半世紀ぶりの軽井沢 | 噺新聞

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軽井沢に行くことになった。

久しぶりというより、足を向けたのは50年、半世紀ぶりになるか。

その頃の軽井沢は、避暑地、別荘地として若者たちにも軽井沢、軽井沢へとリゾート地遊びで人気になりだしていた時代だった。

 

こちらは、このリゾート地の情報発信を狙ったフリーペーパー、軽井沢Freeの発行を東京で行い、この新しい媒体を盛り上げるイベントを軽井沢で行う要員として二週間ほど軽井沢出張をした。

 

上皇上皇后両陛下がテニスで愛を育んだ場所、軽井沢。軽井沢を象徴するイベントはテニスでしょう、で、上司もテニスでと即決してしまった。

 

学生っ気まだ抜けきらない、テニスのラケットを握ったこともない若年社員がその段取りをしなくちゃならない。東京で各大学のテニスサークルを訪れ軽井沢で行うテニス大会への選手集めの呼びかけを始め、予定数を集めきれなかった選手集めは、軽井沢で合宿をしているテニスサークルの合宿先へ行き、参加を開催直前まで募って歩いた。

 

大会は今、そんなメーカーが存在しているのかわからないが、Kawasakiラケットというメーカーがクライアント、参加した選手への参加賞はテニスシューズだったが、このシューズ、素材は今はありえない布製、ズックだったな、あ〜、懐かしい、何たって半世紀前の出来ごとだからね。

 

会場は軽井沢の塩沢湖、交差点のところに塩沢湖、こちらという案内板を見たので、半世紀後の塩沢湖、寄ってみました。

その時の大会会場だったかわからないが、テニスコートはありました。

塩沢湖の周りの雰囲気がこのようだったか、ぜんぜん思い出せないない。

湖の周りは歩いて15分程度らしいので、歩いてみる。

 

 

 

 

 

大正時代に必要迫られてつくったという電話ボックスが移設されていた。

 

のどかな佇まいを楽しみ、半世紀前を思い浮かべながらそぞろ歩きしてみました。