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まつPONの「hanaと共に生きる」

中の人の職業観、人生観の変遷が垣間見れます。

先日の某問屋のブログでも書きましたが、この度35周年を迎えた花スクールがあります。

スクールと言っても主宰者とスタッフ1名。スクールのほかに花屋とブティックを経営しているが、基幹はスクール。


背景については問屋ブログをご覧頂きたいのですが、「真髄」と思ったことを書きますと、

この先生が「花を通じて、人を育てる」というコンセプトを一貫して持っておられることに尽きる。


エピソード。


35周年記念パーティにはたくさんの生徒も来ていた。主に40代を中心とする主婦層。数十人はいただろうか。


パーティはお開きとなり、生徒たちは各テーブルに1輪ずつ挿されたバラのラナンキュラを紙に包んで

会場の出口へ。

来場者1人1人に挨拶をしながら記念品を渡す先生はその生徒たちを見るや、一喝。「何やってんのよ!」

ラナンキュラは全て没収。受付のテーブルに山のように積まれた。


生徒たちはその場で一列に並ばされ、ごった返す公衆の面前で説教。

 ・この花はあんたたち(生徒)の物じゃなくて私(先生)のものなの!

 ・あんたたちが何で他のお客様よりも先に会場を出てるわけ?


あぁ、これか、と思った。

伊丹先生の著書の中に「性善説、性悪説ではなく、性弱説」という考え方が披露されている。

人間は、「性善なれども、弱し」。

マナー、礼節、常識をわきまえ、守るためにはそれなりに強さが必要なのである。

大人であろうと、お金持ちであろうと、その強さを持ち合わせているかどうかは別次元。


生徒を「客」として扱うスクールが山ほどあるが、それは本来の「真摯に学ぼうとする姿勢」をスポイルする、

本質的には好ましくない事象なのかもしれない。

もっと「教える者」の威厳、「教わる者」の真摯さが問われる場が必要だと、深層心理でわかっているのかもしれない。


今、話題の花育。「花」にスポットが当たっている感があるが、「育」にもっと目を向けてみてはどうか。

そこに35年という月日を実現した原動力があるのではないだろうか。

先日、ラジオを聴いていたらGoodwillの折口氏が、人の評価のポイントは「能力×情熱×考え方」だと言っていた。

3つの項の掛け算であり、他の2つがいくら優れていても1つが0だったら評価は0。


そしてこの3つの要素の中でも取り分け問題になるのは「考え方」なのだと。

不正をする、人の足を引っ張る、見えないように怠ける、と言う様な誤った「考え方」を持っている人が、

特に優秀そうに見える人の中に実に多いのだと、言うようなことを言っていた。


生フロクを終えて、この業界には真に優秀な人が多いのだと、思いました。夜明けはすぐそこだ。

贈る相手のことを考えながら花を選んで、水上げをして、花束を作り、ラッピングをし、メッセージカードを書く。

そして贈る相手の所まで持って行き、渡す。喜ばれる。お互いの記憶にずっと残る。


「花を贈る」という行為は、極めて次元の高いエンターテイメントだと思います。

このエンターテイメント性を多くの人に気づいてもらうことができれば、市場規模は10倍になると思う。

既報の通り、仮免学科試験に落ちました。。。


昨日の晩に学科教本を通読した上、今日の試験前には1時間半、自習室で模擬問題をやったのにこの結果。

40人くらい受験して、落ちたのは5~6人という状況。明らかに「下の1割」に入っているという状況。


これはいくらなんでも落ち込まざるを得ません。


しかし、


「友がみな 我より偉く みゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ」

「花がパワーをくれるんです!」


こんなフレーズの意味するところが腹でわかった気もします。

こういう感情に訴える売り方も、意外と新しいかも知れない。



はぁ。

卸価格は他の輸入カーネの倍以上、国産の1.5倍は当たり前のムー○ダスト。

サプライチェーンも確立されている、「品種ブランド」としては随一と言っても過言ではなかろう。


ここに「花業界人」としての凝り固まった先入観があった。


弊社でも昨年から取り扱いをはじめてそこそこ売れ、今年は異業種(通販、物流会社)にノリノリで勧めたのだが、

軒並み却下の憂き目に遭った。


「なんか、エロい」

「紫はちょっと・・・」


そりゃそうだ。そりゃ。。

ここにこの商品の、一つの限界があるのは間違いなかろう。


しかし、逆に言うと「越えなければならない壁が見えている」という意味では、非常に強い。

この壁が見えて初めて大御所たちが言う「トヨタのCMで使ってもらう方法を考える」が機能する。


どうも、ここ最近のオンライン議論は「見えない壁をみんなでどう越えましょうか」論でしかないように思えるのは

私だけでしょうか。

各自が自分の目の前にある壁を、見て見ぬふりをする、口実作りをしている、もちろん無意識に。

そんな病理が働いている気がする。


ここだけの話です。笑

其の一(の載った雑誌)が発行された矢先、其の二の取材に行ってきました。


一回目の店舗とは全てにおいて正反対のFNユーザー。しかし、これまたハマリユーザーである。

FN自体、正直、ぴったりフィットするユーザーとフィットしていないユーザーにくっきり分かれるが、

それはどちらかというと機能ではなく、ユーザー側(の価値観や危機感)に起因する部分が大きい。

初期費用、ランニング費用は同額でありながら、高いと感じるか、安すぎると感じるか、感じる主体次第である。

一回目同様、こちらの話して欲しいことをそのまんま、話して頂くことができたので予定よりだいぶ早く終了。


どうしても広告記事である以上、色んなバイアスが掛かってしまうが、できるだけ事実に忠実に書き、

マッチする潜在ユーザーの琴線に触れることができれば、と期待しています。


今日はこれからマツマヤさんと雑談会@品川。

実はちゃんと話をするのは初めてなので大変楽しみです。

よく異業種の方から「花って儲かるんでしょ~」と言われます。

いわく、100円で仕入れたものを300円とかで売るんだから儲からない訳がない、と。


面倒くさいのでスルーすることが多いネタ振りではありますが、たまに思うこと。

「商売の天才が花を売ったら、あり得ないくらいに儲かるんじゃないか??」


例えば一昨日のエントリで紹介したサイト。

あのサイトの運営者はECのカリスマとして有名で、あらゆる商品をいとも簡単に売りさばく。

本当に不適切な表現で恐縮だが、「小売の鉄則はバカを相手にすること」を地で行っている。

ご覧頂くとわかりますが、本当に普通のことを訴求している「だけ」といえば「だけ」。


そしてこの「だけ」にポイントがあることは言うまでもない。


母の日だけ、この商品だけ、普通のことだけ、数はこれだけ。

開き直りの境地である。


そして「これしかないんだけど、これのいいところはね・・・」と、楽しそうにプレゼンする。

わかりやすい内容だから、受け手にも伝わりやすく、そしてまた受け手は人に伝えたくなる。


そうやって「片手間」で「1ヶ月だけ」花を売って、1億円を売るのだ。


邪道?大衆を小ばかにしている?花屋を一緒にされては困る?


全くその通りです。でもですね、

出会ってから8年が経つが、未だに驚きの連続である。


ついこの間まで、「パソコンを使えるようにならなくていいのは俺だけだ!」と言って憚らず、

あらゆる書類、見積り資料、雑誌の原稿に至るまで手書きしたものを誰かにタイプさせ、

せっかく買った机の上のノートパソコンは閉じっぱなしという惨憺たる状況があった。


ところがこの数ヶ月、どういう訳かいきなりパソコンに噛り付くようになった。

エクセル、パワポ、ブログの書き方などなど一通りのハウツー本を読破し、先日はパワポを駆使して

産地でプレゼンまでしてきたようである。

今や「朝まで生ブログ」などという、オンラインイベントまで考えているらしいから計り知れない。


この勢いはとどまることを知らず、「今度はHTMLを勉強して絶対俺のホームページを作る!」と

高らかに宣言し、先ほど意気揚々と去って行った。

昨日のエントリについてですが、フランチャイズを題材にした時点で特定少数プレイヤーが

想起され、その事業活動に対してネガティブな内容となっております。

当然、各プレイヤーはそれぞれに経営判断を行い、少なからぬ投資をして事業に賭けている訳であり、

それに対して無責任な立場から否定的な意見を公表することへの抵抗は大いにあります。


ではなぜ敢えてこのようなアップをするかと申しますと、それが本質だと思うからです。


今、この業界の特に川下サイドには、プロフェッショナリズムに則ったジャーナリズム、アカデミズムが

不在です。

業界誌にしても、記事として取り上げられるためには多かれ少なかれバーターで広告出稿が求められる。

彼らに言わせると、そうしないと成り立たない、その現実は非常によくわかります。

しかし悲しいかな、読者のニーズは「大局的」「客観的」な情報にある、そうした本質を忘れてしまっては

本末転倒と言わざるを得ません。


日々、現業に専心する多くの小規模プレイヤーに取り、大局的・客観的な本質論こそ必要な情報のはず。

そして業界誌はそれを得るための媒体としての信頼があり、だからこそ読まれている。

この構造が瓦解するのは、申し訳ないけど時間の問題と思います。


なぜなら、プロフェッショナリズムの対極にあるコマーシャリズムに立脚した情報が、最終的に、少なくとも

一定の誰かに福利をもたらすかというと、現実的にそうではないケースの方が圧倒的に多いから。

株式など金融商品のケースを想起するとわかりやすい。

圧倒的多数である善意の小規模プレイヤーに取り、こうした情報に惑わされ躍らされる時間なり労力は

極力削減しなくてはならない。


では誰が本質論の議論の種を撒き、場を提供するか。それができるのは誰なのか。

本来的には報道機関なのでしょうが、現在の業界においては川中の流通業者なのでしょう。

それを何年も前から気づいて実践されてきた試みがフロレッタでありショーザフローレだったと思います。

当プロパガンダの意義も、後付ですがそういうところに見出して頂ければと思っております。


ただ乗り越えられない高い壁もある。それは私も含め、流通業者とはコマーシャリズムの局地にいるという、

これまた非常に本質的な相反する現実。


えーと、結局何が言いたいかと言いますと、マツヤマさんの存在価値は大変大きいはずですということです。