2012.8.17 05:00
■チューリップ・バブル カルヴァン派と欲得
題名に使っておきながら恐縮だが、
実はチューリップ・バブルという呼び方はない。
チューリップ「バルブ」ならあるがこれは球根のことである。
ややこしいが、バブルは1720年の南海泡沫(ほうまつ)会社事件以降の用語。
だから、17世紀のオランダで起きたチューリップの球根の高騰は一般にはチューリップ・マニアと呼ばれる。
もっともそれが世界史上における3大バブルのひとつであることは間違いない。
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オランダのスペインからの独立は1637年のウェストファリア条約以降であるが、実際には1600年前後からスペインの脅威は消滅していた。
東インド会社は好調で、他国からは投資資金も流入していたし、信用取引や先物にオプションと投資商品もバラエティーに富んでいた。
また、主要な都市間が運河によって結ばれる計画がまさにたてられているときで、住宅価格も上昇を続けていた。
さらに元来オランダ人は希少品種のチューリップの球根に
高額を支払う習慣があった。
こうした条件下で1630年代に入ると球根の価格はじわじわと上昇し、
ついに異常なブームを迎えたのである。
特に価格が急上昇した時期ははっきりしていて、
1636年の10、11、12月、
37年の1、2月で、球根価格は2月3日をピークとして急落した。
バブルの典型で、突然買い手がまったくいなくなったのである。
そして、家が買えるほど高価な球根をタマネギと間違えて食べてしまっただとか、さまざまな悲喜こもごものエピソードが後に残されることになった。
価格が上昇した季節は、球根が土の中にある時期に当たる。
球根は、受け渡しのできない時期に暴騰したのだった。
かわりに先物が取引され、決済は差金決済で、受け渡しには個人的な手形が使われたようである。
取引も正式の取引所ではなく、アムステルダムやロッテルダムに限らず各地の居酒屋でも取引されていた。
暴落が始まった理由は単純で、3月に入ると現物の受け渡しが始まりそうだったから市場参加者は現実の世界に引き戻されたのである。
球根よりもお金が欲しくなったのだ。
手元にチューリップ・マニアを記述した本がいくつかある。
ジョン・K・ガルブレイスの「バブルの物語」、エドワード・チャンセラーの「バブルの歴史」、キンドルバーガーの「熱狂、恐慌、崩壊」、ピーター・ガーバーの“Famous First Bubbles”の4冊である。
4冊の一次資料はみなチャールズ・マッケイの「邦題:狂気とバブル」で共通している。取引所の話もマッケイの記述からである。
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現在ドイツ証券のエコノミストであるピーター・ガーバーが、1987年の暴落の後にこの話を価格面から検証しなおし、球根の価格は合理的であり異常ではなかったと結論づけた。
彼はチャンセラーからこう指摘された。「ガーバーには、チューリップ狂の歴史を書き換えたいと考える特別の動機があった。
論文は、1987年10月の株価暴落の直後に発表されており、株価指数先物の規制案の実現を阻止することを意図して書かれている」。
ガーバーはキンドルバーガーからも同様の評価を下されている。
しかし私はというと、ガーバーに同情的である。
すくなくともガーバーのおかげでチューリップ・マニアは経済ファンダメンタルスに影響を及ぼすような大げさな話ではなくなったのである。
バブルに踊ったのは宗教改革の改革派であり、質素、倹約で通したカルヴァン派のオランダ人だった。
カルヴァン派は、イギリス国教会に対するピューリタンと同じで、旧勢力であるスペインやカトリックという旧体制に対するものである。
カルヴァン派には職業召命説があり、職業は神の与えた使命であるから一生懸命労働して富を蓄えることは罪ではなくなったのだ。
ここではカトリックと異なり利子収入も中間マージンをとる商人も祝福されるのである。
同時に、ぜいたくや浪費は悪であるから、オランダには富が蓄積された。オランダがスペインという中世キリスト教的束縛から解放されて直後にバブルが発生したのは、興味深い。