”被害者になりたくない”
https://ameblo.jp/875meg/entry-12443565186.html


この記事、被害者になりたくない
対ブログ!



加害者にされたくない



byさおりん





(本文から)


相手が泣くことで、

わたしは加害者かよ!?

ってなることがある。

泣くってずるいよ。

みんな泣いてると味方するし。

わたしが泣かしたみたいになるもんね。

とりあえず、対等でなくなる

同じ土俵でやりとりできなくなる。






わたしは相手が泣いても罪悪感は持たない。

それは相手の自由だから。

相手はそれをしたくてしてるから。





泣いちゃったらずるいと思う。

フェアじゃないと思う。

どうフェアじゃないのか?

と自分に問うてみると...






↓続きはこちらよんでみてね。



喜怒哀楽。


どの感情が表現しやすくて、

どの感情がしにくいか。






わたしは怒りが出しにくい。


感じても小さくしぼんだり、


ボンッとでるよりは、
ネチネチと続く。


後から後からわいてきて
キレたり。


陰口言う間に本当に言いたいことに気がついて
気がついたら終わりになる。




父が瞬時に怒れるとき、


それはよくないとザワつき、


怒りを押し込めて
冷静であろうとした。


わたしは怒りなんて恥ずかしい感情がありません。


と、言っていた。






怒りをだしてる人を

よく加害者に仕立て上げた。





わたしが怒りを出すのはいけないと
ただ思っているだけなのに



あっちは悪くて
こっちは正しいにしたかった。




正しい方が愛されると思っていた。






怒りダメダメ党の
党首は母だ。




大好きな母の考え方が好きだった。



母に共感するのも
わたしの愛だった。



母に正しい娘だとも思われたかった。







よく母とわたしで
父を加害者にして

あの人はこんなに悪い人だと訴えた。


訴える間、

わたしたちは父のようになれない。

父のように堂々と怒りを出すことは加害者になるからだ。






生まれた怒りは陰口となり、
影の暴君になる。



父を加害者にして、
陰で否定して罵倒して非難した。





被害者と加害者はセット。



わたしが被害者と加害者をやめたのは、

わたしが死んだように生きたとき、


父と同じように怒りを大事にしてみたときだ。








母の経典や戒律を破り、
正反対の言動をした時に

初めて本来のわたしが統合した。





怒りがすっぽりとぬけていたわたしに、


怒りが堂々と戻ってきた時、




喜怒哀楽がそれぞれ光り輝いて

生き始める。





誰かを加害者にしたくなったり

加害者にされたり、

また自分が被害者として生きて

つらくなったら


相手の言動をよくみてみる。





相手の中に自分の生きるカケラをみつけたとき、


初めて喜怒哀楽が豊かに動き出す。