まつPONの「hanaと共に生きる」 -2ページ目

まつPONの「hanaと共に生きる」

中の人の職業観、人生観の変遷が垣間見れます。

マスコミが伝える事象は偶像。

大きなトレンドは表しても、
ディテールを伝える能力はないし、求められてもいない。
誰かの嗅覚が視覚となって広く配布されるだけ。

誰かの嗅覚が、少なくとも「私の人格」と同一でないことを、
受け取り手は賢明に認識している。大きな潮流を読むためのツールとわきまえている。

但し、自分が取材対象か、直接の利害関係者である場合は別。
そこに悲劇はある。

人格ではない、システムとしてのマスコミは、利用した者勝ち。
何かおかしい、でもそれがリアル。

・・・・

明日デルフィが届く。仕入れ1本せん円のデルフィ。
価値があるから、その値段がつくはず。その原理原則に立ち、「付き合い」に乗る。

せめて自分やスタッフや、僭越ながらお客様にも、研鑽の糧になればと。思うというのは、まやかし、打算か。逡巡。

スタッフからは「そんな高いの、売れないに決まってる」と白い目。確かに。彼らにはこうした意思決定は慎んでもらっているのだから。

しかし、悲しい、「そんな高価なデルフィ、どんなに素晴らしいんだろう!」と目を輝かせる者は一人もなし。
価値と値段が、一致していないことがここでも暗黙の了解となってしまっている。
そんな世界では、疑いが前提。

もしも明日売れなければ自腹で買い取ります。せめて、ね。

・・・・

ツイッターには「リツイート」という機能があります。

初心者のうちは(つってもまだ、やって1ヶ月半くらいですが)この機能の使い所がわかっていなかったが、
今日ひょんに、これこそがツイッターの真髄と思うようになった。「公式リツイート」。

詳細は割愛しますが、雑多ながらくたの山から、ちょっと価値ありげなつぶやきだけを、みんなの力で紐付け作業をやるイメージ。

・・・・

ツイッターって、即時的価値評価モデルであるところが、セリみたい。
公式リツイートが、えっへんおっほん。

・・・・

ただそのリツイートも、「発信者が多いマスコミ」と基本同じ。
つまりリツイートするかどうかの意思決定には私情が入り込む。

・・・・

読解力と、感受性。

珍しくコメントが入ったので、過去のエントリを読み返していたら、直近の記事に結びつくような

記事がありましたので再掲したいと思います。

http://ameblo.jp/87don8/entry-10064854849.html


この2年で世の中が変わり、当業界にも少しずつ変化が訪れている空気感が見て取れる気がします。

そのスピードをもっと速く。単独で速めるのではなく、全体で意思をもって速める必要があります。


世の中の変化の速度を上回る速度での変化、或いは他業界の手本となる変化を起こすことで、

自ずと注目は集まり、業界価値は高まる。

但し、変化について来れないプレイヤーは淘汰される。

昨今、いわゆる「直売所」が話題となっている。

knケさんのご指摘を引くまでもなく、大いなる販売力を見せつけている。


================================


例えば今日伺った大手量販各社あわせて数十店舗にてpack花を委taku販売している会社さん@首都圏の、

このお彼岸の店舗別売上実績トップは地元の「直売所@会社の近所」であるという事実。

この会社は仕入れはアジア最大の卸売市場で行いながら、直売所にも出しているとのこと。


この直売所では、生産者からの持ち込みと、非生産者からの持ち込みで取引条件を違えていて、

非生産者の持ち込みの場合は量販とほぼ同率のマージンを取られるとのこと。

即ち、サプライヤーとしての取引条件は量販店でも直売所でも同じ。商圏も商品も販売単価も同じ。


更に言うと、単純な来客数では量販店の方が圧倒的に多い。それなのに。


================================


パック社長いわく、「直売所には本当に買おうという気がある人が集まっているようだ。」


この「直売所」の経営主体がどこなのか、聞くのを忘れたが、資産効率、費用対効果、どれを取っても

非常に効率的、名だたる量販店よりも(トータルの規模はともかく)経営的に良い状態と言えよう。


今、「直売所」はブームであり、消費者の心を捉えている。販売力のあるチャネルである。

生産者の皆さんに取っては更に、市場以外への出荷を大手を振って行えるという、大義名分もある。

ぜひ、直売所での販売を積極的にされるべきと思うし、そうした直売所が近くにない場合は、

仲間と協力したり、行政に働きかけて、直売所を設けるべきでしょう。


================================


直売所をブームにしている心理は、「メリットデメリット」ではない「危機感」「安心感」「ぬくもり」。

土の色、段ボールに手書き、日に焼けた顔、全てが商品価値の一部となり、全部となる。


=================================


この「直売所」チャネルは、既存の流通チャネルに比べると、そうは言っても限定的な規模だが、

サプライヤーに「価値の第二軸」を与えることとなる。これがブームが去っても歴史に残る、

唯一無二のインパクトである。


これまでは「卸売市場」という一つの枠の中に、地域性であったり、市場ごとの特色を見出していたが、

根本的に問題となるところは同じで、「価格が正当なのかどうか、わからない」。

ここに「非・卸売市場」という対立軸を明確に加えることで、少なくとも価格の妥当性が検証できるし、

それに伴ってサプライヤーとしての交渉力も高まるはずである。


=================================


私が当プロパガンダにて当初から問題提起している、「同一価値」に対する価格の「非同一性」、

この業界の最大のボトルネックが、解消される可能性を持つエポックである。


本当は、弊社の立場でそうしたことの実現もしたかったのだが、直売所には勝てない。


=================================


勝てないけれども、それは当然、負けを意味するのではなく、「次の時代」にワープさせてもらった感覚。

タナボタ。


=================================


何れにしても、価格の正当性をお客様にきちんと説明できるようでなければ、発展性はない。

現在のトレンドは発展に向けての良いトレンドであることは間違いない。


=================================


ここのくだりは余談ですが、


ツイッター上で老舗花屋の大御所風の方が、卸売市場の大型化、及び機械式セリの普及が、

若いセリ人、若い買参人が花を評価する「審美眼」を育てない元凶だとおっしゃっていたが、

私からすると「So what?」である。


大御所を気取るのであれば、若い者を批判するのではなく、若い者を育てられなかった自らの世代を責め、

これからでも遅くはない、悔い改め具体的に行動べきである。


=================================


一例だが、大手量販店は、「セール」と称し、オリエンタル百合を100円台で売りたがる。

一方、卸売の段階で1本1000円で取引されようとしているオリエンタル百合もある。


需要側と供給側、すなわち、作り手と使い手の、千差万別のニーズを交通整理し、マッチングする、

勝ち残る流通業者はそうしたマインドを持ち合わせた少数のところだろう。

先週土曜からツイッターをはじめました。

前々から友人知人がやっていて、都度アカウント作ったりしてましたが初めて大々的に。

以下気づき。

・発信が大変簡便、むしろこの部分だけを追求した感あり!?

・リアルタイムの動きがある。タイムラインは生き物!但し、タイムラインは書き手をフォローすることにより自分で作らなくてはいけない。

・唯一最大の欠陥は、読みにくいこと。ツイッター初心者には多少なりタイムライン読解には苦しむだろう。


この「読みにくさ」はインターフェイスの問題もあるが、この「つぶやき公開」サービスが本来的に内包したものだと感じる。
再現性、共有性、普遍性、発展性。
商品の価値はおよそこの各方向から評価された値の総和と言えよう。

取り分け、この4つの中でも「再現性」に、充分注意を払わなくてはならないと思う。
期待された効果を再現することで、次の需要を生むという正の意味ももちろんだが、
発生した不満を再現することで、未来の需要を消すという面が、特に代替品が多いマーケットにおいては、重視されなくてはならない。

この部分を補うのが、システム、あるいはシステム化という概念だが、それでは対応できない問題がパーソナリティに起因する問題である。
米国議会において検証されているのはまさに、トヨタという会社のパーソナリティが信頼に足るものかどうか、であろう。

最近、身近にも同様に感じる出来事があった。
諸般の事情で苦境に立たされたらしい個人生産者の周囲の方から取引依頼があり、ご本人とも電話で話したところ品質に自信があり、人柄も好感が持てると感じたのでサンプルを有償(注文単価)にて3ケース依頼。

ところが、、、という出来事。

詳細は割愛するが、苦境に立たされたのは、やっぱり本人にかなりの非があるのでは?と思うと同時に、ちょっと付き合えないかなと判断せざるをえない。

苦境に立っている、それでも頑張りたい、言うなれば再チャレンジ、
それは応援したいが、苦境に立っている、それもパーソナリティ(広義)が問題で、
であれば前提条件は彼が反省していること、再発防止策を考えていること。


翻り、自分あるいは自社の、パーソナリティに起因して誰かに迷惑を掛けることはあってはならないし、
万一、そうなってしまった場合は必ずその場で信頼を回復しなくてはならないと肝に銘じる。

この土日、九州本土最南端のK県へ、療養中の祖母を見舞いに行ってきました。


この県を訪れたのは数年ぶりであったが、前々回のエントリで書いた別のK県同様、

九州ならではの活気を感じた。

街がハード面で(新幹線等)進化し、そこに住む人が発する「ソフト」も洗練されつつある。


その一端がこちら。



まつPONの花*プロパガンダ!-花束はずっと枯れない。

「KG島中央駅」という、新幹線のターミナル駅の駅ビル

その姿を正面から見た者が、いやでも必ず目にするサイズのサイン。


「花束は、ずっと枯れない。」の白抜きのキャッチが目に飛び込んでくる。

まつPONの花*プロパガンダ!-ずっと枯れない。


わかりにくいが、ショーウィンドー境のペナントにも同様のメッセージ。



まつPONの花*プロパガンダ!-枯れない。


とにかく、全てのサインに、同様のメッセージが貼られていた。

このインパクトたるや、かなりの衝撃とともに、ある種の心地よさを通行人に訴えかけるのではないか。


まつPONの花*プロパガンダ!-枯れない。

何やらポーズを決めているのは、マツヤマさんの高校の先輩です。笑



===========================



狭義で考察すると、まずこのキャッチコピーのポイントは「ずっと枯れない。」にあると思う。

「衰退」「敗退」「先細り」と言ったワードが席巻しつつある今、「枯れない」しかも「ずっと」というメッセージが、

あまりにもストレートに打ち出されている。


ここに来れば、ずっと枯れない。

その暴力的なまでのストレートさに、美意識と温かさをもって、(中和ではなく)相乗効果を与えているのが「花束」だ。


「花」ではなく「花束」。

「花」だとどうしても若年層へのアピールが低くなるところ、特にこの時期に「花束」とすることで、

親近感が生まれることを想定しているのではないか。

かつ、「花」にもともと親近感が日本一な地の「親」「祖父母」世代への受けが悪くないことも見越している。


「花束は、じきに枯れるけれども、今までもらった花束は思い出せるでしょう?」

そんな消費者教育も生きているのかも。


===========================



広義で考察すると、このPR(ゲリラ的とも取れる)が成り立つのは、地方都市ならではではないか。


恐らく、例えば東京大丸、渋谷109、新宿ルミネ、池袋西武、立川高島屋、などではこのようなわかりにくい、

そしてなお且つ、総花的(全世代に向いている)なPRは選択されまい。

即ち「個人」100人の中に1人、買ってくれれば成り立つ場所でのキャッチではない。


言い換えれば、「何らかの繋がりのある50万人」の話題になる、何らかの良いイメージが記憶に残る、

そんなTVCM的な目的を、商業施設という「一媒体」が安上がりな方法で実現していると言えよう。



===========================


そんな事象を、衝撃を持って見かけた中で、「花(束)」が活躍していたことは、嬉しかったです。

地元の花束需要に貢献したかどうかはわかりませんが、多分、貢献しちょっが。(してるだろう。)

リントリーならず。

さんざっぱら話題提供した挙句、馬脚を現した茶番だったが、
これだけの規模の話が示唆する教訓は実に単純、
コンセンサスが大切という話。

最初に確認しておくべき事項、99がうまく行ってもその1で全てがひっくり返る事項。

一般の商取引では、お互いに8割よければ御の字な中、最も厄介な最後の「1」は見て見ぬふりをするのがセオリーだが、
「共創」「合併」などお互いの存在そのものを肯定し合うことでしか成り立たない関係を構築することを考えた場合、
最後の「1」をまず検証しないといけない。
「それを言っちゃ、おしまいよ」を最初に言わなくてはならない。

そんな交渉局面の基本のケーススタディとなる一件だったと思う。

但し今回、結果的にサ側は広報メリットが非常に高く、失うものはそうなかったのではないか。
ライバルの研究もできたことだし。

一方のキ側は失うものはあれ、得るものはなかった。
サの圧倒的勝利と言えよう。最初から意図したシナリオだったのではないかとさえ。
先週は中九州へ行き、生産地と花店の現場を回らせて頂きました。

東京から見る日本、電気信号を用いた交信とは一線を画す現場の現実、非常に使い古された表現ですが実感しました。

ただそれは「古きよき」ノスタルジーかといえばそれだけではなく、例えば、もはやアジア経済圏に対しての近さは、名実ともに圧倒された。

上海でブライダルを手がけはじめた熊本市内の花店店主(40代男性)は、「もう熊本で花屋はなりたたんですよ」。
単なる愚痴ではなく、そこからの打開策を自ら切り開くパワーがみなぎる。まさにベンチャースピリット。

一方、数年前から気に入り、毎回熊本へ行く度に訪れるセンス溢れる花屋は、隣に立ち飲み屋を併設していた。
店主(30代女性)が手製の糠漬けやパスタを用意する、女性向け立ち飲み屋。30度の泡盛などが売れ筋とか。
ちなみに花屋側にはこの日、100本近くのダリアこくちょう。これだけ売れるの?という疑問は不粋なのだろう。

いずれにしても、「人」がやっている花屋。
花屋は「医師」「教師」と並ぶ人物本位のプロフェッショナル稼業であると感じる。花屋は人。

一方、産地では「神楽」の舞。
ベテラン(40代男性)の舞を見て、若者衆が「さすが、すごい舞だ」と目を輝かす。自分もあのように舞いたいものだと、夢を語り合う光景。

古きを温ね、新しきを拒まず、果敢に攻めるサムライスピリット。
今を守り、半歩先の利益を死守したがる立場に対し、精神性の面だけでもどれほどのアドバンテージがあろうか。

願わくば、もっと九州内での生販交流があるといいのに。
ウチに取っては痛手ですが、自然な流れ。

本年もよろしくお願いします。

丸10年前、ミレニアム、2000年問題などと騒がれていた年の正月頃、社会人としての私は産声をあげました。
とは言え、大学は留年のため卒業はまだ1年以上後、大企業や外資系への就職活動と並行しての「ベンチャー起業」、今にして思うとどうにも中途半端な、いわば未熟児としての産声でした。

確か楽天市場の出店者がまだ100店舗台とかだった当時、とにかく「都内でホームページを持っている会社」をリストアップし、来る日も来る日もテレアポ営業。
そのうちの一社、2年後から勤務することになる高島平の当社に初めて訪問を許されたのは、まだコートのいる寒い2000年の3月のことでした。


あれから10年が経ったのだ。


この10年、どちらかと言うと「縁」とか「出会い」を道標に、大海をひたすら遠くまで、と泳いで来たイメージ、逆に言うと、10年単位の戦略性に欠ける年月だったことは否めない。
大海を泳いでいたはずがまだ湾内だった感。

湾内にも嵐は起き、幸せはあり、人間の機微がある。
この湾で永遠に泳ぐのも悪くない、がしかし、の逡巡。


大海に出るには船が必要なことは学んだ。
航海には仲間が必要なことも学んだ。
船に乗れる人数には限りがあることも。

先に経験した人の話はどんな類のものでも、値千金。
経験していない人の尤もらしい教えはまず百害。


ただしそんな学びや悟りが価値を生むのは唯一、大海を航海して行き着く先が明確な時、そしてそこに生きがいがあると信じられる時。


まずは海路図を作り、船を手に入れることから始める10年。
2020年、まだ湾内にいることのないように。

当ガンダの初期に確か「新」がいま(当時)の花業かいを現していると書いた覚えがありますが、
約2年遅れて日本全体がそうなったようで、
もっとも、単なる偶然と見る向きが大半とは思いますが、
私はそれが必然であると確信を持って日々営んでおります故、
心の中を、季節の変わり目を告げる風が吹き抜けたかのような
心境にあります。

当時、Kさんがコメントで「スタンダードがないから新も旧も新」と述べて下さったそのニュアンスが、
更にリアリティを増します。
(もっとも、今の世の中は見てると新も旧も旧の様相ですが。)

また理屈っぽいことを書こうかと思いましたが極度に眠いため自粛します。