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まつPONの「hanaと共に生きる」

中の人の職業観、人生観の変遷が垣間見れます。

今週はしんどかった。


伝票関係のスタッフが2名中2名、高熱のため寝込み、代打の切り札で私。


経営、企画、営業、仕入、物流、システム、伝票、、1人5役以上やるのは相当楽しい。

同じ組織内で、普段やらない業務をやるということは、普段顔を合わせている者同士の間でも

全く違ったコミュニケーション、人間関係が図れるもの、また、緊急事態ならでは、

社員やパートさんたちの協力体制も盤石なものがあると再認識した。感謝感謝。


しかし肉体的に疲れはする。1つしかない体、プライオリティをきちんと守らなくては、つまり、

やりたいこと、やった方が良さそうなことでも、より重要なことに対する能率や意欲が

落ちてしまうような事態を前にしては潔く断念しなくてはならない。

肉体を過信してはいけない、と頻繁に思う年頃になってきた。



欲張りの定義、とにかく全てを欲しがる向きと、(貴重な一つの)これを欲しい向きに

二分されると思うが、すべからく前者は破たんし後者は大成するように思う。

独占欲と出世欲、という対比が妥当か。


とにかく何でも欲しいタイプはねたまれこそすれ尊敬されず、かつ、欲望は際限ないので

自分自身も満足することがない不幸なタイプ。

何が何でも「これ」を欲しいタイプは、馬鹿にされこそすれ、そんなことは気にもならず、

まい進し手に入れた時の喜び、周囲からの称賛には計り知れないものがある。



絶望的なことに、どちらかというと私は前者、全て欲しがる向きである。

池の浮遊物を全て喰らう井の頭公園の鯉と同じ。自分の最大の敵は自分のその部分。



そんな自己嫌悪に陥りながら、原点である九州へ向かいます。

産地さん2軒との打合せと大口顧客のイベントお手伝いです。


しかしスタッフの熱が下がらない場合は日曜にとんぼ帰りです。

ビックサイトでマツヤマさん目撃情報を得て即電話、
水際(駅の改札を入る直前)での引き留めに成功し、
ドトールで講話を聞く機会に恵まれました。

その情報力、洞察力はもとより、精神的バイタリティにはお会いする度に敬服するばかりである。

先日は市場にてカンケさんにも同様に講話をいただいた。

このblogを最初に報告したうちのお二人は、今なお一等星として更に輝きを増している。

私も何か貢献し、お返ししなくてはとの思いを新たにしました。

「チクショウ!」と思った。でも嬉しかった。


どこもだめなんだ、身を低くして嵐の過ぎ去るのを待て、そんな命令を自分に下していた、

そうではなかった、ここは中心ではなかった、ユーザのニーズを捉え伸びている一団がいた、


そしてその一団の中核に、敬愛する生産者の一人がいた。

はにかみ屋の彼の口から初めて「今期はよかった」という言葉が聞けたのは、嬉しかった。


その現場に自分がいなかったことは、究極に悔しかったが、その悔しさもまた自分の糧となる。


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自分および弊社が業界の中心付近にいるとの認識はなく、むしろ客観性を価値としていたが、

それは誤りだったようで、無意識にいつしかメインストリーム志向があったようで。


いつのまにか、「よそはどうだ」を気にし、安心するようになっていた。


「よそ」は、よそではなくて、単なる向三軒両隣だったということ。


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出来る生産者は、須くしたたか。いいこと。

つまずき、つまずき、つまずき、それでもやり続ける、やり通す。

少々の成功はひけらかさず、真摯に「学ぶ者」の姿勢を貫く。


「収穫の方法」が無意識に身についているのだろう。


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気づけば私も業界の「事情通」になりつつある。

事情通になればなるほど、より事情通な人の話を貴く思う。


そのポジションを捨てたい。ゼロベースで物を見たい。地球・社会・百年のスパンで見たい。


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前出の生産者いわく「おめーもそろそろ潮時じゃねーのか!?」


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なかなか鋭い。

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前回、修羅場と書いて、まだ2週間か。

店頭ディスプレイの「深谷のLAユリ」はこの間ずっと咲き続けている。


ここ数年、思い返しては「時が経つのが早くなった」とつぶやくことが多かったが、

ここ数週間の長いこと長いこと。

当プロパガンダの管理画面を「久々に」開いたと思ったらまだ2週間しか経っていない。


「あれ、若返ったかな」などと思う自分はやはり、どちらかというとオメデタイ部類なのだろう。


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と、若干気取った「はしがき」を書きつつ、何かを書こうと思った当プロパガンダでありますが、

ここ最近の記事を読むに、プロパガンダと言えるだけの思想とか熱意が感じられないことを認識する。


なんだろう、「業界たるや」とかそういった議論におけるオリジナルなポジションがなくなって来て

いるのというのは極めて率直なところです。

色んな現場でいろんな取組みがなされ、ただそのひとつひとつは小さいものなので、詳しいところは

わかりませんが、とにかく新しいチャレンジは頑張って欲しいし、何か実現してほしいと願います。

しかし、自分の足もとの業績が芳しくないことも手伝って、「頑張ってねー」と逃げることにしている。


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事業の「業績」は相変わらず良くないが、根幹である「自分たち自身への処方箋」を書こうと、

する具体的な行動が、私以外のメンバーから出てきたことは吉兆です。夜明けは近い。


AIDMAではないが、人が具体的行動を起こそうとするまでには、割と厄介なプロセスがある。

こうしたプロセスについて、環境が許す限りは、内発的に行動してくれるのを待った方がリターンが大きいと、

「鳴くまで待とう」の心境で、信じながら待っていた甲斐があったというもの。

この素晴らしい動きを最大限にアクセレレートするのが自分の責務であり、出来なければ役不足の烙印を

自分で自分に押さなければならない。


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hananikkiがhananikki2になりました。

これまで2時間に1回の更新だったのが、リアルタイム更新になったのに加え、記事のタイトルが

一覧できるのでとても便利だと思います。

難点は(非常に個人的な事情ですが)私の携帯から見ると型崩れして読みづらいことくらいでしょうか。


賛否両論ありますが、閲覧数をランク付けする「ランキング」コーナーは廃止されました。

一方、自分の読みたい記事だけをカスタマイズできる機能がつきました。


ランキング機能はhananikkiならではの機能、カスタマイズ機能はどこにでもある機能ということを鑑みると、

「2」へのアクセスは一時的に減り、徐々に回復するも、例えば大々的な「オフ会」が年2回開催されるほどの

コミュニティに戻ることはないと思います。


管理人のダイスケさんはそれを意図されたのでしょう。「第一段階の役目を終えた」充実感とともに。拍手です。


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自然界も、人間社会も、「収縮と拡散」を繰り返すのが摂理。


この繰り返しのスパンは、規模が小さければ小さいほど速く、めまぐるしい。

収縮が過ぎてのビッグバン、拡散が過ぎてのメルトダウン、この業界の両方を食い止めているのは、

唯一、花そのものの存在であり、しかし、イノベーションの芽を摘んでいるのもまた然り。


自然と共存共栄して行く人間社会のあり方を体現しているといえよう。


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もがく中で、ヒントになる原理原則は「ファクトベース(事実に立脚)」と「ロジカル(論理的)」で

あるということ。


同級生が経営コンサルティング会社に入って大変苦労しつつ頑張っているというので、物の本を

手に取ってみたところ、随所に出てくる原理原則。シンプルだけど実践は難しいということでしょう。


学生と社会人の境目に、経営者のまねごとをやっていた時期、とても素晴らしいお手本が近くにいた。

彼に教わった一番印象深い言葉が、「どれだけ反感を買っても、常に正論を吐き続けるのがリーダー」。


孤独感を抱きながらの日々に、光明を与えてくれるアイディア、そして温度のある言葉たち。


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ありがとう。

今月の松山さんの記事は「修羅場に学ぶ」でしたね。


自分に取っての修羅場は何だったのか、思い出してみる。

まず最初に思い出されるのは、今の会社に来てから初めての、サイトリニューアル。5年以上前のこと。

当時は全くの「ヨソモノ」だった私が、それまでの業務システムをがらりと変えてしまうという傲慢な暴挙。

#今にして思えば、本当に、若いからできた「傲慢な暴挙」。


システムを設計して、マニュアルを書いて、全てがうまく行くかと思ったらそうは問屋が卸さない。

「マニュアルの意味がわからない」

「マニュアルに無い内容の業務をどうしたらいいのか」

「システムにバグが・・・」

「印刷物がでない・・・」

「○村さん!」

「○村!」

「○!」

「・・・」


あのサービスインの数週間は、自分の名前を呼ばれる度に慄き、委縮する日々だった。

社内を歩いていて、後ろから(同僚である社員に)刺されるのではないかと戦々恐々したものだった。

逆に言うと、それくらいのストレスを仲間に強いる、文字通りの暴挙だったのだろう。


あの頃の私は、今以上に青二才で、とにかく「正論は何か」だけを問い続け、行動の拠り所にしていた。

逆に言うとそれ以外に、行動を規定するものを持ち合わせていなかった。とがっていた。


結果的に、この記憶の結末は成功体験の一つとして蓄積されているのだが、その過程は文字通りの

「修羅場」だった。



この他の修羅場体験としては、主に、物日の出荷関連のもの。

自社で受けられるキャパ以上の注文を、いつの間にか受けてしまった人がいたりだとか、

受けている注文をうまく捌くことができていないのに間際まで黙っている人がいたりとか。


その度に、徹夜したり、お願いしたり、謝ったりしながら、修羅場をどうにかしてきた。

後味の悪い終わり方の修羅場もあったが、どうにかくぐり抜けてきた。ずるさも身につけた。



そして今、直面している修羅場。第三の修羅場。



思えば過去の修羅場には、対処すべき相手がいた。

実際に目に見えて存在する相手に対して、どう対処するのか、という戦術。


今、直面するこの修羅場では、相手がまったく見えない。見えていない。

「売れない」「何となく打つ手がない」「どうにかなる、誰か何とかしてくれる、という根拠のない共依存」。


そう、敵が自分(たち)の中にいるという、最も恐ろしくやっかいな修羅場。

過去の修羅場体験も含め、成功体験を全て捨て去らなくてはならない。さもなければ死ぬ。



丸坊主にしたくらいでは全く足らない。

当プロパガンダにおいて2年前から提唱させて頂いていたことがようやく実現しました。

すなわち、フラワージャーnaリスト(花作家?)マツヤマ2コトの誕生です。


#今月から月刊フローliストに連載が開始されました。しかも何と3ページも!


ことのなり行きは全く知りませんが、やっぱり、物事は成るように成るのだなという印象。

内容もさること、文体も完成されていて、独特のユーモアも織り交ぜられ、読後感は清々しい。

花の分野にフォーカスした中で、これだけの文章を書ける才能が他にいるだろうか。

F誌の細い編集長にも拍手喝采を送りたいところであります。


ご本人に「すごいですね」とメールしたところ、

「すごくないです。すぐ終わります。誰も読まないコーナーです。」とそっけない返事。


本当に、物事を逆から見るのが得意な方のようです。

仕入れ担当のい☆船は無事復帰しました。
まだ当分、酒は飲めないカラダのようですが。
(怪我の功名?)



そのい☆船は復帰後、毎日、自作の弁当を持参するようになった。
ご飯は玄米と白米を混ぜたもの、それ以外にこだわりのおかずが最低2品。あとインスタント味噌汁。

いわく、酒を飲まないと帰宅後にやることがなく、
もっぱら炊事洗濯掃除が趣味と化しているとのこと。



想像するだけでキモい。
い☆船が、「趣味は家事です」と宣うの図。



キモいなぁ、これも病み上がりの症状の一部なのかと眺めていたが
それだけでは問屋が卸さないのが87どん8。



なんと奴は今週から、私の分まで弁当を作って来るようになった。



キモすぎる。



それらしきランチボックスに、二人分の弁当が入っていて、「ハイ、松村さんの分」と渡してくれるの図。

先週末、「来週から松村さんの分も作って来てあげますよぅ!」のオファーがあり、
「そりゃ助かります」なんて適当に返事しておいたら、
本当に作って来るもんなぁ。



本人の名誉のために付け加えますとこれが、あろうことか、これがめちゃくちゃ美味い。

火加減、塩加減、栄養バランス、食材の合わせ方に至るまで、非常に絶妙。



毎日タダで弁当をもらうのもさすがにアレだし、
次回から一回500円支払うことを先程提案しといた。
横隔膜の内側がくすぐったい感じのキモさが少しでも緩和するといいなぁ。

い○船が1月末から入院してしまった関係で、私が無休で慣れない仕入れもやっている
今日この頃です。


これまでも金曜分のみ前日の引き荷をやっていたものの、予約~セリまでを駆使しての
トータル的な仕入れをやるのは7年目にして初の経験で大変勉強になります。
まさに怪我の功名。


☆以下、雑感つれづれ


 ・価格と商品価値が全くリンクしていない現場にもろに立ち会った。

  →今日の一例を挙げると、ある商品を某市場に予約注文したところ、
   Sサイズで150円したが、Web相対では同じ産地の同じ商品のLサイズが
   60円で出ていた。セリに出たのかどうかは知らないが、結果は推して知るべし。
   ここまで極端なケースが、今日だけで少なくともあと2例はあった。
   ちなみに150円という仕入れ値は弊社の売価(100円)を遥かに上回る価格。
   市場の担当者に問い合わせると「産地がつけてきた価格だからしゃーない。」と。
   更に「こういう花は、価格なんてあってないようなもんだからねぇ。」と。


   「じゃあ君の仕事はいったい何なんだい?」なんて言いたくもならなかった。
   少なくとも、この担当者の扱う商材は二度とこの市場には注文しないだろう。


 ・セリは非常にエキサイティングである。

  →先週の金曜日、急に入用になったある商品をセリ買いするために、急きょ、
   私が人生初のセリに出ることになった。そしたら社長がついてきた。
   そして、ピタッと横に座り、何か神聖なしきたりを伝授する伝道師の如く、
   厳かにセリのいろはを伝授してくれた。
   そして「俺の予想はLで120円だ。120円で押せ!」と言い残して去っていった。
   「200本絶対必要」と「120円で押せ!」の2つの命題をあの瞬間的なタイミングで
   果たして達成できるものか、もうハラハラでしたよ。
   結果的に80円でも止まってしまう感じで、無事にクリアできました。


   以来、月・水とセリに出たくて出たくて仕方がない衝動に駆られますが禁欲です。
   あそこになぜ、毎日あれだけの人が集まるのか、実は「面白いから」が主なのでは?
   セリ人の演出含め、あれはエンターテイメントです。ギャンブル性のある。


 ・市場の人間は意外といいやつらである。

  →これまで、市場の人と言ってもろくに挨拶もしない、ただいるだけの人間だったが、
   仕入れをやりコミュニケーションを取り始めると、温度を感じるようになった。
   揃いのジャンパーを着て、喫煙室で携帯ゲームに没頭しているだけじゃないんだと
   認識を新たにさせて頂いた。


   そう、彼らだって同じ人間。どころか、言わば隣人。私は彼らにとって何かプラスに
   ならなくてはいけないし、私も彼らから学び勉強させて頂かなければならない。
   逆に、これまでそういう感覚を全く感じなかったことがとても不思議。なぜだろう。


 ・1人いなくても現場はまわる。

  →仕入れのメイン担当者が欠けると様々な不都合が生じるのではと、危惧したが、
   何のその、スタッフの率先した行動とチームワークにより、ほとんど問題なく、
   朝から晩までまわっている。(私だけ困憊しているんですが)


   これは割と重要な示唆で、私自身の問題を露呈している。何かモチベーティブな
   ことがあると、これほどまでに人は動きが良くなるものなのだ。よく気づくし、
   一つ一つの仕事に対する責任感が違ってくる。気持ち一つ。


そんなような「ぐちゃっ」とした雑感を持ちつつ、そろそろにわか仕入れ担当は
解任される模様であります。というかそろそろ限界が・・・

誰にも未だかつて一度も話したことはありませんが、小龍包(しょうろんぽう)は、世界一の料理だと思います。



うやうやしく運ばれてくるあの籠の、フタが明けられるところから物語は始まっていて、

ふわっと立ち上がる湯気、湯気に少しばかり隠されたふくよかな香り、幸せ感が気を立てる。



さあ、すぐさまどうぞ、となる。最初に箸を伸ばす人は勇気がいる。いや、どうぞどうぞ、となる。

箸でつまむのはおそるおそる、角度とつまむ強さを入念に加減しながら、平静を装いつつ、




よいしょっ




とつまみ、手早く小皿へ。

つまむ瞬間にぷくっとしたやわらかい光沢のある皮が破けて中の出汁がストーンと落ちてしまった暁にも、

何事もなかったかのように小皿へ。己の未熟さを感じながら、小皿へ。



体よく小皿へ移せた場合、それが早いか、ポン酢につけるかそのままいくか素早いジャッジメント、その末、

小龍包本体の下側のふくらみに、自らの下の歯をそっとあてる。と、ジュワッ・・・



甘くも辛くもない、それでいて確かな味のある出汁が口腔をほとばしる。



だがその余韻を十分に味わう間もなく、次のジャッジをしなければならない運命。

そのまま一口でいくか、約半分かじって残りを小皿に一旦おき、自らの仕事を客観視するか。



思い切って一口で行った場合、下の前歯がじゅわっと攻め込んだが早いか、箸で全体を口に押し込み、

上の前歯がぷくっとした美しい皮に歯をたてる。そこでまた出汁の余韻が到来。

ほどよい温かみを感じつつ、いったい中身はどんな食材で構成されているのかと、人に予想を語れる程度に

認識したいと思いつつも、最後の2つか3つが思い浮かばないうちに、ごくんと飲み込む。




美味しさと、悔しさの入り混じった気持ちで、




「オイシイデスネーー!コノショウロンポウワ!」




とのアウトプットが出てくる。




この一連の行為を、物語と呼ぶのはおかしくないであろうか。いや、おかしいであろうか!?


誰にでも、自分以外の誰にも打ち明けた事がない、しかし、大した秘密でもない、単に機会がなかっただけ、

というようなことはあると思う。それはほぼ確実に、くだらないことである。


逆説的に、日々、くだらない、自分に関係ないと判断し、あるいは自分には手に負えないとあきらめながら、

看過してしまっている大切なことはないだろうか。