がんとの共存ー家族日記 -3ページ目

がんとの共存ー家族日記

淡明細胞肉腫(clear cell sarcoma)ーサルコーマと診断された患者と家族の日記

トイレが無事終わり。病室に戻りベッドに横になった。(横になるのも点滴はあるし、導尿管はあるしで結構大変だった)手術を受けた部分がまた痛み出した。ズーンと重い感じの痛みだ!耐えがたかったので看護師さんを呼び、痛み止めを持ってきてもらった。看護師さんは「水分をもうちょっと多めにとったほうがいいですよ」と言ってきた。
(痛みがあって水飲むどころではなかったんだけどな)と思いながら意識して水分をとるようにした。
痛み止めが効いてきたので、水分をとることができるようになってきた。
しばらくすると看護師さんがたまっている尿の量を確認して、「そろそろ管を抜きましょう」と言って準備をしに戻っていった。管はわずらわしかったので、よかったと思う反面抜くときは痛いのだろうか?と心配になった。
看護師さんの準備ができたようで、「じゃあ抜きますね。口で大きく呼吸をしてください。少し痛いかもしれませんよ」と・・・(やっぱり痛いのか・・・)
看護師さんは手袋をしてから管をゆっくり抜いてくれた。たしかに何ともいえない違和感があったが痛いという表現が当てはまるかというと微妙・・・
点滴も終わり、体に付いていた管が全部とれた。気持ちが楽になった。
看護師さんが「体を拭きましょう」と言ってきた。まだシャワーは浴びることはできないだろうから仕方がない。
背中だけ看護師さんに拭いてもらい、あとは自分で拭いた。結構熱めのお湯で拭いたのでさっぱりした。
まだきっと手術の部分から血などがしみ出してくる可能性があるので、病院からパジャマを借りた。
昼食、夕食を済ませたあたりでまた痛くなってきたので、痛み止めをもらった。
食事はおしりをベッドにつかないように立て膝になりとることにした。寝たままよりもこのほうが楽なので・・・
この手術後1日目から7日目くらいまで、慣れない横向き寝と中途半端に軟らかいエアベッドのせいで脚のつけ根が凝ったように痛くなっており、しばらく苦しむことになる。
手術後の1日目が終わり気持ちも体もある程度落ちついてきたので、明日は同部屋の人に挨拶しようと思った。
手術後の朝まで書いてしまったが、実はもう一つ苦痛があった。
21時に酸素マスクがはずれ、水分がとれるようになったので、
冷蔵庫で冷やしていたミネラルウォーターを
用意した赤ちゃん用の吸い飲みいれてもらって、飲み始めた。
かなり喉が乾いていたので、結構勢いよく飲んでしまった。
それがいけなかったのだろう、まだ麻酔後で消化器が正常に活動するまえに
どうやら冷たいものをとってしまったようだった。
しばらくすると、脇腹の痛みが出現した。この痛みもあって眠ることができなかった。
朝がたにやっと消化器が活動し始めたようで、痛みが和らいできた。

話を戻して朝食後にトイレに行きたくなってしまったところから・・・
トイレに行きたくなったのだが、導尿菅がついたままだし食事すら寝たままで言われていたので
ベッドサイドで用をたすことになる最悪のシナリオが頭をよぎった。(やだ!我慢しよう・・・)
我慢を決めこんだのだが、生理現象にはかなわない!我慢の限界はすぐにやってきた。
あきらめてナースコール・・・「トイレに行きたくなってしまったのですが・・・」と看護師さんに
告げると「ちょっと待ってね」と言われ、点滴を下げている棒に尿を溜めているバッグを掛けはじめた。
???「もしかして歩いて行くんですか?」と看護師さんに聞くと。
「立てますか?」と聞かれた。そこで体を頑張って起こしてみた(おしりをつけられないので、
横向き寝の態勢から立てひざの態勢にまずなった)もちろん動くたびに手術部分に激痛が走る・・・
そしておそるおそる足を降ろしてサンダルを履いて立ってみた。一瞬クラッときて、ベッドに手をついた。
しばらくするとめまいがなくなったので、ゆっくり歩いてみた。大丈夫だった。
看護師さんも「大丈夫そうですね」言った。
そしてトイレへ。
をのとき着ていたものは体の全面が開けられるようにホックついている手術着と
パンツのかわりにT字体というふんどしみたいなガーゼ地でできているものだけだった。
なので、用をたすにはそれほど苦労はしなかった。しかし手術部分はおしりなので普段から使っている
洋式だとおしりをついてしまう可能性がある。少しおしりを浮かせ気味で用をたした。
手術部分をおそるおそる確かめてみると厚くカーぜでカバーされていた。
血がにじんでいるようだった。これ以上は怖かったので確認しなかった。
無事トイレは終わった。
手術を担当した医師がベッドサイドまで来て「手術は非常に順調にできました。まわりを十分に切りました。」
と言った。そして握手をした。医師は家族と話をするからといって、病室を出て行った。
なかなか家族が来なかった。そんなに説明に時間がかかる内容なのかな?と思いながら待った。
ふと、会社から長期の休暇をとるのに診断書が必要であることを思いだした。
今思えばそれほど急がなくてもよかったのだが、そのときは気になってしょうがなかった。
(麻酔から覚めて、朦朧としていたからかもしれない→いいわけだが・・・)
まだ痛み止めの座薬が効いていないためか手術をされた部分が痛い。
のども痛くて痰が出る、それも血が混じっている。
導尿管がついているので少し動くだけでも違和感があり、苦痛だった。
妻と両親がやっとベッドサイドに来てくれた。痛みと酸素マスクが付いていてまともにやりとりができなかった。
ただ血の混じった痰がでていることと、診断書を書いてもらうことが気になっていることを伝えた。
というより「診断書を必ず書いてもらって!」という感じで強く言った記憶がある。
妻と両親は私のわがままな訴えを看護師さんに伝えてくれて、対応をしてくれた。
私のせっかちな性格が極端に出て、わがままな訴えに付き合ってもらった妻に感謝、感謝。
妻と両親は心配をしてくれて、面会時間ギリギリまでいてくれた。
それからが苦痛の始まりだった。21時まで酸素マスクで強制的に口と鼻に酸素を送っていたため、
口の中が異様に乾いた。口の中がカラカラで水分をとっても解消しない。
しかも咳が出て痰がでて苦しいし、痛む。また強制的に手術で眠らされたせいか、全然眠れなかった。
うとうとするのだが、看護師さんが持続している点滴を交換するたびに目が覚めてしまう。
そんな一晩だった。そして6時の起床の時間を迎えた。
痛みが増してきたの我慢できずナースコールを押した。「痛みがひどいのですが・・・」と言うと
看護師さんが痛み止めの薬を持ってきてくれた。そして服用。しばらくすると痛みが和らいできた。
8時すぎに食事の時間となった。私はまだ食べられないだろうと思っていた。
「食事ですよ」と看護師さんが食事を運んで来てくれた。(うそー食事できるの?)
朝食の写真
写真のような朝食が運ばれてきた。看護師さんは「横になったまま食べてもらうので、大変だけどがんばって」
と言ってきた。
(えー!寝たまま食べるの?)と思いながら、体の右側を下にしたまま右腕で体を少し起こして
無理矢理食べた。すごく食べ辛くて大変だった。
もう少し食べたかったが、体を支えている腕が疲れてしまったので諦めた。
食べたらトイレに行きたくなってきてしまった・・・どうしよう・・・