マヤ文明、やせた土地で繁栄した理由 | 人生の水先案内人

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古代マヤでは火山から遠く離れた都市でもしばしば火山灰の降下を受けていたことが、最新の研究で明らかになった。


この発見によって、マヤの古代都市がやせた土壌でも存続し繁栄できた理由を説明できる可能性がある。


 グアテマラ、ティカル遺跡の運河跡で最近、特徴的な灰褐色の粘土鉱物が発見された。


スメクタイトの一種で、火山灰の分解によってのみ形成される。


ティカルはかつてマヤ南部の低地で最大の都市であった。

 このティカルのスメクタイトは、アフリカから気流に乗って運ばれてきた塵に由来するというのが一般的な見方だったが、化学的分析によって、現在のグアテマラやエルサルバドル、ホンジュラス、メキシコにある複数の火山から来たものであることが明らかになった。


研究を率いたシンシナティ大学の人類学者ケン・タンカースリー氏は、この鉱物から判断すると、「何度も火山活動があったと考えられる」と話す。

 今回の発見以前から、火山に近い高地マヤの都市では噴火の影響を大きく受けていただろうことが知られていた。


例えばエルサルバドルのチャルチュアパという村は、近くにあるイロパンゴ火山の噴火によって6世紀に完全に地中に埋没した。

 だが、火山から数百キロも離れた低地マヤの都市で噴火の影響がどの程度あったのかはこれまで分かっていなかった。


しかし今回の研究によって、低地マヤには遠く高地マヤの山々からの火山灰が気流に乗って絶えず運ばれていたようだと分かった。

 タンカースリー氏らのチームは、今回ティカルで発見された粘土鉱物は、紀元前340~紀元990年ごろまでの2000年近い期間をかけて堆積したものと考えている。


噴火の回数と頻度、火山灰がどの火山に由来するものかなどについては、今のところ確認する方法がないとタンカースリー氏は話す。


「ある時期のマヤに暮らしていれば、おそらく一生のうちに1度かそれ以上、(火山)活動を経験しただろう」。

 ティカルでは最近の1960年代にも、火山灰の効果が報告されているとコロラド大学の人類学者ペイスン・シーツ氏は話す。シーツ氏は今回の研究には関係していない。

 マヤ文化への火山の影響を専門にするシーツ氏によれば、今回の発見は低地マヤの都市の最大の謎を解く鍵になる可能性があり、「きわめて重要だ」という。


「文献によく書かれているのは、この地域の土壌が風化した石灰岩に由来するために、非常にもろくて、やせているということだ」。

 それでもティカルなどの都市では1平方キロ当たり400~600人を養えていたことを示す考古学的証拠が残されている。


「比較的やせた土壌の熱帯の土地で可能だと考えられる人口密度に比べてずっと高い」とシーツ氏は話す。

 もし低地マヤの土壌が数年から数十年おきに火山灰の降下を受けていたのなら、これらの土壌は定期的に肥沃化されていたと言える。


火山灰のために土壌の浸透性と間隙率が大きくなって保水力が高まり、土地が豊かになる。


また火山灰には、鉄やマグネシウムなど、植物に良いミネラルが多く含まれている。

「これらの土壌が定期的に肥沃化されていたのであれば、あれほどの人口密度を支えられた理由がいくつか明らかになる」とシーツ氏は言う。

 シーツ氏の試算では、火山灰がほんの数ミリ堆積しただけでも、土壌の肥沃な状態が「少なくとも10~20年」は保たれる。


数センチ堆積すれば、より長い期間にわたって、土壌の生産性が大幅に向上しただろう。

 しかし、謎が完全に解けたわけではない。


火山灰の小さな粒子によって、植物の花粉を媒介する昆虫は多数死滅しただろうし、火山灰によって酸性雨が降れば穀物に被害が出た可能性もあるとシーツ氏は話す。

 全体的に見れば、火山活動は古代マヤの生活の重要な部分を占めていたとシーツ氏は言う。


例えば高地マヤの都市の寺院のいくつかは、聖地である火山を模倣している。


「寺院建築には上部に複数の扉があって、マヤの人々はそこに香を詰めた。


立ち上る煙が先祖の魂や神々へのさまざまなメッセージを伝えると考えられていた」。

 しかし、ティカルなどの低地マヤの都市の寺院にも同じような発想が見られるかどうかは明らかではない。なお、ティカルからは火山は1つも見えない。

 火山の噴火はマヤの世界観にも溶け込んでいるとシーツ氏は言う。マヤでは、人生はピンチにもチャンスにもなりうる出来事に満ちており、人間のふるまい次第でそのバランスを取れると考えられていた。


火山が噴煙を上げても、それは必ずしも滅亡の先触れではない。火山灰によって土地を肥沃にしたり、土器を強化するのに利用したりといった恩恵も受けられる。

 また、マヤの人々は噴火を抑制できると考えていた。


彼らは火山活動を鎮めようとして、「流血を伴う儀式を行い、神々を敬い、先祖の魂に供物を捧げるなどした」とシーツ氏は言う。


「マヤの宗教は人間に多大な力を与えていた。その中枢をなすのは人々だった」。

 今回の研究を率いたタンカースリー氏は、予測できない火山活動もまた、マヤの文化の中枢を成していたと力説する。


「彼らは寺院を火山の形に作った。儀式も火山活動を模倣するものだった。


マヤの人々にとって、火山は人生の一部、それも欠かすことのできない一部だった」。

 この研究は3月30日~4月3日にカリフォルニア州サクラメントで開催されたアメリカ考古学協会の年次総会で報告された。