密林の下に眠るマヤ文明の都市 | 人生の水先案内人

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長い間密林の下に隠されてきた古代マヤ文明の都市オルトゥンの概容がついに判明した。


今月発表された研究によれば、3次元マッピングを使って数世紀分の森林の成長を“消去”したところ、100棟近い建造物の大まかな輪郭が浮かび上がったという。


 グアテマラ熱帯雨林 の一角に何か巨大なものが埋まっているという話が、古くから地元に伝わっていた。


今回ようやく考古学者の手により、オルトゥンの様子について詳細な調査に着手できるようになる。

 GPSと電子測距技術を使った昨年の調査で、7階建てのピラミッド、天文台、儀式に用いた球技場、そして複数の住居といった構造物の位置と高さが明らかになった。

 研究を率いた米テキサス州ダラスにある南メソジスト大学の考古学者ブリジット・コバセビッチ氏によると、石造りの家屋の一部は、初期にオルトゥンを治めた王の墓を兼ねていた可能性があるという。


「考古学者は大きなピラミッドや寺院で王墓を見つけようとしがちだが、先古典期の中期後半(紀元前600年頃~前300年頃)、王の存在はまだ宇宙の中心ではなかった。そのため、おそらく当時は居所の中に埋葬されていた」。

 壮大な寺院で王墓が見つかると思っていた考古学者たちが、「先古典期の王をこれほど多く見逃していたのは、これが理由かもしれない」という。

 カナダ 、カルガリー大学の先古典期マヤ文明の専門家キャスリン・リーズテイラー氏は、“石の頭像”という意味を持つオルトゥンで行われる調査から、マヤ文明の二次的な都市の成り立ちや、35キロほど北西にあるティカルのような大都市圏の外で営まれた日常生活を知ることができるかもしれないと語った。

 紀元前600年頃から紀元900年頃まで、縦横およそ1キロ×0.5キロの範囲に約2000人の定住人口を擁したオルトゥンは活気ある中堅都市だった。

 しかし現在は、数メートルもの土砂や植物に埋もれ、素人目にはまったく見えないに等しい。かつてはオルトゥンでかつては最も印象的な建物の1つだった三角ピラミッドでさえ、「森に包まれた山のようにしか見えない」とコバセビッチ氏は語る。

 長らくオルトゥンを知るものは少なく、考古学者が存在に気付いたのは1990年代初頭のことだ。


そのときも、以前に遺跡を見つけた盗掘者の足跡を辿った結果に過ぎなかった。コバセビッチ氏は、おそらく農民が開拓しようとして見つけたのだろうという。

 盗掘者が主に狙ったのは、最大で高さ3メートルにもなる巨大な漆喰(しっくい)仕上げのマスクだった。


盗掘者が掘り進むにつれ、巨大なマスクは重要な建物を飾っていたことがわかった。

 コバセビッチ氏によるとオルトゥンの寺院は、人間の姿やうなり声を上げるジャガーなどを表わす階段の側面を、精巧に彩られたマスクが守っていたのだろうという。

 先古典期の間、オルトゥンの重要な公共建造物は、主に血のような濃い赤色、輝く白、そして辛子のような黄色で彩色されていただろうとリーズテイラー氏は述べる。


また一部の建物は、幾何学模様や神話の情景、あるいは日常生活を描いた壁画で飾られていたのではないかという。

 王の即位や後継者指名など特別な儀式の間は、オルトゥンに住む2000人だけでなく、周辺地域からも多数の人が集まり、人口は数千人規模に膨らんだだろうとリーズテイラー氏は説明する。

 また冬至や夏至、あるいは春分や秋分の時期には、人々が都市の南に位置する高い場所へ移動し、天文台の周囲に集ったのだろう。


「冬至や夏至の時期、東側の建造物から太陽が昇る。



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そして人々は、王が天に命じているのだと考える」とコバセビッチ氏は語る。

 コバセビッチ氏らは今夏から住居跡や天文台を発掘し、最も大きな寺院の下生えを取り除きたいと考えている。

 さらに地中探知レーダーを用いて、オルトゥンの様相をさらに詳しく解明する意向だ。


木々や茂みを“透かし見た”今回のマップ作成プロジェクトに続き、レーダーで土壌を透かし見て観測すれば、都市のおぼろげな形だけではなく、建造物そのものの輪郭を描き出せるだろう。

 今回の研究は、カリフォルニア州サクラメントで開催されたアメリカ考古学協会の総会で発表された。