がんとの共存ー家族日記 -9ページ目

がんとの共存ー家族日記

淡明細胞肉腫(clear cell sarcoma)ーサルコーマと診断された患者と家族の日記

電話で行くことを両親へ伝え、車で実家へ向かった。
自宅から実家へは車で1時間から1時間半かかる。
その間妻とはセカンドオピニオンの手続きをすすめる話や
次のPET-CTの検査に向けて何かすることはないか話をした。
途中で食事をしていないことに気づき、ファミリーレストランを探して
それぞれパスタを注文した。食事がくる間たわいない会話をしていたが、
妻の目に涙がにじんでいるのに気づいた。
「大丈夫?どうしたの?」と聞くと「なんかしあわせだなーと思って」
「こんな普通なことでもそう感じた」と…
その答えを聞いて、私もグッときてしまった。
そして「そうだね、たいしたことないことでもしあわせって感じるね」と
かろうじて私は答えた。
料理が来て食べ始めるが、味がわからない。妻も同じようだった。
昼を数時間すぎていたが、二人とも朝から食事をしていなかったので、
無理をして食べた。そして実家へ到着。
両親はいつもより心配そうな様子で私たち夫婦を迎えてくれた。
今日説明があったことをすべて伝えた。
加えてセカンドオピニオンを国立がんセンターに求めることを
考えていることを伝えた。
母は自分が癌の治療を受けているので、私の手術と治療について具体的に
知りたいらしく、たくさん質問を繰り出してくるが…
私は病院で説明されたこと以外には答えることができなかった。
父からは免疫力を高めてこれ以上腫瘍細胞が増えないようにする
方法をいろいろ試していることをすすめられた。
そして「無防備だったな。お前には隙があったな。俺は気をつけていた」
と言われた。(ん?なんのこっちゃ?)
父は仕事で若い頃から不摂生(飲酒と喫煙と生活リズムの不良)
をしていたにもかかわらず、大きな病気をしたことがなく、
祖父も91歳まで生きていたので、私も健康に問題なく過ごしていけるだろうと
軽く考えていた。
しかし我が家系には癌になっている人が多いことをそのとき初めて(たぶん)知った。
内心(もっと前に教えてくれれば良かったのに…)と思ったが…
父からは単身赴任していたときに体調を崩さないように飲んでいた免疫力を高める
野菜スープの作り方などの資料をもらい、鍋ももらった。
どのくらい滞在していたかは覚えていないが、いろいろ話をしたあと、実家を後にした。
まだまだこの日は終わらない。

帰宅してインターネットで淡明細胞肉腫について検索してみると
他のがんにくらべて極めて情報が少ないことがわかった。
そして国立がんセンターのホームページでは淡明細胞肉腫の10年生存率が
10パーセントに満たない数字であることに衝撃を覚えた。
ショックだった…「もう俺はそんなに生きられないのか…」
自然に涙が出てきた。
これ以上調べても明るい気持ちになるようなデータが検索できる
見込みがないし、逆に暗い気持ちになってしまいそうだったので、
調査は一時中止した。
ほどなく妻が帰宅してきたので、検査の結果と入院と手術について
話し、セカンドオピニオンのことも話した。
意外に妻は落ち着いていて、逆に「がんばっていこうよ!」という
感じで私を元気付けてくれた。本当にありがたかった。
そして妻が「ご両親のところに行って少し話をしたら?」
と提案してくれた。
実は私の母は約20年ほど前に卵巣がんの手術と治療を受けており、
今も健在である。父は仕事をしながら、母のサポートを一生懸命に
していた経緯があるので、妻はその私の両親と話をするのが今は
よい選択なのだろうと考えてくれたのだと思う。
さあ長い長い一日になりそうだ…
落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせながら、正直頭の中が真っ白になっていた。
何が起きているのかが把握ができていなかったのだと思う。
言われるがままに動脈血の採取と胸部のレントゲンをとり、
形成外科へ行った。そこで「そうだ電話しないと」と思い、
会社と妻と両親へ電話した。
妻には話を早くしたかったので、会社を早退して帰って来てもらうように言った。
形成外科で呼ばれて、手術の内容と入院の日程について話があった。
腫瘍をとったまわりを少し大きく切除して、その部分を病理検査に出し、
肉腫細胞のないことが確認できたら、切除部分の再建手術を行うとのことだった。
病院を後にして帰宅する途中、車の中で「なんで…」という気持ちと
「どうしよう」という気持ちがあり、いてもたってもいられなくなった。
帰ったら、調べてみようと思った。
そしてふと「セカンドオピニオン」をとろうと思い立った。
帰宅し、インターネットで調べてみると衝撃的な内容が載っていた!