■英国繁栄の礎を築いた海賊
映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズでジョニー・デップ演ずる海賊ジャック・スパローは、東インド会社をクビになり、海賊の烙印(らくいん)を押されたという設定だ。
17世紀中ごろのイギリス海軍から追われる身のアウトローである。しかし、大英帝国にとって海賊は、必ずしも厄介者ではなかった。
■ □
大陸から大量の銀がヨーロッパに持ち込まれると、ドイツ地方の銀山は廃れイギリスの毛織物製品の輸出先であるアントウェルペン(アントワープ)の購買力が低下し、イギリスは新しい市場を開拓する必要に迫られるようになった。
大航海時代の当初のイギリスは、スペインやポルトガルのように積極的に大陸を目指していたわけではなかったが、市場を新大陸やアジアへ向かって広げる必要性が出てきたのである。
最初のうちは商人たちの出資による毛織物を満載した船がスペインに遠慮をして北極海経由でアジアを目指して冒険的な航海をしたが凍死者をつくるばかりだった。
イギリスは次第に既知となった新大陸に触手を伸ばすようになる。
1577年、ジャック・スパローよりも約1世紀前のエリザベス女王の治世下。
海賊フランシス・ドレイクが新大陸スペインの銀輸送の要所パナマ地峡を襲い大量の銀を持ち帰ると、ロンドンでは次の航海への出資者が群がった。
このベンチャー事業には女王も一枚かんでいた。
ドレイクは次の事業をそれまでのカリブ海ではなく新大陸の西海岸であるポトシ銀山のあるペルーを襲い太平洋を横断して戻る世界一周を企画した。
2年10カ月後にドレイクがロンドンに帰還したときにはベンチャーの利益は60万ポンドにものぼり、エリザベス女王への配当金は4700%の利回りとなった。
エリザベス女王はこれを原資に対外債務をすべて支払い、残りを東部地中海地方に投資するレバント会社に出資した。
やがてレバント会社の利潤から英国東インド会社が設立されたことを思えば、イギリスのその後の繁栄の礎は海賊たちのベンチャーだったと考えても良いだろう。
その後もイギリスは海事法廷が海賊たちに「私掠(しりゃく)免許」を与え、正規のイギリス海軍の艦艇ではないが敵国の船を襲ってもお構いなしという制度を続けた。
こうした船は出資者がきちんとしており、ジャック・スパローたち下品な海賊とは識別されたものの、その行為と本質は同じことだった。
増田義郎氏は著書「略奪の海 カリブ」の中で、イギリスの歴史学者はこの件を認めたがらないが、さすがに経済学者のケインズは認めていると指摘している。
■ □
ケインズは「貨幣論」の第6編30章「歴史的例証」において、大陸からの銀の流入による「価格革命」をとりあげている。
スペインでは大陸からの銀流入の恩恵が政府または政府関係者だけに限定され、利潤インフレーションの時期が短く資本の蓄積がなされなかったが、イギリスやフランスは私的な商業という道筋によって大陸銀の恩恵を受け、長期間の利潤インフレーション(要するに好景気)の恩恵に浴したと説明している。
そしてこうも指摘している。
「実際、ドレイクがゴールデン・ハインド号(女王貸与の船)で持ち帰った掠奪品こそが、まさにイギリスの海外投資の源泉であり、起源であったと考えて差し支えない」
資本主義は、その起源から暴走気味だったのである。
ドレイクは英国艦隊副司令官として1588年にスペイン無敵艦隊を破るが、それまでも銀とは別の狙いがあって、スペイン・アンダルシア地方で海賊行為を続けていた。
同地ではごく最近まで泣き止まない子供には「ドレイクが来るよ」と脅かすほど恐れられていたそうだ。
ドレイクはワインに比べて海上で腐食しにくい同地のシェリー酒を好んだ。
やがてシェリー酒は英国人の好みとなるが、飲み干した空き樽にはスコッチ・モルトの原酒が詰め込まれ、シェリー・カスクのスコッチ・ウイスキーを熟成させることになる。
これも海賊のおかげである。