしを語る上で
わたしを知ってもらう上で
どうやっても外せない
あまりに重要すぎる出来事なので
いまのkinocoの意識と視点から
あらためて
記事として残しておこうと思います
当時のkinocoは
高校3年生、受験生で
兵庫県西宮市の南部
阪神電鉄沿線の
甲子園球場の近くに住んでいました
1995年1月15日
西宮では珍しく
雪が舞う中
センター試験を受け
1995年1月16日
新聞のセンター試験情報を見ながら
自己採点を済ませ
2次試験へ向けて
意気込みを新たに眠りにつきました
そして
1995年1月17日
午前5時46分
ドーーーン!!という
突然の大きな音で目が覚めました
ミサイルが爆発したか
隕石でも衝突したかのような音と同時に
これまで経験したことのない
大きな縦揺れ
その揺れがおさまると
今度はグワングワンと
大きな横揺れ
まるで巨大な洗濯機に
いきなり投げ込まれて
容赦なくかき回されているようでした
二段ベッドの下で寝ていた
中学生の妹は
驚いてパニック状態
とにかく大声でワーワー騒いでいたけど
kinocoはこの時
自分でも驚くほどものすごく冷静で
暗闇の中
ベッドで黙って揺れを感じていました
当時住んでいたのは
5階建てマンションの2階
上の階に住んでいた人は
もっと揺れていたはずです
ようやく揺れがおさまったので
ベッドから降り
カーテンを開けて
まだ暗い外を見ると
あれ…?
なぜかいつもより地面が近い?
その時
すぐにはわからなかったけど
駐車場と倉庫になっていた
マンション1階部分の柱が全て崩れ
5階建てマンションが
4階建て状態になっていたのです
つづく